2023年02月13日更新
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(有)クロキ工作所 対談取材記事

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先代から受け継いだものづくりに対する心意気で
取引先の望みを十全に叶える製品を生み出す

有限会社 クロキ工作所

代表取締役 黒木 泰子
取締役製造部長 田仲 稔

【異業種ネット】月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』特別取材企画 掲載記事─略歴

自動車部品や医療機器などの製造を手掛ける『クロキ工作所』。ハイクオリティーな製品には定評があり、納期、コストの悩みにも柔軟に対応できる体制が整っている。小規模な町工場ながらも、ものづくり企業として確かな存在感を放っているのだ。創始者である先代の遺志を受け継ぎ、実直にものづくり企業として歩みを進める同社を、竹原慎二氏が訪問した。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』特別取材企画 掲載記事─対談

竹原 ご創業はいつですか。

黒木 1971年で、私がまだ中学生のころでした。タクシー運転手だった父が鉄工業へと転身し、3年間の修業を重ねた後に立ち上げたのです。そんな環境下で育ちましたから、自然と家業を継がなければという意識が芽生えるようになり、学業修了後、入社。出産と育児のため一時会社を離れましたが、89年に復帰し、05年に父が他界したことを受けて跡を継いだ次第です。

竹原 田仲部長も先代のころから勤めておられるのですか。

田仲 ええ。先代は私にとっての師匠で、弟子としてずっと傍で学ばせていただきました。亡くなられる時には「娘を支えてやってほしい」との言葉をかけられ、「現場は何があろうとも死守する」という心持ちでこれまで取り仕切ってきたのです。

黒木 父は厳格で一本気な人でしたが、とても優しい人柄で、社内外を問わず人望は篤かった。そんな父から跡を継ぐのは正直大きなプレッシャーがのしかかりましたが、田仲部長の存在が大きな支えとなってくれましたね。

竹原 事業内容についてお願いします。

黒木 自動車部品や医療機器など、すべて合わせると2千種類もの製品を製作しています。先代のころに比べると、コンピュータ化が急速に進みましたから、その都度設備投資を行い、時代のニーズに対応できるようにしてきたのです。

竹原 中には難解な依頼もあるのでは?

田仲 そうですね。未知の分野のものもありますが、いつでも挑む姿勢を大切にし、目の前の課題を一つひとつクリアしてきたのです。その結果、会社としても確実にレベルアップしてこられましたし、それに伴いスタッフも増員することができました。

竹原 クオリティーを求められる現場ですから、人材育成も非常に重要でしょう?

田仲 育成については、特に重要視していますが、皆意欲的に現場に臨んでいますし、確実に腕を上げてくれているんです。現在在籍しているスタッフは先代が他界してから入社した者が9割を占めており、私自身、彼らに先代の遺志を伝えていくことこそが使命だと考えています。

竹原 最後に、今後の意気込みを。

田仲 短納期や高難度なものづくり、コストダウンなど、何か困ったことがあった時に「『クロキ工作所』にお願いしてみよう」と頼りにしてもらいたい。そのためにも、あらゆるニーズにお応えできるよう万全の体制を構築していきたいと思います。

黒木 小さな町工場ではありますが、志は大きく、人様のお役に立てる存在であり続けたいですね。現在、製造業にとっては厳しい時代ではありますが、知恵を絞り、スタッフたちと一丸となって取り組んでいく所存です。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

▲シビアな現場ながらも確かなものづくりで『クロキ工作所』を支えるスタッフの皆さんとの記念の一枚

対談を終えて

「対談中、黒木社長と田仲部長のお二人とも、終始朗らかな表情でお話を聞かせてくださいました。ただ、時折見せるシビアな視線に、事業に対する一本筋の通った心意気が感じ取れましたね。それこそが、まさに先代から受け継がれた何よりの財産なのでしょう。これからも大切に守り継いでいってください」(竹原 慎二さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名  称

有限会社 クロキ工作所

住  所

広島県東広島市黒瀬町南方122番地5

代表者名

代表取締役 黒木 泰子

掲載誌

ザ・ヒューマン  2011年8月号

本記事の内容は、月刊経営情報誌『ザ・ヒューマン』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。