2023年02月13日更新
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(株)忠正舎 対談取材記事

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故人と遺族の想いに寄り添い
新たな旅立ちを全身全霊で支援する

株式会社 忠正舎

代表取締役 瀬間 忠

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─略歴

■深い深い真心が故人そして遺族の満ち足りた笑顔をつくる

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─人ページ写真

真心を込めて、故人を死後の世界へ送り出す。“あの世への産婆さん”──。瀬間社長は、自身のその仕事をこう称する。

社長はかつて、生死の淵を彷徨った経験を持ち、その時に、確かに死後の世界を感じた。以来、社長はその存在を信じ、だからこそ、死を新たな旅立ちだと捉えている。

故人にとっても遺族にとっても、その門出がいいものとなるように──。それが、今の社長の何よりの願いだ。

故人の安らかな笑顔、遺族のほっとした笑顔が、社長の想いの深さを物語っている。


【足跡】 学業修了後は警視庁に入り、様々な現場で経験を積む。41歳の時、くも膜下出血で生死を彷徨うも、奇跡的に生還。復職を果たすが約4年で退職し、その後葬儀業に第二の人生を見出して、『忠正舎』を設立する。


葬儀に関する一切の業務を請け負い、要望があれば後日の法要や墓参りの手伝いも行う『忠正舎』。その真心のこもった対応は、戸惑いを覚え、悲しみに暮れる遺族に大きな安心感を与えている。「ご縁があってお請けした葬儀は最後まで責任を持ちたい」と、遺族との対応の全てを行う瀬間社長。これまでの人生を振り返っていただき、事業に懸ける想いを伺った。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─対談

大沢 早速ですが、瀬間社長の歩みから。

瀬間 社会に出て初めて就いた職業は、警察官です。交番勤務からスタートし、交通課に移ってからは白バイ隊やパトカー隊、刑事となってからは暴力団担当や機動捜査隊に配属されるなど、色々な現場で経験を積みました。合計で26年間勤めていましたが、本当に毎日がドラマチックでしたね。そんな私に転機が訪れたのは41歳の時。私は、昭和天皇崩御に関する仕事で、ある場所の警備にあたっていました。すると急に酷い頭痛に襲われ、意識を失ってしまったんです。すぐに病院に運ばれ、判明したのは脳の動脈瘤が破裂したということ。つまり、くも膜下出血に襲われたのです。即手術となりましたが、医師から言われたのは「助かる確率は五分五分。もし成功しても、後遺症は九分九厘残るでしょう」との言葉でした。

大沢 そんな……。でも、今こうしてお元気でいらっしゃるということは?

瀬間 私は運が強かったのでしょう。奇跡的に助かり、その後職場復帰も果たしたんですよ。気を配って事務職をあてがっていただいたのですが、机の前にじっと座っているなんて性格的に無理。希望して、再び機動捜査隊に戻してもらいました。ですが、やはり段々と不都合なことも生じるようになりましてね。4年ほどで退官を決意したのです。そのような事情でしたから無念が残らなかったと言えば嘘になりますが、今後は第二の人生を頑張ろうと、すぐに心を切り替えました。そうした時に出会ったのが、今手がけている葬祭業だったのです。

大沢 また、どのようなきっかけで?

瀬間 警察では死亡事件も扱いますので、葬儀会社の方々とも面識があったんですね。皆様とは親しくさせていただいており、私の事情を汲んで、葬儀業での再就職を勧めて下さったのです。これも何かのご縁だと思い、やるからには全力で取り組もうと、葬祭ディレクターの資格も取得しました。まず私の部下が独立して葬儀会社を始めるというので、そちらを立ち上げから手伝い、その後私も独立。つい3年ほど前に当社を興しました。

大沢 『忠正舎』という社名には、どのような意味が込められているのですか。

瀬間 私の名前の一文字「忠」と、妻の名前の一文字「正」をとりました。妻も介護の仕事の傍ら、この仕事を手伝ってくれていますので、二人の名前を付けたほうがいいと思ったのです。妻を除けば当社は基本的に私一人。もちろん、葬儀の際には同業の仲間に手伝ってもらいますが、ご遺族との対応は最初から最後まで全て私が行っています。

大沢 お任せする方が一貫して同じだと、ご遺族としても安心でしょうね。

瀬間 皆様そうおっしゃって下さいますよ。大手の葬儀会社ですと、窓口や担当の者が随時異なる、ということも少なくありません。すると、ご遺族はいつも初対面の人と話さなければならなくなり、それがストレスになることもあるんですね。それに、大切なご家族を亡くされたばかりのご遺族は、心に余裕が無くなって、言われるがままにことを進めてしまいがち。その点、当社は基本的に私一人で全てを担当しますので、ご遺族も相談しやすいと思います。

大沢 誰だって、人生最期の時を快く送り出してあげたいものです。

瀬間 私は、ご要望があれば、四十九日から一周忌、三回忌までのお手伝いもさせていただいていまして、ご住職とも連絡を取り、法要の準備と進行、時にはお墓参りにも同行しているんです。それらはほとんどボランティアで行っていることなのですが、求められるならそこまでさせていただくことが私の責任だと思っています。もちろん、この規模だからこそできることでもあるのですが、その姿勢は今後も貫き続けたいですね。

大沢 そこまでお客様のために尽くせる原動力とは何でしょう。

瀬間 私ぐらいの歳になると、自然と周囲の方々を大切にしたいと思うもの。ご縁があって葬儀を依頼して下さった方々に対して感謝の気持ちを持ち、でき得る限りのお手伝いをして差し上げたいという真心は自然と湧いてきます。私だってこれまでたくさんの人に助けられてきましたし、この仕事に導いてくれたのも大切な仲間たち。この仕事を通して、一人でも多くの方に満足してもらうことで、ご恩返しができれば本望です。

大沢 最後に、今後の目標を。

瀬間 自社で式場を持ちたいと思っています。何も大きなホールでなくても、家族葬が行えるほどの規模でいいんです。むしろ、今後は家族葬が主流になっていくでしょうし、身内だけで落ち着いて故人を送り出せるような式場で、心ある葬儀を提供したいですね。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

Column

警察官時代に、九死に一生を得た瀬間社長。その時のある体験をきっかけに、若くして「死」について特別な意識を持つようになったという。その体験とは、「臨死体験」。白黒の世界の中、目の前には川が流れ、向こう岸には花畑が広がり、知らない人たちが立っている。話にはよく聞く風景だ。しかし、実体験としてそれらの景色を目の当たりにした社長は、死は“終わり”ではないと悟った。だからこそ今、故人の新しい旅立ちを支えたい、と心から思えるのだ。無論、その想いは残された遺族にも向けられている。「故人と遺族、両方にとって満足のいく式が実現できるよう、お手伝いがしたい」。その想いが通じ、「とてもいい葬儀でした」と、遺族から感謝されることが何よりの喜びだと語る社長。きっと、これで遺族も心置きなく明日からの人生を前向きに生きられるに違いない。

葬儀は、故人にとっても遺族にとっても新しい扉を開くための重要な節目。社長は、人生の大切な時に関わるこの仕事を心底誇りに思い、日々、心を込めた葬儀を執り行っている。

対談を終えて

「瀬間社長のもとには、学生時代の級友や警察官時代の同僚、趣味であるツーリングのハーレー友達など、たくさんの仲間たちからも依頼が寄せられるそうです。その人望の篤さから、社長がこれまでどれほど人に尽くし、豊かな人生を歩んでこられたかが想像できますね。『私にとって仲間は人生の財産。皆のために尽くせることは何よりの喜びです』と笑顔でおっしゃる姿がとても印象的でした。これからもその温かい笑顔で、ご遺族の心に寄り添い続けて下さい」(大沢 逸美さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名  称

株式会社 忠正舎

住  所

【本社】

埼玉県狭山市北入曽498-8

【所沢営業所】

埼玉県所沢市若狭4-2501-28-101

代表者名

代表取締役 瀬間 忠

掲載誌

トップフォーラム  2012年6月号

本記事の内容は、月刊経営情報誌『トップフォーラム』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。