2024年09月03日更新
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田村工業 対談取材記事

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センスと高い技術力、
細やかなサービスで
信頼と実績を築く

ニチハ外装工事代理店

田村工業

代表 田村 貴啓
奥様 田村 祐美

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─略歴

【代表 田村 貴啓氏の足跡】

沼田市出身。18歳のときに知人の紹介で外壁工事の世界へ入る。その後は着実に経験を重ね、わずか22歳で独立を果たした。同業他社の応援に加わるなど地道な活動が功を奏し、徐々に経営は軌道に乗るように。現在は3名の職人たちとともに施工に励んでいる。


外壁工事業を請け負うべく、1997年に田村代表が立ち上げた『田村工業』。現在は外壁のみならず壁、屋根など外装工事全般を手掛けており、その美しい仕上がりによって多くの顧客から篤い信頼を寄せられている。丁寧な施工を重ねて着実に実績を築いてきた代表と対談に同席された祐美さんにお話を伺った。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─対談

大沢 はじめに、田村代表の歩みからお聞かせ下さい。

田村 地元・沼田市で生まれ育ち、学生のころはキックボクシングに打ち込んでいました。ある日知人から「外壁工事の仕事があるのでやってみないか」と声を掛けられ、18歳で職人の道に飛び込んだのです。

大沢 実際にお仕事をしてみて、いかがでしたか。

田村 外壁材が思ったよりも重く、体力的に大変な仕事だと思いましたね。しかし、元々身体を動かすことが好きだったので「丁度良いトレーニングになるな」と感じ、仕事は少しも苦にはなりませんでした。それに、経験を重ねて技術を身につけていく過程も楽しかったですね。そして、22歳のころに外壁工事専門の職人として独立しました。

大沢 随分お若いころに独立されたのですね! 周囲の方に反対されませんでしたか。

田村 もちろん反対されました。ですが「職人として生きていく以上、親方になって自分で道を切り拓いていきたい」と思ったんです。それに、昔からより困難な問題に立ち向かう方が燃える質でしてね。必ず何とかなると思って独り立ちしました。

大沢 それで独立後、お仕事はいかがでしたか。

田村 それが全く仕事がなくて。思い通りにいかず、独立は早まったと感じたことさえありましたね。ですから、しばらく昼間は同業他社の応援に行き、夜は営業に出掛けたんです。休む暇もありませんでしたが、そうした努力が周囲から認められて、独立から1年後にはお客様からお仕事を戴けるようになりました。それから徐々に依頼数が増え、従業員も増員していったのです。

大沢 従業員の方は、現在何名いらっしゃるのですか。

田村 今は3名の職人と、協力業者の力を借りて施工にあたっています。かつては9名ほど在籍していたのですが、腕を磨いて独立していった職人もいましてね。従業員たちの成長は、自分のことのように嬉しく思っています。

大沢 業務内容は独立時と変わらず、外壁工事を専門とされているのですか。

田村 今では業容を拡大しており、外壁の他に、屋根をはじめとする住宅の外回り工事全般、防水工事、シーリング工事などをお請けしています。リフォームの際にお声を掛けて頂くこともありますね。

大沢 どんな点がお客様から評価されているのだとお考えですか。

田村 プロですから、技術を提供するのは当然のことです。我々はそれ以上の付加価値を提供することを重視しています。例えば、夏場なら家の外には雑草が茂るので、作業に入る前に草むしりをさせて頂いているんです。他に、屋根と外壁の色や材質のコーディネートをご提案させて頂くこともありますね。

大沢 それは職人さんのセンスが問われますね。

田村 ええ。家の外観というのは、人で例えると服のようなもの。常に他人の目にさらされ、印象を決めます。そこを任されるのですから、自分のセンスに自信を持っていなければできません。この仕事は決して難しい技術は必要ないのですが、体力とセンス、そしてお客様のニーズを引き出すコミュニケーション能力が必要とされるんですよ。

田村(祐) 代表はいつも自信を持って仕事をしているんです。ときどき、道を歩いていると「あれは自分が施工した」と胸を張って教えてくれますね(笑)。

大沢 その自信はどこから湧いてくるのでしょうか。

田村 湧いてくると言うより、自信を持っていなければお客様に失礼だと考えているんです。誰だって、大切な家の印象を決める施工を自信のない職人に託したいとは思わないでしょう?

大沢 確かにそうですね。

田村 私はお客様にとってのベストを考えているだけです。最近はローコスト住宅が流行しており、外壁に掛けられる金額も抑えられているのですが、その中で最も美しい状態を提供したいと努力しています。そのためには少々利益が少なくなっても、ランクが上の外壁材を使用することもありますね。そうした方針を認めて頂き、私どもが仕上げた家の外観を見て施工を依頼して下さるお客様もいらっしゃるんですよ。

大沢 丁寧に仕上げられた現場は最高の営業ツールになるんですね。最後になりますが、今後の展望をお願いします。

田村 外壁工事はもちろんですが、今後はクロスなど内装業も手掛けていきたいと考えています。そうして、住宅のオプション工事全てを担える施工会社として成長していきたいです。また、いずれは法人化してこれまで以上に安心して施工を任して頂ける会社組織をつくりたい。そのために、ますます知識と技術を磨いていく所存です。

大沢 是非頑張って下さい。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

「どんなときも代表は自信を持って仕事に臨んでいます」(奥様 田村 祐美)

志を同じくする職人とともに、被災地の復興を支援

▼今年3月に発生した東日本大震災は、人々に大きな哀しみと衝撃をもたらした。『田村工業』の田村代表も、テレビや新聞で連日報道される被害の様子を見て「自分にできることは何かないのか」と考え続けたという。そんなときに、福島県の仮設住宅建設の依頼が舞い込んできたそうだ。1週間ほど現地に滞在して屋根工事を行い、その経験がより一層「もっと皆さんのお役に立ちたい」という代表の気持ちを駆り立てることとなった。そうして震災から3カ月後、代表はその思いを少しずつカタチにしていった。

▼代表が考えたのは、建築・建設に関わる職人を全国から募集してチームを組み、被災地に出向いて仮設住宅の建設やガレキの撤去など、自分たちでできる復興支援に積極的に取り組んでいくという方法だ。そうして活動の主旨を理解して集まってくれた職人は、約14名。中には宮崎県から来てくれる職人もいるという。8月から現場に入るため、7月現在はその準備に奔走する毎日を送っていると代表は語ってくれた。

▼被災地には国内外からボランティアが集まっており、それぞれが自らにできることに精一杯力を注いでいる。その中でも、代表が中心になって結成したチームはプロの職人ばかりで、現地でも重宝されるに違いない。今、日本全国の人が「自分にできることは何かないのか」という気持ちを持っているが、日々の生活もあり、なかなか踏み出せないのが現実だろう。その中で大きな一歩を踏み出した代表とその仲間に拍手を送りたい。

対談を終えて

「田村代表が従業員の方に対する指導で重視しているのが、あいさつなのだそう。「あいさつができない人は仕事ができない」と言い切られていて、礼節を重んじる代表の姿勢が窺えました。そうして代表が育てられた職人さんは、皆さん優れた技術を身に付け、中には独立される方もいらっしゃるそうです。厳しくも温かく指導してこられた従業員の巣立ちはお寂しいに違いありませんが、代表は巣立ちの姿を見ることで「自分も益々頑張らなければ」と感じられるのだとか。今後も後進に負けまいとするその姿勢を大切にして下さい。」(大沢 逸美さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名  称

田村工業

住  所

群馬県沼田市井土上町1130

代表者名

代表 田村 貴啓

掲載誌

報道ニッポン  2011年11月号

本記事の内容は、月刊経営情報誌『報道ニッポン』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。