一つひとつの仕事を次につなげ、
不動産業を軸に確実な成長を期す
「新たなレールに乗ったとしても そこでまた結果を出せばいいんです」
「青写真に描いた人生と現実の人生は違うものです」──
高見澤社長は対談中、そう話した。この言葉だけではネガティブな印象もある。
だが社長は、「別のレールに乗るのも良いもの。そこで結果を出せばいい」と、前向きかつ、芯の強さを感じさせる言葉を続けた。
実際に社長は、学生時代に夢見た世界とは別の業界に進んだが、「これが自分の道」と、意欲を持って臨み、確実に結果を出してきた。
そうして現在『高尚』の舵取りとして順調に業績を伸ばしているが、社長はその現状に満足することなく、さらに結果をつないで前進を続けるだろう。
ビル管理を主軸に手掛け、高見澤社長が三代目を引き継いでからは不動産賃貸業や飲食業などに手を広げてきた『高尚』。さらなる事業拡大にも意欲的な、今後の成長から目が離せない注目の企業だ。本日は板東英二氏が同社を訪問し、社長の歩みなどを伺った。
──早速ですが、『高尚』さんの事業内容から伺います。
ビル管理を軸に、不動産賃貸事業、飲食店経営などを手掛けています。当社はもともと私の祖父が創業し、父が引き継いでいた会社です。そして父の他界を受けて私が三代目を継ぎ、その時に社名を『高尚』と改めさせていただきました。
──高見澤社長は、学校卒業後からずっと家業一筋で?
いいえ。大学卒業後は電機メーカーで働いていました。その時の上司には社会人として大切なことをたくさん教えてもらい、今の私の基礎をつくっていただきました。そしてしばらく働いたころ、父の病気を機に実家に戻ったのです。その後すぐに父は他界し、また同様の時期に母も体調を崩して入院していましたので、このころは日々両親の看病に追われていたことを記憶しています。しかし、自分が横浜に戻ってきた目的は「親の面倒を見るため」の一つのみだったので、家業を含めた全てにおいて「自分しかいない」「自分がやるんだ」という気持ちでした。
──それまで家業についてのご経験などは?
ありませんでした。でも「やる」と決めたのですから、前に進むことだけを考えました。まず何も知らなかった仕事を必死に覚えて、同時に周りの方々とコミュニケーションをしっかり取って人間関係を密にするよう努めました。そして飲食業などの新規事業に着手したこともあり、ある意味「自分が創業者」という気持ちを表すため、社名を変更させていただきました。私の今があるのは祖父や父のお陰であるので、感謝の意を込めて「高見澤」の「高」を使用した社名にし、現在に至っています。
──未経験からスタートして、よくぞここまで成長させられましたね。
私はもともとスポーツに関わる仕事をしたいと思っていたのですが、気が付いたら電機メーカーで信号機器を売っていた。そしていつの間にか不動産事業を営む家業を継ぐことに。人は誰でも生きる中で運命や使命があると思っています。私の今までの道のりは、全て偶然でなく必然。よって「これが自分の道だったんだ。これが自然な流れだったんだ」と思っています。人間は考え方を一つ変えるだけでいかようにも生き、色々な世界を見ることができるもの。そうして歩み、積んだ経験が一つひとつ実を結ぶ中で、それに喜びを感じながら次のステップへ進むことが大切だと考えています。私は歩む道は一つではなく、色々あることが大事であり、その中で経験を積み視野を広げ、それを「楽しみ・希望・力」に変えながら生きていきたいと思っています。
──とても前向きな、素晴らしいお考えですね。最後に、今後の展望を。
現状に甘んじることなく、攻めと守りのバランスを取って安定経営を維持しながら、発展していくつもりです。具体的には、飲食業での店舗展開に注力したいと考えています。そうして成長し、仕事で得られる喜びをさらに膨らませていきたいと思っています。
「高見澤社長はスポーツが大変お好きで、『高尚』さんでは『横浜F・マリノス』のスポンサーも務めておられるそう。趣味も仕事も、ますます充実させて下さい」(板東 英二さん・談)
名 称 |
株式会社 高尚 |
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住 所 |
神奈川県横浜市西区北幸2-7-10 高見澤ビルディング3F |
代表者名 |
代表取締役 高見澤 尚弘 |
掲載誌 |
月刊経営情報誌『センチュリー(CENTURY)』 2016年3月号 |
本記事の内容は、月刊経営情報誌『センチュリー(CENTURY)』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。