自立を支える介護こそが理想
自分らしく日々を過ごしてほしい
美山介護サービスセンター
福祉タクシー
宅老所・ゆめ
【足跡】 福岡県出身。学校を卒業後は一般企業に就職。17歳で結婚し、一男二女に恵まれた。しかし、脳に障害を持つ次女のために、心ならず離婚を決意。シングルマザーとして家庭を支えた。39歳の時には長男と死別。ショックから認知症を患った母親の介護を通じて介護のノウハウを身につけ、ヘルパーと介護福祉士の資格を取得する。介護事業所で経験を積んだ後、2007年に「美山」をスタートした。
訪問介護サービスを主体として、介護事業を手掛ける「美山」。同社が理想とするのは、利用者が自分らしく日々を過ごせるようにと自立をサポートする介護だ。2010年には、地域に暮らす高齢者の生活のしづらさを解消するべく、福祉タクシーの提供や宅老所の運営も開始。悩める声に応えることで地域福祉の向上に一役買う。本日は吉沢京子さんが代表の江崎千恵子さんにお話を伺った。
吉沢 早速ですが、江崎代表の歩みからお聞かせ下さい。
江崎 私の歩みですか……本になるほど波瀾万丈ですよ(笑)。中学校を卒業すると同時に働き始めた私は、17歳の時に3つ上の男性と結婚しました。周囲の反対を押し切って、大恋愛の末の結婚。一男二女を授かり幸せな家庭を築いていたのですが、次女が生後5ヶ月の時に髄膜炎を患ったのです。手術は8回にも及び、医療費が高額なため身内の協力を得たのですがそれでも充分ではなく、民間機関からはあまり援助してもらえず、治療費を捻出するのに苦労しました。そこで、私は離婚を決意したのです。
吉沢 大恋愛の末の結婚だったのに、どうして?
江崎 離婚してシングルマザーになれば生活保護を受けられるんです。その時は、娘の治療費のためにできることと言えば、それしか思い当たりませんでした。それで、子ども3人を私が引き取り、24歳で離婚したのです。生活は、それはもう大変。それでも、私はまだ若かったため、必死に働いて子どもたちとの暮らしを支えたのです。そんな中でも嬉しいことがありました。次女が、6歳の時に歩けるようになり、言葉も発達し始めたのです。養護学校に通う娘の送り迎えをしながら昼も夜も働く、そんな生活が20年間続きましたが、その次女も36歳。現在は授産施設に通っております。
吉沢 それは、良かったです! 親にとって我が子の成長ほど嬉しいものはありませんよね。
江崎 はい。ただ私は、長男をバイク事故で亡くしているのです。17歳の若さでした。
吉沢 まあ……何と申し上げてよいか。
江崎 その日は私の39歳の誕生日だったんです。「僕のことも見て」──そんな想いから息子が私の誕生日を選んだのではないかと思い悩みました。次女の世話と仕事に追われていた私は、長男に充分に目を向けてあげることができませんでしたから。
吉沢 あまりご自分を責めないで下さい。息子さんはきっと、代表の苦労を理解しておられたはずです。そんな代表が現在の介護事業に携わるようになられたのは、どういった経緯があって?
江崎 実は、ずっと子育てを手伝ってくれていた私の母が、長男が亡くなったショックから認知症を患いまして。母を介護したことが、現在につながっているのです。経験を通してノウハウを身につけた私はヘルパーの資格を取得し、訪問介護を手掛ける会社に3年間勤めて、さらに介護福祉士の資格も得ました。この「美山」を立ち上げて、介護事業をスタートしたのは2007年のことです。
吉沢 実生活で介護を経験された代表だからこそ提供できるサービスもおありでしょう。始められていかがですか。
江崎 当初、5名だったスタッフは20名弱に、9人だった利用者さんは約40名に増えました。実際に介護事業を手掛けてみて分かったのは、苦労の分だけ喜びがあること。お年寄りと1対1で向き合う介護は、心の交流なんです。利用者さんと心が通じ合った瞬間の感動、そして「ありがとう」の一言が、苦労を洗い流してくれる。以前、足が不自由になった方を介護したのですが、回復して自分の足で歩かれる姿を見た時の嬉しかったこと。あれは、忘れられません。
吉沢 喜びは、やり甲斐そのものですね。
江崎 ええ。介護とは、ともすればその人のすべてをお世話する仕事と思われがちですが、介護のあるべき姿は違うと考えます。たとえ寝たきりであってもやはり自分らしく過ごしてもらいたい。自立していただけるよう助けるのが、真の介護だと私は思うのです。私共の利用者さんの最高齢は100歳なのですが、ご自分の足で歩かれますし、何でも自分でやってみようとされます。そんな姿に私もスタッフも元気をもらっていますね。
吉沢 こちらでは福祉タクシーの提供や宅老所の運営もされているそうですね。それも、お年寄りの自立を促すために?
江崎 ええ。利用者さんから「病院に行きたいけれど歩くにはつらく、とは言えタクシーを使うのはお金が勿体ない」という声を多く聞いたのです。それで始めたのが福祉タクシー。利用者の方によってはドライバーが診察室までお見送りしています。宅老所は、介護してくれる人がおらず、施設にも入れない人のためにオープンしました。古民家を利用しており、懐かしい雰囲気が我が家で過ごしているような気持ちにしてくれるんですよ。好きな時に好きな物を食べ、寝たい時に寝て、自由にしていただいています。ご自分で台所に立って調理される方もいますね。私にとってもまるで我が家のように居心地が良く、年末年始を宅老所で皆さんと一緒に過ごしました。
吉沢 ほのぼのとした雰囲気が伝わってきます。最後に、今後について。
江崎 事業をずっと続けていくことです。私の後を娘や孫が引き継いでくれて、「美山」が長く利用者さんの暮らしを支えていくこと──それが私の夢です。
Eyes on the Interview...
「これまでの人生で自身に降りかかったすべての出来事が、私の糧になっています」と話した江崎代表。現在の気丈で明るい性格、そして“優しい嘘”をつく術は過去の経験から身につけた。子ども3人を抱えた暮らしは決して楽ではなかったが、不安にさせまいと嘘をつくこともあった。今は、利用者の悲しい顔を見たくないがために、嘘をつくこともある。人とは、傷ついた分だけ、苦労した分だけ周囲に優しくなれるもの。代表は研修スタッフに言う──「時には、女優・俳優になりなさい」。その言葉の裏にあるのは、利用者への思いやりだ。
「江崎代表は若い頃から苦労してこられましたが、それを感じさせないとても明るい方。3人のお子さんとお母様の存在、そして今は仕事を通じて人の役に立てることへの喜びが原動力だとおっしゃいました。その強さと明るさで、これからも利用者の方を支えていかれることでしょう」(吉沢 京子さん・談)
名 称 |
合同会社 美山 |
---|---|
住 所 |
福岡県みやま市瀬高町小川1303-1 |
代表者名 |
代表者 江崎 千恵子 |
掲載誌 |
国際ジャーナル 2011年4月号 |
※代表者名の“崎”は正しくは右上が“立”の異体字です
本記事の内容は、月刊経営情報誌『国際ジャーナル』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。