理学療法機器のエキスパートとして
整骨院・鍼灸院・病院(物療)を力強くサポート!
鹿児島県内の整骨院や鍼灸院、病院(物療)を対象に理学療法機器などの販売を手掛ける『三陽医療器』。1982年に創業された同社は、何よりも信用を第一に考え、人と人とのつながりを大事にしながら実績を築いてきた。本日は俳優の石橋正次氏が同社を訪問。迫田勝彦社長とご子息の迫田圭介氏にお話を伺った。
石橋 まずは迫田社長の歩みから。
迫田 鹿児島県指宿市の出身で、中学卒業後は水産高校に進学しました。ですから、将来はその道に進むつもりだったのですが、当時はちょうどオイルショックで水産業界が大打撃を受けていまして。それで水産関係の仕事は断念し、東京の衣料品メーカーに就職して営業職に従事していました。そして、その後何度かの転職を経て地元・鹿児島に帰郷し、医療機器の会社に入社。そちらで経験を積んだ後、1982年に独立を果たしました。
石橋 当初は社長お一人でスタートされたのですか。
迫田 ええ。忙しいときは弟に手伝ってもらうこともありましたが、一人で仕事を抱え、走り回ることも多かったですね。しかし病気を患ってからは少し身体のことも考えるようになりました。
石橋 圭介さんは、自ら進んでこの世界に入られたのでしょうか。
迫田(圭) そうですね。他の仕事も幾つか経験しましたが、どれもピンと来なくて。自然とこちらで仕事をするようになりました。
石橋 では、具体的な業務内容について伺いたいと思います。
迫田 当社では医療機器の中でも理学療法機器をメインに取り扱っており、県内一円の整骨院や鍼灸院、病院(物療)に販売しています。
石橋 整骨院や鍼灸院などの先生も最近は20~30代の若い方が増えましたよね。
迫田 ええ。若くして開業されたり、昔から続く整骨院でも二代目・三代目が多くなりました。我々の役目は、そういった若い先生方をはじめ地域に根差して懸命に頑張っていらっしゃる方々を、理学療法機器のプロとしての立場から精一杯サポートすること。だからこそ私は「少しでも先生方のお役に立ちたい」と、価格競争ではない、信頼を第一に考えた仕事をしてきました。そして人と人とのつながりを大事にしてきたことが、今日につながったのではないかと思います。
石橋 なるほど。その中でやり甲斐を感じるのはどんなときでしょう。
迫田 やはり、取引先の評判が広がって患者さんが増えたと聞いたときには嬉しくなりますね。私どもも微力ながらお手伝いができたかなと思うと、大きなやり甲斐を感じます。
石橋 それでは最後に、今後の展望を。
迫田(圭) 今は鹿児島県内の整骨院、鍼灸院、病院(物療)を対象にしていますが、将来的には販売エリアを広げていければと考えています。
迫田 ゆくゆくは息子に後を継いでもらうことになると思いますので、私が積み重ねてきた経験を全て伝えていきたいですね。そして、息子にはこれまで通りお客様との信頼関係を大事にしながら、末永く会社を継続してほしいと思います。
「お客様のほとんどは人とのつながりで広がっていったということからも、迫田社長に寄せられる信頼の篤さが窺えますね」(石橋 正次さん・談)
名 称 |
有限会社 三陽医療器 |
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住 所 |
鹿児島県霧島市国分新町1丁目3-14 |
代表者名 |
代表取締役 迫田 勝彦 |
掲載誌 |
報道ニッポン 2010年11月号 |
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