2023年02月13日更新
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医療法人 信州口腔外科インプラントセンター 対談取材記事

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患者を心から想う歯科治療を
緑溢れる開放的な医院で提供する

医療法人 信州口腔外科インプラントセンター

理事長 北村 豊

元松本歯科大学口腔外科学第一講座助教授
日本口腔外科学会認定専門医・指導医
松本歯科大学口腔顎顔面外科学講座臨床教授
神奈川歯科大学人体構造学講座非常勤講師
ナショナルユニバーシティ(マニラ)客員教授

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─略歴

■与えられるのを待つのではなく自らの力で望みを勝ち取る“野生動物”でありたい

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─人ページ写真

『青年海外協力隊』の隊員としてマレーシアに赴き、先住民たちの歯科治療にあたった北村理事長は、彼らの高い身体能力や五感の鋭さに驚いたそうだ。また、ジャングルから必要な全てのものを手に入れ、工夫を凝らして様々な生活用品を作る先住民は、まるで“スーパーマン”のように見えたとか。そして、そんな彼らと共にジャングルに分け入り、狩りに出かけていたという理事長は、自らも「野生でありたい」と願っている。 “欲しいものは自力で取りにいく”──。そんな力を、いつまでも持ち続けたいというのだ。穏やかな物腰の裏側に、熱い血潮を感じた。


【足跡】 奈良県奈良市出身。『神奈川歯科大学』卒業後、長野県の『松本歯科大学』で教鞭を執り、その間、『青年海外協力隊』の隊員として、マレーシアで先住民の歯科治療にあたる。その後、国内での病院勤務を経て『信州口腔外科インプラントセンター』を開業した。


豊かな自然に囲まれた『信州口腔外科インプラントセンター』は、信州で唯一、口腔外科専門医が開設する口腔外科とインプラント治療を専門とする診療所だ。和を基調とした開放的な造りを魅力とする同診療所には、緊張しがちな患者さんの心を落ち着かせる雰囲気が漂っている。『青年海外協力隊』の一員として海外でも歯科医の腕を揮った経験を持ち、「患者さんに喜んでいただけた時が何より嬉しい」と語る理事長に、お話を伺った。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─対談

布川 北村理事長が歯科医師になられるまでの経緯からお伺いします。

北村 虫好きが高じ、元々は『東京農業大学農学科』で昆虫学も専攻していたのですが、2年ほどで『神奈川歯科大学』に転入し、歯科医師を目指し始めました。虫の解剖や標本作りなどで培った手先の器用さが大変役立ちました。

布川 何とも意外な転向ですね。

北村 昆虫の虫から虫歯の虫に目が向いただけなので、私としては大した違いではなかったのですけれど……(笑)。そうして歯科大学を卒業した後は、自然豊かな土地柄に惹かれてここ信州へ移り、『松本歯科大学』で教鞭を執るようになりました。また、在職中には『青年海外協力隊』へ応募し、歯科医師としてマレーシアに派遣されたんですよ。

布川 マレーシアですか。虫好きにとってはたまらない国だったのでは?

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

北村 それはもう(笑)。世界最古の貴重なジャングルが残っているため、珍しい虫がたくさんいましたね。私は、先住民のための唯一の病院に着任し、月のうち1~2週間はそうしたジャングルへ巡回診療へ出かけていたんですよ。当初は2年間の在任予定でしたが、さらに1年の延長を頼まれ、結局3年間マレーシアで活動しました。大学のほうは休職扱いでしたが、「大学を辞めてから来ればよかった!」と心底後悔しましたよ(笑)。診療が終われば裸足になって先住民たちと一緒に狩りに出かける、という生活が、すっかり気に入ってしまったんです。

布川 不便さは気にならなかったと?

北村 確かに、ジャングルに文明の利器は存在しません。けれどそこには、生きること、死ぬことの全てがありました。生まれるのも死ぬのも病院、という日本人と違って、先住民たちは、自宅で生まれ育ち、やがて死んでいきます。そのあらゆる過程が家族や仲間に見守られながら進んでいくのです。それこそが人間としての自然な姿だと思いましたね。マレーシアでの経験は、私に本当に大切なことをたくさん教えてくれました。

布川 貴重な体験をされたのですね。帰国後はどのように過ごされたのですか。

北村 大学に戻り、通算19年、研究や後進の育成に励んだ私は、その後、ここ小布施町で80年以上の歴史を持つ病院に口腔外科を開設していただき、働き始めました。その病院が国際医療協力を行っていることに共感し、転職したんです。そして、そこでちょうど10年勤めた後、院長の交代を機に独立を決意。自分の理想とする歯科医療に専念するため、この『信州口腔外科インプラントセンター』を立ち上げました。

布川 こちらの建物は周りを木々の緑に囲まれていて、とても歯科医院とは思えない心地よさがありますね。

北村 元々ここには栗林があったので、そうした自然をできるだけ残した庭にしたのです。歯科医院は患者さんにとって緊張する場所ですから、この緑豊かな庭を見て、少しでもほっとしていただければ、と思っているんです。これまでの医院のイメージを払拭する建物にしようと医院作りに取り組んだ結果、まさに理想通りのものができ上がりました。実は小布施町から、2007年の第一回「優良な景観建築物等」にも認定されたんですよ。

布川 それはすごい! では、診察に当たる上で大切にされていることは?

北村 自分や家族にならどういった対応を取るかを考え、患者さんの立場に立った診療を心がけています。加えて、治療の説明を行う際には、メリットだけでなくデメリットもしっかりと伝え、患者さんに納得していただいた上で治療に取りかかります。たとえば、インプラント治療の成功率は96%以上ですが、残念ながら100%というわけではないのです。また、どんなに素晴らしい医療技術が存在していても、それに見合う正確な知識と技術を持ち合わせていなければ、治療を成功させることはできません。だからこそ私は、今も積極的に国内外の学会や講演会に参加し、歯科医療の知識を常に更新し続けているのです。向上心を持ち、技術を研鑽することは、有効期限のない免許を有する医師としての義務だと思っているんですよ。

布川 それでは最後に、今後の展望を。

北村 この仕事は自分の天職だと思っているのですが、今でもマレーシアでの生活を懐かしく感じることがあります。先住民から教わったことは私の大きな糧となっていますから、その恩返しがしたいと考えています。これからも彼の国にかかわり続け、先住民たちの未来に貢献したいですね。歯科治療に限らず、あらゆる形で尽力したいと思っています。

布川 ご活躍を期待しています!

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

Column

▼口腔外科とインプラント治療を専門とする『信州口腔外科インプラントセンター』。実は、同センターを設立した北村理事長が口腔外科を専攻した背景には、並々ならぬ決意があった。その決意を促したのは、妹の早過ぎる死だったという。有能な短距離選手だったという彼女は、理事長が大学3年生の時に白血病を患い急逝してしまったのだ。その悲しみを受け、理事長は「命を救う歯医者になる」ことを心に誓った。口腔内の病気が命にかかわることは珍しい事態ではなく、また、食事や会話などの人生における楽しみを損なう可能性が高い。理事長は病の早期発見・治療に努めると共に、インプラント治療によって患者の咀嚼機能を回復させ、“食べる喜び”を取り戻させることで、人の命と人生を守っているのだ。

対談を終えて

「『青年海外協力隊』の一員としてマレーシアで先住民の歯科治療にも当たられるなど、活躍の場を広く持たれてきた北村理事長。心の赴くままに歩む理事長の言葉の端々からは、豊かな人生を築き上げてきた充足感が感じ取れました。第二の故郷であるマレーシアのために力を尽くしたいとおっしゃる理事長が、今後どのようにその夢を実現されるのか、今から楽しみです」(布川 敏和さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名  称

医療法人 信州口腔外科インプラントセンター

住  所

長野県上高井郡小布施町林2249-1

代表者名

理事長 北村 豊

U R L

http://homepage3.nifty.com/sinshu-osic/

※Googleストリートビュー 和の診療所の庭から室内までをご案内致します

掲載誌

トップフォーラム  2013年10月号

本記事の内容は、月刊経営情報誌『トップフォーラム』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。