2023年02月13日更新
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特定非営利活動法人 フェニックス会 対談取材記事

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お酒に悩み苦しむ人々に、
希望と自信を取り戻させる場であり続けたい

特定非営利活動法人 フェニックス会

理事長 堅田 英雄

【異業種ネット】月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』特別取材企画 掲載記事─略歴

「一人の力では難しくても、団結すれば必ず壁は乗り越えられる」

【異業種ネット】月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』特別取材企画 掲載記事─人ページ写真

堅田理事長は、かつて“お酒”に依存していた過去を持つ。過ぎた飲酒により自らの肉体を苛むだけでなく、周囲にも迷惑を掛けた。

そんな理事長に立ち直るきっかけを与えたのは、断酒会での仲間との出会い。見事飲酒を断ち切った理事長は、今後は社会に恩返しをして生きようと決意する。そうして、酒害者当事者や支援者と共に設立したのが『フェニックス会』だ。

酒害者を対象とした作業所の運営を担う同会が最も重んじているのは、お酒を断ち切りたいと願う人々にとっての、仲間づくりの場を築くということ。“仲間がいれば克服できる”。理事長は今日も先頭に立ち、その事実を伝えている。


【足跡】 自らもアルコール依存に打ち勝った経験から、1976年より断酒会での活動に携わるように。以降、堺市や大阪府の断酒会で会長を務めるなど、数々の要職を歴任する。酒害者の人々が昼間に過ごせる作業所の必要性を行政に提言し、酒害者当事者による『フェニックス会』の結成を経て見事実現させる。


酒害者の人々が昼間に過ごせる作業所の設立を目指し、1997年に結成された『フェニックス会』。現在、4軒の事業所を運営し、行政・医療・断酒会関係者が一体となって、お酒を断とうとする人たちの仲間づくりの場を築いている。タレントの布川敏和氏が同会を訪問し、堅田理事長にお話を伺った。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』特別取材企画 掲載記事─対談

布川 まずは、『フェニックス会』さんの活動内容からお聞かせ願えますか。

堅田 私共は、「酒害者」──自らの意思で飲酒行動をコントロールできなくなり、身体を壊したり家族に迷惑をかけてしまったことでお酒を断とうと奮闘する、いわゆる「アルコール依存症」と呼ばれる方々を対象とした、就労継続支援B型事業所を運営しています。ミーティングやオリエンテーションなど様々な活動を通じて、お酒に悩み苦しむ方々が孤独に陥らないよう、仲間づくりの場を提供しているのですよ。

布川 堅田理事長は、そもそもどのような理由でこうした事業所を立ち上げようと?

堅田 実は、私もお酒に依存していた過去がありまして。断酒会に参加してアルコール依存を克服してからは、自らも役員として地域の断酒会の活動に携わっていました。その後、堺市や大阪府の断酒会の会長など要職を務めさせていただく中で、微力ながら断酒会の発展や普及にも貢献できたと思っています。そうした功績が認められ、ある日堺市の行政に携わる方々から「何か望むことはないか」と問われましてね。そこで、私はかねてより必要性を感じていた作業所の設立を提言したのです。酒害者の方々は離婚を経て単身者であることが多く、また職にも簡単には就けません。ところが、断酒会は基本的に夜しか行われないため、そうした方々が昼間に何をして過ごしているのかがずっと気掛かりだったのです。事実、「昼間の酒の誘惑から逃れ、飲まないで済む場所がほしい」と仰る方も少なくありませんでした。そこで、先の提言をきっかけに本格的に作業所設立の実現を目指すべく、1997年に酒害者当事者により『フェニックス会』を結成し、同時に行政・医療・断酒会の関係者と共に「堺酒害者作業所準備委員会」を設置。2年後に、念願のグループルーム『フェニックス』を開設した次第です。その後、堺市より補助金も交付されるようになり、2005年にはNPO法人として独立。事業所の数も11年の12月にオープンしたばかりの『泉夢庵』を含め、4軒にまで増えました。

布川 利用者の方々は、事業所ではどのような生活を過ごされているのですか。

堅田 元々、私共のコンセプトは、堅苦しいことは抜きにして少しでも皆で楽しく過ごそうというもので、まずは皆でお昼ご飯を一緒に食べようということからスタートしました。ですから、今でも毎日欠かさずしようと決めているのは「皆でお昼ご飯を食べる」ことぐらい。もちろん、業者から内職を請け負い、就労の機会も設けていますが、参加は強制ではなく勤務時間も自由に決めていただけ、出席日数と時間に応じて工賃を支給しています。

布川 焦ること無く自分のペースで一歩一歩進むことができるのですね。

堅田 酒害者の方々は、お酒を一生断ち切らなければならない立場にいます。たとえ、10年間一滴も飲まずにいれたとしても、1杯でも飲んでしまえば元の黙阿弥なのです。だからこそ無理は禁物ですし、私共も年中無休の体制を採って、皆が日中から自由に集まってお酒のことを忘れられる環境の提供に努めているのですよ。先程申し上げましたが、『フェニックス会』は酒害者当事者により立ち上げられた酒害者支援の団体で、私を含め現在もスタッフの大半は当事者。事業の失敗や家族間の問題など、お酒に依存するようになったきっかけは人それぞれですが、その苦しみは十分に理解しています。そうした意味ではここに指導員はおらず、皆が共に寄り添いながら互いに成長し合っているのです。もちろん、素人だけでは危険ですので、理事の約半数の方を医師の方に務めていただくなど、医療との連携もしっかりと取っています。

布川 こちらで依存を克服した方の中には、共に働きたいと仰る方もいるのでは?

堅田 ええ。まさに職員を増やすという時に、利用者の中から本気で志望する者を採用しました。そういう方は皆、ここで働きたいという確固たる信念を掲げて、生活保護を打ち切って入職なさるんですよ。少しずつでも社会との関わりを持てば、生きる自信やプライドを取り戻すことにもつながります。ですから、ただ皆が安心して集える場所を増やすというだけでなく、今後ともますます多くの雇用を生み出していきたいですね。そして、ゆくゆくは酒害者の方々を対象とした老人ホームをつくりたい。身体の自由が利くうちはこうして仲間と過ごせる場所に通えても、いざ年を取った時にどうするかという不安を抱える方も少なくないでしょう。その不安を払拭するためにも、最期まで仲間に囲まれて過ごせる場を築きたいのです。これは、目標や夢ではなく、私共の使命だと思っています。頼もしい仲間と協力し、必ず実現させますよ。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

生きる喜びを見い出せる場

□かつて、お酒への依存から逃れられない人々は“怠け者”や“意志が弱いだけ”といって、社会から隔離される立場にあった。それが医療の発達に伴い、「アルコール依存症」という病気として認知されるようになってからは「治療しなければならない患者」として扱われるようになったのだ。様々な治療法が講じられる中で、当事者自身が考え出したのが「断酒会」という方法だった。それは、当事者が集まり、ただ過去の体験を語り合うという至ってシンプルなもの。だがその効果は極めて大きく、集いはやがて全国へと広まっていく。約50年前には「全日本断酒連盟」として組織化され、今でも多くの断酒会が各地で開かれている。

□そして今、再び当事者の手により立ち上げられ、酒害者に新たな可能性と希望をもたらす場として輪を広げているのが『フェニックス会』だ。昼間に過ごせる場がほしい、仲間と一緒にいたい、という酒害者の心の声を受け、行政・医療・断酒会関係者が一丸となってそうした環境の充実に努めている。一度は失った生きる喜びを見い出せる場として、これから更に発展を続けていくだろう。

対談を終えて

「こちらに通われている方の中には、私には想像もつかないくらいの辛い過去をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。しかし、仲間に囲まれている時の表情はとてもいきいきとしておられ、いかにこちらが皆様にとって大切な場となっているかが伝わってきました。堅田理事長の『一人では難しくても、団結すれば必ず壁を乗り越えられる』という言葉がとても印象的でしたね」(布川 敏和さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名  称

特定非営利活動法人 フェニックス会

住  所

【フェニックス会事務局】

大阪府堺市堺区榎元町4-1-11

【就労継続支援B型事業所】

フェニックス

大阪府堺市中区東山721-4

フェニックス・リング

大阪府堺市堺区榎元町4-1-11

ワンデイ

大阪府高石市取石1-7-6

泉夢庵

大阪府岸和田市下松町829-4

代表者名

理事長 堅田 英雄

掲載誌

ザ・ヒューマン  2012年2月号

本記事の内容は、月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。