高い技術力と豊かな人間力を武器に
防水業者として厚い信頼を築く
兵庫県知事許可(般-23)第116077号
代表取締役 |
宮地 健司 |
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一級技能士 |
「報恩感謝の精神をモットーに 大切な人たちを支えていきたい」
信頼を寄せる親方の急逝を受けて、思いもよらぬ形で経営者としての道を歩むことになった宮地社長。
職人として技術の研鑽に努めてきた社長にとって、経営者の立場はまさに針の筵。ノウハウが皆無な中で、文字通り手探りの経営が始まった。
そんな窮地を支えてくれたのは2名のスタッフと取引先、そして家族だ。彼らの惜しみない協力を受けて徐々に事業の形を作り上げ、昨年には法人化を果たした。
「何よりも大切にしているのはスタッフと家族です」と、迷いなき眼差しで言葉を紡ぐ社長。
“人”を大切にすることは、“人”に大切にされるということでもある──周囲への感謝が、社長を動かす何よりの原動力だ。
【足跡】 兵庫県神戸市出身。地元の高校を卒業後、防水業の職人として修業を始める。親方の急逝により、2005年に独立する。丁寧・迅速・柔軟な仕事に徹し信頼を積み重ね、2011年には法人化を遂げた。周囲への感謝を胸に、さらなる躍進を目指す。
2005年の創業より、妥協のない仕事ぶりで実績と信頼を積み重ねている『西神防水』。2011年には法人化を遂げて公共工事へも参入し、業容を拡充している。そんな同社を俳優の村野武範氏が訪問。宮地社長と奥様の宏美さんにお話を伺った。
周囲への感謝を胸に
職人の道一筋に邁進
村野 早速ですが、宮地社長の歩みから伺います。
宮地 兵庫県神戸市出身で、学生時代はサッカーに打ち込んでいました。学業修了後は先輩のすすめで防水業に就き、親方のもとで修業を始めたのです。以来、防水業一筋に歩んでおり、今もなお勉強の毎日ですね。
村野 独立は、ずっと考えておられたのですか。
宮地 いえ、実のところ、独立の意思はありませんでした。修業を開始した時は親方と私の二人だけでしたが、その後は職人も増えて7名となり、個人事業から法人化を遂げたのです。そうして企業として成長する中で、私も一層仕事の面白さややり甲斐を感じており、独立に関しては全く意識していなかったんですよ。しかしある時、親方が大病を患い、急逝してしまいまして……。それを受けて、親方の会社を受け継ぐとの選択肢もありましたが、親方の奥様の意向で会社は閉業することとなり、残された同僚と3名で新たなスタートを切ったのです。
村野 現場から一転、突然経営を担う立場となられて、ご苦労も多かったのではありませんか。
宮地 そうですね。ずっと職人として腕を磨いていましたので現場作業には自信を持っていましたが、経営面においては右も左も分からぬ素人同然。特に事務作業の面で大変苦労しました。お恥ずかしい話、当時はパソコンの使い方も疎かったので、見積書のデータ作成もままならない状態(笑)。方々にご指導を仰ぎ、必死で勉強しながらノウハウを養ったことを今でもよく覚えています。その中で、特にお世話になったのは取引先の資材業者さんで、事務作業など様々なことを懇切丁寧に教えて下さいました。今でもそちらの業者さんとはお付き合いがあり、多くの方に支えていただいたことに感謝しています。
村野 社長の真っ直ぐで誠実なお人柄が、信頼を呼び込むのでしょう。
宮地 自分の人柄はどうか分かりませんが(笑)、私はいつも人に恵まれていると、とてもありがたく感じております。お取引先だけでなく、優秀なスタッフや愛情に厚い家族にも助けられ、私は今日を迎えられています。独立したころ、先の仕事があるかどうか分からずに不安に駆られていた時、「皆で協力していけば何とかなる!」と前向きに協力してくれるスタッフには随分勇気づけられました。また、妻は経理面を一手に引き受けるために、簿記を勉強して経営を支えてくれたのです。そうした一つひとつの応援、励まし、協力が私の背中を力強く押してくれました。今、私が仕事に臨むモチベーションは、周囲への感謝の念と、恩返しをしたいという思いが大きなウェイトを占めていますね。
村野 奥様からご覧になって、社長はどのような人物ですか。
宮地(宏) 社長とは小学生時代からの同級生で、彼は昔から人に慕われる才能を持っていたように感じています。それに加えて、運が良いんです(笑)。運を呼び込むとでも言いますか、社長が歩む道は不思議といつも明るくなるような気がするんですよ。ただ、それはもちろん社長の努力があってのことで、何よりも周囲の人々を大切に想う社長の姿勢が、いつも状況を好転させるのだと思っています。
村野 社長のそうした人となりこそが、御社の礎だと言えますね。
正確・丁寧・迅速な仕事で
一層の飛躍を目指す
村野 では、会社のお話についても伺って参ります。法人化されたのはいつごろなのでしょうか。
宮地 昨年の11月です。7年ほど前に独立したのですが、4~5年前から事業が安定してきたので法人化を考えていました。その理由は2つありまして、一つは単純に事業規模の拡大。法人化を遂げたことで公共事業にも参入することができ、現在はこつこつと実績を築いています。そして、もう一つはスタッフのためです。自分たちが業務に臨む姿勢は何も変わりませんが、法人化することで社会的な信用が高まります。たとえばマイホームを買う時、勤め先が法人であれば個人事業主より融資を受けやすいんですね。スタッフたちがそうした社会的な信用の恩恵を享受できるようにと考えて、法人化を実現しました。
村野 スタッフの皆様を大切に想っておられることが伝わってきます。では、業務面でいつも心がけていらっしゃることは?
宮地 最も基本的なことですが、安全第一の姿勢と、請けた仕事を妥協なく完遂することです。私たちの仕事は、手掛けた施工現場が営業ツールにもなりますので、規模の大小にかかわらず、全力を傾注して現場作業に打ち込むようにしています。実直に、誠実に、上質な仕上がりを追求して現場に臨むのが私共のモットーですね。
村野 御社の高いプロ意識が窺えます。お話も尽きませんが、最後に今後の抱負を。
宮地 将来的には自社の看板を背負って、学校施設などの大規模工事を受注できるようになりたいと思っています。そのためにも、まずは資本力と競争力をつけるために会社組織としての土台をしっかりと築き、目前の一つひとつの仕事に全力を傾ける所存です。会社が成長することで、スタッフとその家族、取引先の皆様も豊かになれると思いますから、周囲への感謝を忘れることなく、今後も発展を目指して頑張って参ります。
▲対談にもご参加いただいた奥様の宏美さんを交えて記念撮影
“心”を教わった師の背中を追いかけて
▼周囲への感謝の念が原動力という宮地社長。その心構えの原点は、知識・技術を教わった親方の生き様にある。社長曰く、親方は「仕事一徹の厳しい人物」だそうで、「職人に休みなど不要」というのが親方の口癖だったそうだ。妥協なくストイックに仕事に臨む親方の姿勢は、まさに“職人”の本質であり、社長もまたその気質を受け継ぎ、己を高めるために一心不乱に研鑽に励んだ。当初は親方と二人で仕事に打ち込んでいたが、施主から寄せられる信頼の厚さから、一人、二人とスタッフが増え、7名体制で業務に臨むように。日々頑張ってくれているスタッフのために、親方は個人事業から法人へ改組し、労働環境の充実を図った。スタッフを厳しく指導しながらも愛情を持って接する親方に、社長は故もなく感謝の気持ちを抱き、一方では、親方と共に会社の成長をつぶさに感じられる環境に充足感を覚えていた。そんな矢先、社長は親方がガンを患っていることを知る。治療のために仕事を離れていた親方は、ある時ひょっこり現場に顔を出し社長に「お前もそろそろ独立を考えても良いころだ。お前ならできる」と短い激励を送った。余命を知らされていないはずの親方だったが、何か感じるものがあったのか、自身の健康よりも弟子の行く末を案じていたのだという。「親方の生き様から、職人として大事な“心”を学びました」と語る社長は、今も親方の背中を追いかけ、日々懸命に仕事に打ち込んでいる。
「対談中、終始和やかに、真っ直ぐな眼差しで応対して下さった宮地社長。磨き上げた技術力もさることながら、誠実さが如実に伝わってくる社長の人となりが『西神防水』さんの成長の要素だと感じました。公共事業への参入を果たし、今後も益々お忙しくなると思いますが、ご健康に留意して頑張って下さい!」(村野 武範さん・談)
名 称 |
株式会社 西神防水 |
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住 所 |
兵庫県神戸市西区櫨谷町栃木420 |
代表者名 |
代表取締役 宮地 健司 |
掲載誌 |
リーダーズ・アイ 2012年12月号 |
本記事の内容は、月刊経営情報誌『リーダーズ・アイ』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。