幼いころより親しんだ祖母の味──
工夫を重ね、生野・鶴橋発のキムチを全国へ
【足跡】 大阪・生野出身。在日韓国人3世として、キムチをはじめ祖母や母親のつくる本場の韓国料理を食べて育った。社会人となってからは建設業の職人を経てキムチ製造会社に勤務。そして独立し、多くの人に親しんでもらえるキムチの完成を目指して試行錯誤し、オリジナルのレシピに辿り着いた。キムチを通じて感動と幸せを広めたいと奮闘中。
本場の味と日本人好みの味を融合させた「無限キムチ」を売りにしている『無限物産』。南原社長は試行錯誤の末に完成させた同キムチについて「究極の味」と話し、自信をのぞかせる。本日は、ソウルフードであるキムチを全国へ向けて売り出したいと意気込む社長を、俳優の志垣太郎氏がインタビュー。
──南原社長はご実家がキムチ屋さんなのですか。
いえ、そうではありませんが、私はここ大阪市生野区出身の在日韓国人3世で、幼いころから韓国料理を食べて育ちました。最初に就いた仕事は建設現場の職人でしたが、結婚して子どもができたことを機に転職。それがキムチ製造会社だったんです。もともと商売をやりたいとは思っていまして、キムチ屋に勤めた時にピンときました。そしてノウハウを得て、色んな店のキムチを食べて研究し、独立したんです。
──なるほど。では社長にとってキムチは「お袋の味」だったわけだ。
ええ。正確には「ハルモニ(祖母)の味」と言ったところでしょうか。祖母は韓国から日本に来た人なので、私が幼いころからずっと本場のキムチを手作りしてくれていたんです。なので私がキムチ屋で勝負すると知った時、祖母はめちゃくちゃ応援してくれましてね。試作するたびに食べてもらっていたのですが、孫が可愛いからか全部「美味しい」と言うんですよ(笑)。でもお客様の反応はもう一つといった感じで。そこで、私は勤務時代に日本人が苦手に感じそうな材料に目星が付いていましたので、それを抜いてつくってみると今度はコクが出ない。そのコクをカバーするものとして思いついたのが、鰹や昆布などをブレンドした和風のだしでした。そうして試行錯誤の末、本場の辛さはそのままに、日本人でも食べやすいまろやかな味わいの「無限キムチ」が完成したんです。
──研究なさったのですね。聞いているだけでも美味しそうだと感じます。
ありがとうございます。現在は小売はしておらず、販売先は焼肉店などの飲食店です。けれど嬉しいことに徐々に評判が広まっているので、小売の体制を整えて近いうちに鶴橋に2店舗構える予定ですよ。いずれは全国の皆さんに当社のキムチを食べてもらいたいですね。また焼肉店を出したいとも考えています。少しのお金を持って、家族で気軽にふらっと入れる店ができれば嬉しいですね。
──近年は昔よりも韓国料理に馴染んでいる人が多いですし、きっと御社の存在は認知されていくでしょう。生野・鶴橋ブランドという点も強みになりそうです。
おっしゃる通り、ブランドイメージを固めて社員が誇りを持って働ける会社にできればと思っています。皆が働いてくれているからこその会社ですから。そのためにも、まずはキムチづくりに精魂を注ぎます。
「『大阪のキムチと言えば無限キムチ』と言ってもらえるようになりたいと話された社長。そのお話しぶりからは、このお仕事への熱意と、ご家族や従業員への思いが感じられました。実に今後が楽しみな会社です」(志垣 太郎さん・談)
名 称 |
株式会社 無限物産 |
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住 所 |
【本社】 大阪府大阪市生野区林寺5-1-20 |
【工場】 大阪府大阪市生野区舎利寺3-6-4 |
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代表者名 |
代表取締役 南原 健人 |
U R L |
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掲載誌 |
月刊経営情報誌『センチュリー(CENTURY)』 2016年5月号 |
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