2023年02月13日更新
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(株)三波化粧合板 対談取材記事

名刺
動画

他社と同じ1000の仕事より、
当社にしかできぬ300の仕事を──
そんな強い姿勢で独自の立場を築き、
顧客のニーズに応える職人集団

株式会社 三波化粧合板

代表取締役 濱中 一仁

【異業種ネット】月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』特別取材企画 掲載記事─略歴

「現状に疑問を抱き、迷わず決断する。
それができるのはスタッフと仕入れ先様のお陰です」

【異業種ネット】月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』特別取材企画 掲載記事─人ページ写真

会社の転機が訪れた時、多くの経営者は決断を迫られる。濱中社長は冴え渡った決断力によって、自社を成長へと導いてきた。ある時、下請け業者として歩む自社のあり方に疑問を抱き、依頼を断ったのだ。

大きなリスクを孕んだ選択だったが、自社の強みを強化し会社はさらに発展。結果として、社長の判断は大英断となった。だが社長は「今があるのはスタッフと仕入れ先様のお陰」と謙虚な姿勢を崩さない。

その言葉には、共に歩む仲間への感謝の想いと絶大なる信頼感が滲む。類い希な決断力を発揮する社長を、多くの同志が慕い、集っているのだ。


【足跡】 大阪府出身。化粧合板を扱う父親のもとで幼少より技術を磨く。学業修了後、親からの出資金を元に起業。1990年に父親の会社と合併し、工場を新設。10年ほど前に代表取締役に就任して以来、常に市場の流れを先読みした判断で『三波化粧合板』を牽引し、高みへと導き続けている。


建築物の内装や家具の外装などに用いられる多種多様な化粧合板を製造している『三波化粧合板』。手間暇のかかる製品作りを短期で完遂するスタッフの技術力はずば抜けて高く、同業他社がひしめき合う業界において同社は確実に成長を続けている。本日は女優の島田陽子さんが、経営者としての類い希な才覚をいかんなく発揮する濱中社長にインタビューを行った。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』特別取材企画 掲載記事─対談

島田 濱中社長はこの業界一筋に歩んでこられたのですか。

濱中 ええ。父がこの業界に携わっていたため、小さいころから同級生の友だちと遊んだ記憶がほとんどないほど毎日のように仕事を手伝っていました。お陰で中学生のころには化粧合板に関する一通りの業務をすっかり覚えていましたね。ですから22歳で独立した時も、技術に関して悩むことはありませんでした。

島田 独立後は順調に?

濱中 ちょうど時代がバブル経済発展期を迎え、ものを作れば作っただけ売れましたから、うまく時流に乗って成長することができました。その後、規模拡大を目指して妻の実家の土地を借り、父の会社と合併して工場を新設したのです。現職に就任したのは10年ほど前ですね。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

島田 では扱っておられる化粧合板について教えてください。

濱中 化粧合板は一般の方には聞き慣れない言葉でしょうが、実は皆さん見慣れたものなんですよ。簡単に申し上げますと、ベニヤ板などの表面に化粧用材である突板を貼り付けたり塗装を施したりした板のことで、建築物の内装や家具の外装などに用いられています。鮮やかな発色のものやメタリックなものなど様々な種類がありましてね。特に天然の木目模様を印刷したシートを板に貼り付けた特殊加工化粧合板は無垢材を使用するよりも低コストな上、非常に美しいため、多方面で使用されています。

島田 同業他社さんも多いかと思いますが、その中で御社が生き残ってこられた理由はどこにあるとお考えですか。

濱中 他社のしないことをするという方針に則り経営を続けてきたこと、またスタッフの技術力や精神力の高さにあると考えています。多くの中小企業と同じく、私どもも以前は大手さんの下請け業者として寄せられる依頼にお応えすることで経営が成り立っていました。しかしそれでは変化の激しい時代についていけません。そこである時思い切って依頼を全て断り、今後の仕事について相談したのです。そうしたらいったん依頼がゼロになってしまいましてね。

島田 随分大胆な行動に出られましたね。その意図するところは?

濱中 例えば下請けの仕事を1000こなすのなら、自分たちにしかできない仕事を300生み出そうと考えました。この不況下でずっと下請けを続けていたら、大手さんの経営が傾けば私どももその煽りを受けて倒産の危機に直面します。それに下請けというのは、依頼を待つ立場──つまり常に受け身の姿勢をとっているわけですよね。これではいつまで経っても攻めることができないと思ったのです。

島田 なるほど。自社の揺るがない立場を築くために決断されたのですね。

濱中 はい。そうして試行錯誤を経て辿り着いたのは、他社が敬遠する小ロット・多品種の仕事をこなす現在の事業スタイルでした。通常なら1000~2000枚単位で受注し同ロット・単色で仕上げていくところを、私どもでは一枚単位から色やサイズの指定をお請けし、お客様それぞれのご要望に合わせた化粧合板を提供しています。ですから通常よりもずっと手間がかかるし、細やかさも求められる。しかし納期は絶対ですのでスピードも必要なんです。

島田 スタッフの皆さんの底力が試される環境だと思います。

濱中 そうですね。ただ先ほども申し上げたように、当社には高い技術力と精神力を備えた人材が揃っており、一人ひとりが納期を守りつつ、質の高い化粧合板を仕上げるという信念を持っています。プレッシャーに打ち勝つだけの体力・気力を兼ね備えた仲間が力を発揮し、結果を出してくれる。人に恵まれていると感じますね。それから忘れてはならないのが、仕入れ先様の存在。材料を提供してくださる方がいてこそ、私どもの活躍する場があるのですから。どんな時も的確でスピーディーな対応をしてくださる仕入れ先様にはいつも支えられてばかりで、感謝の気持ちでいっぱいです。そうして周囲の人の力のお陰で様々な依頼に応えられるようになり、当社を指名してくださるお客様が増えてきたんです。今では北海道から沖縄まで、全国から依頼を頂戴するようになりました。

島田 時代を先読みした社長の英断と、スタッフの皆さんのお力があって、御社の今があるのですね。では最後に、これからの意気込みをお願いします。

濱中 2011年前半は地上デジタル放送への移行に伴い、テレビとその関連商品を一新する方が増えた影響による依頼が多かったですが、7月以降は東日本大震災の復興事業が本格化しますから、そちらでもできる限り力を尽くす所存です。また企業として成長し続けるためには、もう一歩踏み込んだアプローチが必要だと考えています。今後は、製品を買っていただくだけでなく、こちらからお客様それぞれに応じた提案型営業を実践していきたいです。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

▲濱中潔取締役会長を交え、ゲストの島田陽子さんとともに記念撮影

【異業種ネット】月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

祖父の代から受け継がれる商売人の魂

▼「我が家には一風変わった教育方針がありましてね」──対談中、濱中社長は祖父の代から実践されてきた教育方針を語ってくれた。それは100万円で子ども全員を立派な商売人に育て上げるというもの。まず両親が長男に100万円の資金を与え、それを元に長男が商売を始める。そして長男が稼ぎ出した利益の中から100万円を捻出。それを資金に次男が事業を興す。さらに次男が得た収入を元に三男が独立するといった具合だ。こうしてたった100万円で兄弟全員を立派に育て上げる。だがそんなユニークな方針には厳しい現実も付きまとう。事業の失敗という現実だ。しかし社長は「もし失敗したらそれは能力がないということ。その時はサラリーマンになれと父から言われましたね」と笑って話す。厳しい教育には、商売人の魂を伝えようとする祖父の心意気と、子の持つ底力に対する親の信頼感が滲む。『三波化粧合板』の成功は、その方針が間違っていなかったことを如実に物語っていると言えよう。

対談を終えて

「濱中社長は料理がご趣味だそうで休みの日でも朝5時に起きてあれやこれやと動き回っておられるそう。“時は金なり”という言葉があるように常に時間を大切にされる姿勢がプライベートでも窺えます。そうした無駄のない考え方も、経営者としての素質を備えておられる証だと思います」(島田 陽子さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名  称

株式会社 三波化粧合板

住  所

【本社工場】

大阪府松原市阿保2丁目308-1

代表者名

代表取締役 濱中 一仁

掲載誌

ザ・ヒューマン  2011年9月号

※代表者名の“濱”は正しくはうかんむりの下が“眉+八”の異体字です

本記事の内容は、月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。