被災した地元スタッフのために
一歩を踏み出した水産加工販売会社
2012年に創業された『三笑』は、寿司ネタの製造販売を手掛ける企業だ。佐々木社長が20年間勤務した会社は、東日本大震災による大津波で流失。そんな中社長は「スタッフが再び地元で働けるようにしたい」との思いで同社を立ち上げた。本日は竹原慎二氏が社長にインタビューし、ここに至るまでの経緯や事業にかける思いなどを伺った。
20年間勤め続けた会社を
東日本大震災で失う
竹原 では、佐々木社長の歩みから。
佐々木 ここ大船渡の出身で、学業修了後は信用組合に就職し、その後現在手掛けている水産加工業に転職したんです。そちらはまだ歴史の浅い会社でしたが、頑張れば頑張っただけ評価される実力主義の方針に魅力を感じ、20年間勤めさせていただきました。そしてその経験を活かし、今後は自分のペースで商売をしていきたいと考えるように。勤務先の社長の了承を得ることができ、2011年に退職することが決まりました。しかしそんな時、東日本大震災が起こったんです。
竹原 大船渡は特に甚大な被害を受けた地域の一つですよね。地震が起きた時のことを教えて下さい。
佐々木 地震が起きた時は工場にいたので、すぐに帰宅できる者は帰宅させた後、それ以外のスタッフたちを連れて避難しました。幸い、迅速に対応できたお陰で命は助かりましたが、会社は目の前で津波に流されてしまったんです……。そして地震発生の翌日、家族の無事を確認するとすぐ、当日に別れたきり連絡がとれずにいた社長やスタッフを捜し歩きました。狭い町ですが、30人探すのに4、5日かかりました。
竹原 無事、社長にも再会できたのでしょうか。
佐々木 はい。お陰様で社長とも出会うことができ、今後について話し合いました。すると、社長は会社を続けたいとのことでしたので、私も一緒に立て直すことに決めたんです。それで今のメンバーを連れて盛岡に移り、営業を開始。大船渡はライフラインが途絶えていましたが、盛岡はかろうじて電話がつながっていましたし、贔屓にしていた運送会社の事務所が1つ空いていたので借りることができたんです。
竹原 その後、どういった経緯で『三笑』さんを?
佐々木 社長は札幌に工場を取得して事業を立て直すことにされました。しかし私は北海道に行かず、地元での職を失ったスタッフたちを再雇用して大船渡で独立することにしたのです。そして2012年2月に『三笑』を立ち上げました。
日本各地や世界各国から
新鮮で質の良い魚介を仕入れる
竹原 御社の事業内容は、前職と同じ水産加工業を手掛けておられるのですか。
佐々木 そうです。水産加工業の中でも、寿司ネタの製造販売を専門に手掛けています。当社は、引き継いだ地元のスタッフ10名からなる小さな会社ですから、北東北にエリアを絞ることにしたのです。その方が地域密着で事業を進めることができるとも考えました。
竹原 扱っておられる寿司ネタは、地元産の魚が中心なのでしょうか。
佐々木 地元の魚介はもちろん、日本各地、世界各国からも仕入れています。旬の時期にもよりますが、イカなら三陸産、ホタテとタコは北海道産、サーモンはチリ産という感じで、あちらこちらから鮮度と質の良いものを仕入れて加工し、地元で販売しているんですよ。仕入れ先も販売先も、前職から引き続いてお世話になっている方が多く、そうした皆様の支えがあって事業を立ち上げることができました。皆様には心から感謝しています。
竹原 漁業・水産業の盛んな土地柄ですから同業者さんも多いと思いますが、どのようにして御社ならではの強みを築いておられるのでしょう。
佐々木 単に注文された寿司ネタを納品するだけではなく、仕込みの方法をお伝えするなど、お店で効率的に仕込みをしていただけるように工夫しています。たとえばサーモンの場合、最初から1切れずつスライスして売ればお店で調理する手間は省けますが、鮮度は落ちる。そこで、サーモンの柵にスジを入れてお店で簡単に切れるようにする、といったことを行っていますね。そうすることで、お店のパートさんでも簡単に仕込み・調理をできるんです。前職では事業の一つとして寿司屋の運営も手掛けていましたので、その中で加工のノウハウも蓄積してきました。今、そうした経験が活かされています。
竹原 お客様は大いに助かっているでしょうね。お話も尽きませんが、最後にこれからの展望をお聞かせ下さい。
佐々木 現在、飲食事業を始めるべく構想を練っているところで、水産加工業については、ゆくゆくは部長を中心に若いスタッフたちに託そうと考えています。もともとこの会社は、地元に残って頑張っているスタッフの生活の糧を得るために始めたもの。皆で頑張って得た利益は、新たな事業展開などへのチャレンジに活かしてもらいたいです。大変な時期を一緒に乗り越えてきた皆には、家族同然との思いがあります。彼らには、好きなことに挑戦していきいきした人生を過ごしてほしい。それが私の何よりの願いであり、目標です。
竹原 私も応援しています! 本日は誠にありがとうございました。
社員たちとの絆が会社の基盤を支える柱となる
▼2011年3月、東日本大震災──。未曾有の震災によって、数え切れないほど多くの人が大切なものを失った。『三笑』の佐々木社長もその一人だ。「勤務先の会社も工場も津波で流され、自宅もなくなりました」。震災後得たのは、いくばくかの保険金。それに対し、家や家財道具、アルバムといった大切な思い出の品々など、失ったものはあまりにも大きい。しかし社長は前を向くために、その保険金を事務所立ち上げに使った。そして震災から1年経った今、ようやく業務も暮らしも落ち着きを取り戻してきたという。
▼「これまで一緒に働いてきたスタッフを、何とか雇用したい」との社長の思いからスタートした同社。それぞれ辛い思いを味わいながらも、共に支え合って歩んできたスタッフたちは、社長にとって家族のような存在だ。事務所立ち上げに際しては、「本当にこの厳しい状況の中で仕事ができるのか」と不安に駆られ、二の足を踏んだスタッフもいる。それでも最後は社長の人柄と熱意についていく覚悟を決めたという。こうした皆との強い絆は、今後も会社を支える大きな柱となるに違いない。
「困っている人の力になる──日ごろはそんな人でありたいと私も思っていますが、いざ自分が辛い状況に立ったらどうでしょう。きっと難しいと思います。被災後の厳しい状況下でも信念を貫いて行動に移してこられた佐々木社長は、本当に気骨のある素晴らしい方です。新たな事業でのご活躍も応援しています!」(竹原 慎二さん・談)
名 称 |
株式会社 三笑 |
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住 所 |
岩手県大船渡市立根町字細野3-10 |
代表者名 |
代表取締役 佐々木 隆男 |
掲載誌 |
リーダーズ・アイ 2012年9月号 |
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