2024年09月03日更新
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(株)光興業 対談取材記事

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経験豊富な「冷媒」のエキスパートとして
あらゆる技術を以て被災地復興を成し遂げる

株式会社 光興業

代表取締役 星 光一

【異業種ネット】月刊経営情報誌『リーダーズ・アイ(LEADER’S EYE)』特別取材企画 掲載記事─略歴

「自分たちの仕事の先に、人の笑顔がある。 だからこそ頑張ることができるんです」

【異業種ネット】月刊経営情報誌『リーダーズ・アイ(LEADER’S EYE)』特別取材企画 掲載記事─人ページ写真

「冷媒」を専門に扱う職人集団として、宮城県を拠点に確かな実績を築く『光興業』。

主な業務はスーパーなどに設置された冷蔵・冷凍設備の施工だ。

一般の人々には馴染みのない仕事だが、「私たちはいわば“食”を支える縁の下の力持ち。その先には人の笑顔がある。

だからこそ頑張れるんですよ」と星社長は誇らしげに語る。

ちなみに、『光興業』の「光」の読みは、「ひかり」ではなく「ひかる」。

いつか社会の希望になれるように、「自分たちは自ら光るんだ!」と鼓舞する気持ちが込められているという。

先の震災後、一心不乱に各店舗の復旧に取り組んできた同社。

その存在は既に、地域の人々の「光」となっていることだろう。


冷凍・冷蔵設備工事を主体に、冷暖房設備工事や電気・設備工事、給排水設備工事などを手掛ける『光興業』。元々個人事業主として仕事を請け負っていた星社長が、東日本大震災を経て設立した会社だ。本日は、震災直後から被災地の復旧に取り掛かってきた同社を、俳優の穂積隆信氏が訪問。社長にお話を伺った。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『リーダーズ・アイ(LEADER’S EYE)』特別取材企画 掲載記事─対談

震災後すぐに事業を再開し
使命感を持って法人化を果たす

穂積 早速ですが、星社長の歩みから順にお聞かせ下さい。

星 宮城県気仙沼市の出身で、父は遠洋漁業に従事する船乗りでした。そのため子どものころは、『民宿 昭和屋』を営む祖父のもとで育ったんですよ。また、地元の水産高校を卒業してからは2年半ほど漁船に乗りました。しかし、先輩から「若いうちに色々と覚えたほうが良い」と言われたことをきっかけに船を下り、設備屋で修業を始めたんです。そうして技術を身に付け、2001年に青森県で『設備屋 光』を設立。個人事業主として、主に冷凍・冷蔵設備工事を請け負い始めました。その後は、岩手県盛岡市や宮城県仙台市にも出張所を構えたのですが、しばらくしてあの東日本大震災が起こったんです。

穂積 その瞬間、社長はどちらに?

星 宮城県の山元町で仕事をしており、車のテレビを見てすぐに避難しました。あの辺りも大きな被害が出たので、逃げ遅れていたらと思うとぞっとしますね。もっとも立ち止まっているわけにもいきませんから、震災の翌日には業務を再開しました。

穂積 素晴らしい行動力です!

星 人が生きていくためには、何よりもまず食べ物が必要です。そして、炊き出しに必要な生鮮食品などを保存するためには、冷蔵設備が必須。食品スーパーがいち早く再開できるようにと、寝る間も惜しんで働きました。資材なども全く運ばれてこない状況でしたが、ある材料を使ったり、同業者から借りたりしながら、自分たちなりに工夫して工事を続けていったんです。

穂積 まさに縁の下の力持ちですね。ところで、ご実家は気仙沼でしょう。そちらの被害もかなりのものだったのでは?

星 ええ。津波で跡形もなく流されてしまいました。それに、気仙沼の鹿折地区に大きな船が打ち上げられていたのを覚えていらっしゃいますか。

穂積 ええ、テレビで何度も。保存するか解体するかで議論されていましたね。

星 はい。結局解体されましたが、あの「第18共徳丸」は、かつて私が乗っていた船なんですよ。それが打ち上げられた光景を間近に見た時、運命的なものや使命感を感じましてね。もっと頑張らなければと、法人を立ち上げることにしたんです。そうして2012年、祖父の『民宿 昭和屋』をしのんで「冷媒屋」という屋号を付け、『光興業』を設立。また会社のロゴマークは実家の家紋から取りました。法人化によって、経理面や保険などで面倒な部分は増えたものの、請け負える仕事の範囲が広がり、結果たくさんの店舗を再開させることができましたので、決断して良かったと思っています。

穂積 『光興業』さんのご活躍によって助けられたお店や人々は、もう数え切れないほどでしょうね。

次代を担う若手職人を育て
震災復興に末長く貢献する

穂積 現在、従業員さんは何名ほどいらっしゃいますか。

星 協力してくれている一人親方を含め、およそ10名です。彼らの技術力、仕事のスピードは宮城県一。どこにも負けないと思っています。

穂積 社長と共に復興を支えてこられたことを思えば、同時にその志の高さも窺えます。

星 ありがとうございます。この業界は若手の職人が少ないので、今後も20代、30代の人材をどんどん採用していきたいですね。冷凍・冷蔵設備の仕事は、排水工事や保温工事、電気工事、換気工事、給水工事など、あらゆる技術が必要な分野で、言わば設備工事の集大成。全てをこなせるようになるまでには研鑽が必要ですし、ハードな仕事でもありますが、やり甲斐は大きいと思っています。そうした魅力を若い世代に伝えていくのも、私の役割です。

穂積 被災地の復興がまだまだ途上にあることを思えば、必要とされる場面も多いでしょうね。

星 ええ。市街地のかさ上げ工事が終われば新しい店舗や工場も建ってくるので、そちらの仕事も増えていくと思います。また現在、冷凍冷蔵機器に使用されているR-22という冷媒が、2020年までに廃止されることが決まっていましてね。工場やスーパーは新しい設備に切り換える必要がありますから、需要は大きいでしょう。そうした仕事を通して若い人材を育て、自社の基盤を固めていきたい。さらに、いずれは地元・気仙沼にも新たな拠点を立ち上げ、町の活性化に貢献していければと思っています。

穂積 御社の歩みを心から応援しています! 本日はありがとうございました。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『リーダーズ・アイ(LEADER’S EYE)』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

▲「震災の惨状を目の当たりにして、使命感と運命のようなものを感じました」(代表取締役  星 光一)

何時いかなる時も頼りになる冷媒屋

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【異業種ネット】月刊経営情報誌『リーダーズ・アイ(LEADER’S EYE)』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

▼震災の翌日から業務を再開した星社長は、「非常食以外の食べもので人々にほっとしてもらいたい」という願いのもと、早速食品スーパーの工事に取り掛かった。「その時できることを精一杯頑張りました」と、社長は当時を振り返る。また、休みなく働き続けた社長がはじめて地元・気仙沼を訪れることになったのも、仕事の依頼から。震災より1年ほど経った時のことだったという。「それまでもテレビや新聞などで情報は得ていましたが、実際に実家がなくなった状況を見て呆然とするばかりでした」と話す社長は、同時にかつて自身が乗っていた「第18共徳丸」の姿を見るに付け、新たな使命感を湧き上がらせていった。

▼そんな中、気仙沼のスーパー、2店舗の工事に取り組んだ社長。工事中何度も、地域の人々から「いつオープンするの?」と声をかけられ、「再開を待っている人がいる」ということが一番の励みになったそうだ。「被災地だからあれがない、これがないではなく、優先すべきは早さ」という事実を、社長は改めて認識した。

▼こうした経験から、『光興業』のトラックには発電機や燃料、毛布、ストーブが積まれ、リフトまで設置されている。「どこで災害があってもすぐに駆けつけて復旧作業ができるように」。そんな社長の熱い想いが詰まったトラックなのだ。描かれた社名とロゴマークからは、仕事への責任感と誇りを感じ取れた。

対談を終えて

「震災直後は、あまりの惨状に「何から手を付ければいいのか」と多くの方が茫然とされていたはず。そんな中、いち早くご自身のやるべきことに邁進された星社長。その行動は、きっとたくさんの方を勇気付けたことでしょう。」(穂積 隆信さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『リーダーズ・アイ(LEADER’S EYE)』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名  称

株式会社 光興業

住  所

宮城県仙台市太白区鹿野2丁目10-6

代表者名

代表取締役 星 光一

U R L

http://www.hikaru-reibai.com

掲載誌

リーダーズ・アイ  2015年7月号

本記事の内容は、月刊経営情報誌『リーダーズ・アイ』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。