経験に裏付けされた精密な技術で
通信環境をより快適に
長年にわたって電気通信工事業を手掛けている『東奥電設』。同社を牽引する柴田社長はこの道51年のキャリアを持ち、ダイヤル化やデジタルへの移行にも携わり、現在は光回線の業務を手掛けるなど、豊富な経験を活かしながら激変する時代のニーズに柔軟に対応してきた。業界の発展と共に成長を続ける同社を、俳優の三ツ木清隆氏が訪問した。
電気通信の発展と共に
豊富な技術を蓄積
三ツ木 まずは柴田社長の歩みから伺います。社会人の第一歩として就かれたお仕事は?
柴田 現在と同じ、電気通信工事業です。地元である青森の工業高校卒業後に上京し、かつての『電電公社』の通信関係の機械工事に携わりました。入社当時は日本全国におけるダイヤル化と機種変更の工事で忙しかったですし、その次はアナログからデジタルへの移行などの工事を手掛けてきました。
三ツ木 東京で様々な経験を積んでこられたのですね。地元に戻られたのは、何かきっかけがあったのですか。
柴田 都会の喧噪が苦手だったこともあり、いずれは故郷に戻りたいという思いはもともと抱いておりました。帰郷する前に実績を積むべく、事業を展開していたところ、地元で同業の仕事に携わっている友人が「帰郷を考えているなら戻ってくればいい」と背中を押してくれたため、この地で独立し、当社を発足させたのです。
三ツ木 独立当初はいかがでしたか。
柴田 すぐに山形県での工事を手掛けることができ、お陰様で比較的好調なスタートを切ることができました。地元・青森以外にも、秋田、岩手などの工事も手掛けており、各地を回れるのも楽しかったですね。私はデスクワークよりも現場の仕事が好きだったので、一カ月のうちほとんどが出張でも苦にならなかったのです。ただ、留守にされる家族は大変だったと思いますが……。
正確性を重んじることで
事業の安定化を実現
三ツ木 現在も、現場での工事がメインのお仕事なのですか。
柴田 現場工事はもちろん、工事完了竣工処理というデスクワークも業務の大半を占めています。
三ツ木 発注元からの業務の委託ですね。そうした仕事があると、業務が安定してくるのでは?
柴田 そうですね。ただ、仕事量は年度によって変動がありますから、その都度正確な仕事をしていかねば、継続的に仕事を引き受けることはできません。そもそも、発注元も「この会社ならどこまでの仕事が任せられるか」ということを判断した上で発注を出しているため、現状に甘えることなく、技術や品質は常に磨いておかなければならないのです。
三ツ木 なるほど。御社の安定した業績は、確かな技術と地道な努力があるからこそ成し得たものなのですね。
仕事への強いやり甲斐が
技術力を高める原動力となる
三ツ木 工事の品質を保つためには、技術指導が欠かせないと思うのですが、その点はどのようにされているのですか。
柴田 元請けが開催している訓練や講習に参加させてもらっています。我々が手掛けている工事は一つひとつの作業が細かいですし、渡された図面を見て、工事を完遂できるようになるには10年はかかると思います。
三ツ木 そんなにもかかるのですね!
柴田 技術の進歩も早く、メーカーの仕様自体が変わることもあります。特に最近ではデジタル化が進み、ケーブルの本数が一気に少なくなり、機械も小さくなりました。それでも通信量は何倍にもなるなど、機能は格段に上がっています。
三ツ木 工事を行う際、スタッフの方にこれだけは注意してほしいというアドバイスはされていますか。
柴田 高品質を維持すること、そして安全性を確保することですね。通信工事を行う際は、通信を止めないで作業するため、新しい機器をドッキングさせる時も、通信が「生きている」状態で行います。そのため、失敗すると通信がシャットダウンされ、他の機器にまで影響を及ぼします。そんなことにならないよう、工事は細心の注意を払って行わなければならないのです。お陰様で、当社では設立から30年間大きな事故を起こさずここまでやってこれています。
三ツ木 素晴らしいですね。改めて30年を振り返って、いかがですか。
柴田 実は『電電公社』が民営化された時は、ほとんど仕事がない状態でしてね。廃業した同業者も多かったんですよ。当社も“借金を返すため”に会社を閉められなかったというのが正直なところです。ただ、私はずっとこの業界で生きてきましたし、何より現場の仕事が好きだったため、異業種への転身は考えたことがありませんでした。苦しい時期は6~7年ほど続きましたが、徐々に業績が回復。運もよかったのだと思います。
三ツ木 社長のお仕事に対する思いがあったからこそ、事業継続につながっていったのだと思います。
柴田 当社にはよいスタッフが揃っていますから、彼らと一緒に今後も成長していきたいですね。
三ツ木 陰ながら応援しています。
「工事の品質にこだわり“生きた通信”を守り続ける」(代表取締役 柴田 久雄)
幅広い視野で業務を見直し、持てる能力を常に発展させる
▼『東奥電設』のスタッフは平均年齢が若く、そのため、柴田社長はスタッフのさらなる成長を促すために新たな視点から人材育成に取り組んでいく構えだ。その一つが異業種交流である。電気通信工事の世界は業者が限られていることもあり、同じ規模の会社がどのようなシステムを導入し、どのような待遇で運営しているのか比較しにくいという。そこで社長は業種を問わず様々な人と交流することで視野を広げてほしいと考えているのだ。
▼また、自分の手掛けた業務が、どれだけの利益を生み出しているかを把握するという経営センスも必要だと社長は指摘する。「与えられた仕事をただこなすだけではいけない。自らの労力を集約し、質も効率も上げる努力ができなければ」と社長は語る。企業の中でも、そのように自立した意識を持つ人間こそが大きく成長していくのだろう。特に電気通信工事という、機械化することができない、自らの能力こそが要となる業務だからこそ必要な意識とも言える。同社にはそうしたプロフェッショナルが揃っているからこそ、長きにわたる実績を築いているのだ。
「51年というキャリアをお持ちの柴田社長。つらい時期であっても、他の業種への転身を考えることはなかったのだとか。この仕事へのやり甲斐を見出しておられる社長だからこそ、現在の実績を築いてこられたのだと思います。それだけの信念があって、重要なインフラを担うことができるのでしょうね」(三ツ木 清隆さん・談)
名 称 |
株式会社 東奥電設 |
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住 所 |
青森県青森市古館大柳88-6 |
代表者名 |
代表取締役 柴田 久雄 |
掲載誌 |
リーダーズ・アイ 2012年8月号 |
本記事の内容は、月刊経営情報誌『リーダーズ・アイ』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。