企業とは、人を育て共に高みを目指す場所──
“人”を基軸に据えるのが『PRIDE』の流儀なり
一般労働者派遣業 般23-301168
有料職業紹介事業 23-ユ-300742
「社員は私にとって“同志”。私1人でここまで来たのではありません」
『PRIDE』を船に喩えるならば、羽佐田社長は“船長”であり舵取り役だ。ならば、社員たちは“クルー”といったところだが、同社の特徴は、船長である社長一人が行き先を決めるのではないところ。
社長、そしてクルーである社員が共に甲板へ出て地図を広げ、人材派遣業界という海の様子を観察し、行き先を決める。順調に航海が進む日もあれば、深い霧の中を進まねばならない日もあるだろう。
しかしどんな時も、目的を見失うことはなく、一人のクルーも欠けることはない。「船を出した以上、引き返すわけにはいかない」──社長のその心が羅針盤となる。
【足跡】 愛知県西尾市出身。学業修了後は鋳物関連会社で派遣社員として働く。派遣業に携わる知人に派遣業界に入ることを勧められて独立。2004年に『PRIDE』をスタートさせた。自身で現場へ出て業界への理解を深め、また勉強を重ねることで、同社を成長へと導いてきた。
愛知県安城市で人材派遣業を手掛ける『PRIDE』。自動車関連業務を中心に、地域密着で人材を派遣する同社は数多くのスタッフを抱える精鋭企業だ。スタッフの教育やフォロー体制に万全を期すことで派遣先企業から信頼を勝ち得ている。本日はそんな同社を竹原慎二氏が訪問。羽佐田社長の経営哲学に触れた。
竹原 この辺りではやはり土地柄から、『トヨタ自動車』関連のお仕事が多いとか。沢山の人材を派遣していらっしゃるそうで、同業者がひしめいている中でも『PRIDE』さんが信頼を得ていることが窺えます。
羽佐田 当社は、この地に根差して事業を展開する地元企業が必要とされる時に必要な人材を提供することで、信頼を得てきました。人材派遣というのは得てして、派遣先企業と信頼関係を築くことなしには成り立たない仕事です。そのため、何を置いてもまずスタッフの質が良くなければいけません。当社は彼らの教育に力を入れていましてね。それは派遣先企業に対する責任でもありますが、それ以上に、当社が預かるスタッフが派遣先で評価されてほしいという思いからなんです。
竹原 派遣スタッフを、自社スタッフ同様に大切にされている、と。
羽佐田 ええ。一度採用した限りは、たとえ派遣先企業から切られてしまったとしても挽回のチャンスを与え、次の職場では立派に役目を果たせるよう教育します。派遣業に携わる我々にとって、派遣スタッフの至らない点を教育して直すことも、大切な仕事。『PRIDE』は、一度預かったスタッフをきちんと育てる会社でありたいんですよ。共に上を目指していける信頼関係を派遣スタッフとも築けるように、人材の教育に力を入れているんです。
竹原 そのように教育熱心だから、派遣先企業から「『PRIDE』のスタッフをぜひとも使いたい」と思ってもらえるのでしょう。
羽佐田 私は、「派遣だから」という言い方が好きではありませんでね。当社が派遣する大切なスタッフが、「やっぱり派遣だから無理か」などと言われることのないよう教育して、“使いたいと思ってもらえる人材”に育てたいんです。どうしたらスタッフのパフォーマンス力を上げられるだろうかと常に考えていますね。それはスタッフの働きが派遣先企業の成長につながるからであり、スタッフ自身が活躍できればやり甲斐を持って働けると考えるからです。
竹原 ここまでのお話から、社長は求心力のある方だなと感じます。派遣スタッフのみなさんはもちろん、『PRIDE』の社員の方々にとってもきっと、上司であると同時に“兄貴分”のような存在なのでしょう。
羽佐田 いいえ、とんでもない。私は人の上に立つタイプの人間ではないんです。『PRIDE』を創業した当時、派遣業を始めると言った私の言葉について来てくれる後輩たちがいましてね。言ってしまえば、私について来てくれる人間がいたからやらざるを得ず、後に引けなくなった(笑)。本来は、2番手でトップを補佐したり、下の人間との間を取り持つような立場が合う性分です。そのため社員との関係も、“同志”と言った方がしっくりきますね。「俺はこう思うが、お前たちはどうだ?」と問いかけて意見を聞き、“みんな”で方向性を見定めてビジョンを立てたいんです。社員と派遣スタッフの関係にしても同じ。社員には、きちんと派遣現場を把握した上で、派遣スタッフに働きに行ってもらっているという意識で送り出してほしいんです。
竹原 トップダウン型ではなく、フラット型が社長の理想とする組織の在り方だと。そんな社長が今、社員の方々と見据えていらっしゃるビジョンとは?
羽佐田 一言で言うなら、勝負をかけていきたいと考えています。人材派遣業は派遣先企業ありきの仕事です。当社は今後もこれまで以上に派遣先企業と人材の橋渡し役を担うと共に、自社でも仕事を抱えることで、万が一派遣先に窮するようなことになった時にスタッフの受け皿となれる体制を整えたいんです。
竹原 新規事業をお考えだと。でも、勝負をかけるには、厳しい時代でしょう。
羽佐田 確かに、厳しいですね。2008年のリーマン・ショック後は、「ここまで落ち込むか」と正直、悩み苦しみました。しかし、「ここで弱気になっては負けてしまう」と気持ちを切り替えてモチベーションを上げ、前だけを見て耐え凌いだんです。そして今は、震災の影響があります。ただ、リーマン・ショック時の落ち込みとは質が違うと私は見ていまして。世界不況は先が見えず不安でしたが、震災による景気の落ち込みに関しては、日本は必ず復興して景気も回復すると確信しているんです。それに、「このメンバーがそろっていれば大丈夫」との自信もある。経営難から人材を手放す企業もありますが、大切に育ててきた社員とスタッフですし、この厳しい時代を乗り切り成長していくためには彼らの力が必要です。不景気の今、むしろ営業マンの人数を増やして種を蒔いていますよ。
竹原 しっかり攻めの姿勢をとっていらっしゃいますね。
羽佐田 一度始めた事業。ここで立ち止まるわけにはいきません。星の数ほどの派遣会社がある中で、派遣先企業からも社員からも、そして派遣スタッフからも、「この会社じゃないと駄目なんだ」と思ってもらえる会社にしていきたいです。「5年後、10年後に、派遣先企業と当社、そしてスタッフみんなが笑顔でいられて、互いの存在に感謝できる環境をつくる」──これが当社の社訓ですから。
竹原 それを今後も貫いてください! 本日はありがとうございました。
「“使いたいと思ってもらえる人材”に育てる。それも派遣会社としての大切な仕事です」
(代表取締役 羽佐田 篤史)
顧客の心をつかむのは、努力する姿
派遣業に携わる知人の誘いがきっかけで、同業界で独立した羽佐田社長。スタートしたのは、2004年。折しも、労働者派遣法が改正されるなど派遣事業に携わる者、そして派遣スタッフにとって変化の年だった。そんな中で同業界に飛び込んだ社長は、無謀にも全くの未経験だったという。当初は営業へ行っては断られての繰り返し。しかし、徐々に「一度、頼んでみるか」と依頼をくれる人が出てきた。社長に、相手の懐に入り込むことができた要因を問うと、「私にも分かりませんが、一生懸命でした」と一言。そんな社長が顧客の信頼を得ることができた要因は何だったのか──。
若くして独立したため周囲の経営者はそのほとんどが年上だったが、対等に話ができる人間になりたかったという社長。知識も経験もないなら勉強すればいい──顧客の質問を一旦社に持ち帰って勉強し、翌日返答することも一度や二度ではなく、自ら現場に入って派遣を体験したこともあった。そうして蓄積したノウハウが今、事業において生きていることは言うまでもないが、社長の根気と粘り強さが相手の心に響いて信用という無形の財産を得るに至ったと言える。つまり、社長が顧客の懐に入れた要因は、自分自身を高めるためにコツコツ努力する姿勢にあったのだ。
「今は厳しい状況にあると言いながらも、屈する様子を全く見せられない羽佐田社長。お父様にもお話を伺うことができましたが、『息子は負けん気が強くて根性があり、自分の言ったことに責任を持つ男』だとおっしゃり、対談を通して私が感じた印象そのままでした。『ガチンコ・ファイトクラブ』も観てくださっていたそうで、何か通ずるものを感じましたね。ガッツのある方はやはり、時代がどうであれ元気だなと思いました!」(竹原 慎二さん・談)
名 称 |
株式会社 PRIDE |
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住 所 |
愛知県安城市小川町三日三升105-1 |
代表者名 |
代表取締役 羽佐田 篤史 |
掲載誌 |
ザ・ヒューマン 2011年9月号 |
本記事の内容は、月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。