2024年09月03日更新
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栄建築(株) 対談取材記事

名刺
動画

大手とは一線を画した
完全自社施工を貫き
喜ばれる家づくりを追求

総合建築業 兵庫県知事(4)第551325号
宅地建物取引業(2)第550111号

栄建築 株式会社

代表取締役社長 井上 一幸
奥様 井上 未佳

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─略歴

「一つひとつの家づくりに魂を込め 子どもが自慢できる家を創り上げる」

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─人ページ写真

29歳のときに『栄建築』を創業した井上社長。以来「一邸入魂」を掲げ、妥協のない家づくりを行ってきた。

「家というのは家族皆のもの。いい加減な仕事をすると、その家の子どもが友達を呼べなくて恥ずかしい思いをする。だからこそ、子どもたちが周りに誇れるような家づくりを目指してきた」と語る。

職人として技術を研鑽するのは当然として、そこに住まう人を思う温かい気持ちを忘れずに施工にあたってきたからこそ、多くの人から喜ばれる家づくりを実現できたのだろう。今後も魂を込めた家づくりを続けていく構えの社長。たくさんの家族に笑顔をプレゼントしてくれるに違いない。


【代表取締役社長 井上 一幸氏の足跡】

兵庫県出身。子どものころから建築業に興味を持ち、学業修了後は工務店で修業を開始する。11年間にわたって様々な経験を積み、1987年に独立した。現在も建築業の基本を忘れず技術の研鑽に余念がない、根っからの職人である。


人にも環境にも優しい木造住宅の建築をメインに、建築設計と管理、建設、不動産など幅広い業務を手掛けている『栄建築』。1987年の設立以来、約25年にわたって数々の実績を築き上げてきた企業だ。そんな同社を大沢逸美さんが訪問し、今も現場第一線に立ち続ける井上社長と奥様の未佳さんにインタビュー。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─対談

大沢 井上社長が建築業に興味を持たれたきっかけからお聞かせ下さい。

井上 学生時代から手に職を付けて自分の足で歩んでいきたいと思っていましたので、建築の世界へ進むことにしたのです。親もその思いを理解してくれましたので、学校卒業後は職人が一人もいなかった工務店に就職することにしました。と言うのも、私は少しでも早く技術を身に付けたいと考えていましたので、規模の大きなところで少しずつ身に付けるのではなく、実践の中で学んでいこうと考えたのです。それで、親方が一人で現場を請け負っておられた工務店に就職し、修業をスタートしました。

大沢 では、当時から独立を視野に入れておられたのですか。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

井上 はい。初めて親方の下に伺ったときにも「将来独立するための修業をさせて下さい」と宣言したぐらいですから(笑)。今考えればかなり失礼なことを言ったと思いますが、親方は私の思いを受け止めてくれたんです。そして、大工の親方になるための技術だけでなく、材料の買い付けからお客様との接し方、ゴルフのルール、お酒の飲み方など大人の男としての生き方も教えて下さったのですよ。

大沢 素晴らしい親方と出会えたのですね。何歳のときに独立を?

井上 11年勤めて29歳のときに独立しました。当初から最低10年は修業をするつもりでしたし、師匠は1人だけと決めていましたので、他所で仕事をしたことは一度もありません。そうした意味でも、私の意思を尊重して様々な指導をして下さった親方にはいくら感謝しても足りませんね。

大沢 独立時には既にご結婚をされていたのですか。

井上(未) はい。私も親方のところで事務員としてお世話になっており、それが縁で結婚に至りました。親方の奥様を見ていて、親方の妻は大変だと思っていましたし、そもそも夫に親方が務まるのかどうか不安でしたので(笑)、独立当初は心配ばかりしていたのを覚えています。それでも良い意味で期待が裏切られ、夫は親方として人一倍働いてくれましたし、その中で私も様々なことを身に付けてきたのですよ。

大沢 どのようにして周囲と信頼関係を構築していかれたのでしょう。

井上 木造建築をメイン業務にしていましたが、最初からそれだけでは運営できなかったので、下水工事など住宅建築以外の仕事も積極的に行っていたんです。そして一度請け負えば、どんな簡単な作業でも手を抜くことなく、一つひとつの現場に全力で取り組んできました。そうしたがむしゃらな姿勢が認められ、少しずつ建築業務も舞い込むようになったのです。ありがたいことに現在は木造の一般住宅を中心に手掛けることができており、嬉しく思っております。

大沢 今日まで続けてこられた要因はどこにあると感じておられますか。

井上 修業時代の原点を大切にしてきたからでしょうか。実はハウスメーカーが勢いを増してきたころ、経営状態が悪化したことがありまして。そのときに、モデルハウスを造ったり営業スタッフを入れたりすれば売り上げが増えると思ったこともあったんです。しかし、私どものような工務店が手掛けても効果は薄いでしょう。そこで考えを一変させ、素材や工法、保証を整えてお客様に喜ばれる家づくりを追求することにしたんです。そうしてあくまでも昔ながらの技術を大事にしながら、お客様の不安や悩みを全て解決できるように自社施工での家づくりに励んできたのですよ。

大沢 その実現のために職人さんたちにどのような指導をされているのですか。

井上 「これぐらいで良い」という妥協を一切させないことです。私たちは技術を売る仕事をしているのですから、そこだけは譲れません。そうして一人ひとりが高い目標を持ち、少しでもお客様に喜んでもらえる技術を追求してきたのです。その姿勢を社内で統一したことが成長につながったのだと思っていますし、そうした努力の結果、職人の技能大会で受賞する職人を何人も育てることができました。体力的に辛いときもあるでしょうが、いつも全力で取り組んでくれている皆は私にとって自慢の職人ですよ。

大沢 最後にこれからの目標を。

井上 私がこの仕事でやり甲斐を感じるのは、施工完了後にお客様の喜びを見たとき。笑顔を見たり「ありがとう」という言葉を聞いたりすれば、どんな苦労も報われます。そうした言葉を一人でも多くのお客様から戴けるようにこれからも努力を重ねていきたいですね。一方では、たくさんの職人を独立させたいですし、いずれは従業員に後を託したいと思っています。そして、私の考えを後世に伝えてくれれば嬉しいです。

親方からの言葉を胸に努力を重ねる

▼『栄建築』の井上社長は修業先の親方からの言葉を今も大切にしている。それは「何があっても戻ってくるな。そのために努力し続けろ」との言葉だ。そのメッセージを胸に刻み、社長は常にレベルアップを目指し研鑽を積み重ねてきたという。なるべく住む人や地球環境に優しい素材を使うことを徹底したり、耐震性に優れた工法を採り入れたりと工夫を凝らし続けてきたのも、全てその言葉が原動力だったそう。人は立場が変わったり年齢を重ねたりすると昔のことを忘れがちになる。その中で基本を忘れずに努力し続けてきた社長だからこそ、会社を成長に導き確固たる地位を築くことができたのだ。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

「社長を支える中で私自身も様々なことを学ばせてもらえました」(奥様 井上 未佳)

対談を終えて

「長年の修業を経て独立する際、亡きお母様の名前から『栄建築』という社名にしたという井上社長。そうしたところに人を大事にする姿勢が見えますし、25年経った今も順調に経営を続けられている理由の一つとなっているのだと感じました。今やこの地で多くの方に信頼される建築業者となっておられるようですし、その立派なお姿を見て天国のお母様も喜んでいることでしょうね。」(大沢 逸美さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名  称

栄建築 株式会社

住  所

【事務所】

兵庫県赤穂市城西町15番地の5

代表者名

代表取締役社長 井上 一幸

U R L

http://sakae-kenchiku.com

掲載誌

報道ニッポン  2012年1月号

本記事の内容は、月刊経営情報誌『報道ニッポン』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。