お客様にとっての“ムダ”はカット!
迅速・柔軟な運送サービスを実現
一般貨物自動車運送事業
仕事は絶対に断らない。
期待に応えんとするその姿勢が顧客にとっての“安心感”に
中田社長のモットー──。
それは、“仕事は絶対に断らないこと”だという。事実、これまで社長は一度も仕事を断らず、どんな無理難題にも全身全霊を傾けて応えてきた。
「何もそこまでしなくても……」
傍から見ればそう思うかも知れない。
それでもなお、社長が仕事を断らないのは、「お客様の期待に応えたい」という想いがあるから。
「お客様の困った顔を見ると放っておけなくて(笑)。“無茶だな”と思いつつ、つい請けてしまうんです」
そう言って笑顔を見せる社長は、顧客の期待に応えるべく、今日も全力で業務に挑む。
【足跡】 岐阜県飛騨市出身。学業修了後は地元にある大手非鉄金属メーカー系列の会社に就職。その後、運送業を営む父親を手伝うようになり、事業基盤の確立に尽力。2009年に『丸文サービス』を設立した。
長く個人事業者として活動し、2009年に法人化を果たした『丸文サービス』。元々、丁寧な仕事で評価を受けていた同社だが、法人化以降は、顧客のニーズにより合致した低価格かつスピーディーな運送サービスを提供し、さらに高い評価を得ている。本日は、そんな注目の運送会社を俳優の志垣太郎氏が訪問。地元でNo.1の運送会社を目指して、スタッフと共に日々邁進する中田社長に、色々なお話を伺った。
志垣 早速ですが、中田社長の足跡からお聞かせいただけますか。
中田 この飛騨市で生まれ育ち、学業修了後は地元にある大手非鉄金属メーカー系列の会社に就職しました。余談ではありますが、その会社は地元ではかなり有名で、地元での就職を目指す若者にとって、そちらに入社するのは一つのステイタスでもあったんですよ(笑)。そして、その会社で4年半ほど働かせていただいた後、運送業界に移りました。
志垣 一体なぜ、製造業界から運送業界に移ろうと?
中田 実は、親父が個人で運送業を営んでいまして。「他人の飯を食べた方がいい」という両親の勧めもあって、大手非鉄金属メーカーに就職しましたが、物心がついたころからずっと、トラックに乗る親父の姿を見て育ってきましたし、いずれは後を継ぐつもりでいました。そんな中である時、親父が体調を崩してしまったため、家業に入る決意を固めたのです。ちなみに、親父は一時入院したものの、そこから体調を持ち直し、現場に復帰しましたよ。
志垣 何よりです。それにしても、社長は本当に親孝行ですね。頭が下がりますよ。では、お父様が戻られてからは二人でお仕事を?
中田 はい。お客様の期待に応える仕事を提供すべく、親父と力を合わせて業務に邁進してきました。しかし、その中で「お客様のニーズによりマッチした仕事を提供するには、元請会社さんから仕事を請けるのではなく、自分たちで会社を立ち上げるしかない」と痛感しまして。そこで組織の法人化を決意し、少しずつ準備を進めながら基盤を固め、2009年に念願の法人改組を実現しました。
志垣 なるほど。現在は主に、どういった荷物を運んでいらっしゃるのですか。
中田 前勤務先である大手非鉄金属メーカー系列の会社の工場では、酸性の廃棄物が排出されるのですが、この酸性廃棄物というのは、中和しないと廃棄することができないんですね。当社では、その中和剤である消石灰を運んでいます。実はこの消石灰、工場が稼働している限りは必ず必要になるものでして。もし消石灰の供給がストップしてしまうと、廃棄物の中和処理ができなくなり、工場のラインを停止せざるを得なくなります。加えて、一度稼働がストップすると再稼働するまでには数日かかるので、工場は大きな損失を受けてしまう。つまり、消石灰というのは絶対に切らせてはいけないものなんです。
志垣 そんなに重要なものの運送を任されるとは、取引先企業が御社に寄せる信頼の篤さが窺えますね。
中田 ありがとうございます。ただ、切らせてはいけないからと言って、とにかく大量に運べばいいというわけではありません。工場内にある消石灰の貯蔵タンクにも、限界量というものがありますからね。そこで当社では、私が直接現場まで見に行って必要な量を確認し、常に適切な量が工場内にストックされている状態となるように、こちらで調整しながら運んでいるのですよ。
志垣 いちいち指示を出さずとも、必要な量を運んでくれるとは、取引先様からすれば大助かりでしょう。
中田 またトラックは倉庫代わりにもなりますから、常に荷物を積み置きしておき、お客様から連絡があればすぐに運べるようにしています。このようなスピーディーで柔軟な対応ができるのも、中間業者を介さず、お客様とダイレクトに連絡を取り合っているから。そうして面倒な作業の一切を省き、“より早く、より安い”お客様のニーズに合致したサービスを提供できるのが、当社の強みだと考えています。
志垣 なるほど。それがまさに社長が目指した仕事であったわけですね。
中田 はい。この業界にはまだまだ儀礼的な部分が色濃く残っていますし、省くことができる無駄な工程はたくさん残っているはずです。当社としても、現状に満足するのではなく、常に業務を見つめ直しながら改善点を見出し、お客様により一層ご満足いただけるサービスを追求していきたいと考えています。
志垣 御社であればきっと実現できると思いますよ。それではお話も尽きませんが、最後に将来の展望についてお聞かせいただけますか。
中田 スタッフを増員し、事業規模を拡大していきたいと考えています。そしてまずは地元でNo.1の会社を目指し、最終的には全国展開を果たしたいですね。苦境が叫ばれる業界ではありますが、当社独自の強みを打ち出し、スタッフと力を合わせて頑張って参ります!
志垣 陰ながらではありますが、私も応援させていただきます! 本日はお忙しいところ、ありがとうございました。
「価格では勝負しません。顧客本位のサービスを追求し、ニーズに応えていきたい」
(代表取締役社長 中田 利昭)
「取引先の工場内に入るのを許されるなんて、よほどの信頼を得ておられるのですね」
(ゲスト 志垣 太郎)
ピンチをチャンスに!
周知のように、運送業界を取り巻く環境はかなり厳しい。原油価格の高騰に伴う輸送コストの増加、地球環境問題に伴う排ガス規制、加えて出口の見えない不況……。多くの運送業者が悲鳴をあげるのも無理はないだろう。
だが、そんな厳しい状況の中でも中田社長の表情に暗さはない。「確かに運送業界の現状は厳しいですし、当社も決して楽ではありません。でも当社だけが大変なのであれば落ち込みますが、同業者も状況は同じ。みんな必死に耐えているのですから、当社も前を向いて何とかやっていかないと」。そして社長は、こう続けてくれた。「ピンチこそチャンス、という言葉もありますし、このハンディをプラスに変えていきたい」。
人は、厳しい状況が続くとどうしても塞ぎ込んでしまうもの。だが、それでは絶対に未来は開けない。社長のように、逆境にもめげず力強く歩む者にこそ、勝利の女神は微笑むはずだ。
「取引先の工場内に入ることを許されるなんて、よほどの信頼関係がなければできないことです。そのことからも、『丸文サービス』さんに寄せられる信頼の篤さが窺えますね。これからも顧客本位の迅速・柔軟な運送サービスで、お客様の期待に応えて下さい!」(志垣 太郎さん・談)
名 称 |
丸文サービス 株式会社 |
---|---|
住 所 |
【本社営業所】 岐阜県飛騨市神岡町吉田473 |
【車庫・倉庫】 岐阜県飛騨市神岡町釜崎383-19 |
|
代表者名 |
代表取締役社長 中田 利昭 |
掲載誌 |
トップフォーラム 2012年7月号 |
本記事の内容は、月刊経営情報誌『トップフォーラム』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。