2023年02月13日更新
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(株)日清観光 対談取材記事

名刺
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豊かな人間力を活かして
国境を越えた観光業を展開

株式会社 日清観光

代表取締役 中尾 雄一
営業所長 伊東 恵子

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─略歴

「比類なき先見性を以て、観光業界に光を照らす」

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─人ページ写真

若くして起業した中尾社長は、消費者心理の冷え込みから低迷する観光業界において、次々と新しい施策を実行し、『日清観光』を一流企業へと導いた。

緻密な経営戦略と大胆な決断力で実業家としての優れた手腕を振るう社長が最も大切にしているのは、他でもない“人とのつながり”だ。

デジタル化が進む現代にあって、ビジネスの本質は人であることを誰よりも理解している社長は、交流の中から生まれる信頼関係を大切にし、人間力を磨く人材育成に心血を注いでいる。

洗練された先見性と豊かな人間力を武器に、社長はさらなる高みを目指す。


一般貸切旅客自動車運送事業や、国内外の旅行業を手掛ける『日清観光』。丁寧な接客と細やかな対応で業界内外から篤い信頼を寄せられる同社は海外事業も展開しており、中国と九州の観光業における橋渡し役としても活躍の場を広げている。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─対談

大西 中尾社長の歩みから伺います。

中尾 生まれはここ大分県で、高校卒業後に上京し専門学校に通いました。そのころに漠然とではありますが、将来は自分で会社を興したいという思いがあり、商業簿記など様々な資格を取得。アルバイトも複数かけもちして資金を蓄えました。そして東京都杉並区で会社を興し、その後福岡県で物流会社を設立した次第です。

大西 当初は都内で会社を経営されていたのですね。大分県に戻られたきっかけは何だったのでしょう。

中尾 私の父が温泉郷として知られる鉄輪で旅館を営んでいまして、その父から大分に帰ってこいと言葉をかけられましてね。それをきっかけに、親孝行も含めて帰郷することを決意したんです。ただ、私は旅館業が不得手だと自覚していましたので、父の旅館と連携でき、なおかつ事業としても立ち行く仕事を考えたんです。そうして生まれた発想がバス会社。『日清観光』という社名を掲げ、バス3台で一般貸切旅客自動車運送事業をスタートしました。

大西 滑り出しはいかがでしたか。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

中尾 設立当初は当社の認知度も低く、なかなか新規のお客様を開拓できない状況でした。しかし私自身もスタッフとともに様々な場所へ営業に赴き、人とのつながりを築いていった結果、少しずつ事業が軌道に乗ってきたんです。さらに貸切バスの利用を促進するため、距離単位で運賃を計算する独自の料金体制を採りました。そうすることで貸切バスの料金が廉価となり、学校の社会見学などでも当社のバスを利用して頂けるようになったんです。そして、景況を見極めながら設備投資を行い設立2年目に車輌台数を12台、3年目に17台に増車し、旅行業務についても広く取り扱い始めました。

大西 努力とアイデアで事業を推進されたのですね。事業の拡大とともに人材も必要になるのではないでしょうか。

中尾 はい。設備を充実させるとともに、人材育成にも注力しました。他社と差別化を図るため一般的なバス会社とは一線を画す教育を実施し、スタッフのスキルアップを図ったのです。

大西 どういった指導を行われたのでしょうか。

中尾 ドライバーとして道を覚えるよりもサービスの基本を学ぶことに重きを置いたのです。そのために、スタッフは入社後3カ月に亘り、父が営む旅館でサービス業に従事しホスピタリティの精神を身に付けられる環境を整えました。バスのドライバーと言えど、奉仕する対象はお客様です。どの分野でも、お客様に喜んで頂くことが商売の基本ですから、身だしなみや言葉遣いにも配慮するように教育を進めました。すると、当社のスタッフの細やかな対応が口コミで広がり、次第にご依頼が増えていったのです。

大西 社長の卓抜した経営手腕が窺えます。伊東営業所長から見て、社長はどのような方ですか。

伊東 決断力に長け、竹を割ったような真っ直ぐな性格で、社長のユニークな考え方からはいつもたくさんのことを学ばせてもらっています。

大西 社長に篤い信頼を寄せていらっしゃることが窺えますね。ところで、御社では海外にも拠点を持っておられると伺いましたが、いつごろから海外事業を手掛けられているのですか。

中尾 2005年に海外事業部を立ち上げました。旅客運送業と旅行業が安定し、次なる戦略を考えていたときに中国のマーケットに着目しましてね。4年後に北京オリンピック、6年後に上海万博を控える時期で、日本から足を運ぶ方も多いと想定し、中国を対象として事業を展開しようと考えたのです。そこでまず取り組んだことは人脈の形成。国は違えど、ビジネスの本質が人であることに違いはありません。ですから、私自身が現地に赴き、ホームステイしながら現地の人たちと信頼関係を築くように努めました。そうして人脈を育み、中国人のスタッフを当社に招いて海外進出の基盤を整えたのです。

大西 社長の発想力と行動力に感嘆します。お話も尽きませんが、最後に今後の抱負をお聞かせ下さい。

中尾 スタッフとその家族の生活を守っていくためにも、まだまだ向上心を持って会社の基盤を盤石なものにしていきたいと考えています。また個人的な思いとしては、後進の育成に尽力して若い世代に当社を託し、60歳までに現場を退こうかと思っているんですよ。そして晩年は、スタッフが集えるような飲食店を構えて、ゆっくりと過ごせれば良いですね。とは言っても、まだまだやるべきことは多々ありますから、今後も自分を磨きながら仕事に励んでいく所存です。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

「スタッフがいるからこそ会社は成り立ちます。日々頑張ってくれている彼らに感謝したいですね」
(代表取締役 中尾 雄一)

「社長の斬新な発想や緻密な戦略には、いつも驚かされます」(営業所長 伊東 恵子)

的確な人選が企業の力となり、高みへと導く

▼卓抜した発想力と緻密な戦略で事業を次々と成功に導いている中尾社長は、海外への進出を機に多くの中国人スタッフを採用した。彼らはいずれも人間力に長ける人材ばかりで、社長の優れた人選のセンスが窺える。その中で海外事業部の代表を務める付蕾氏は、『日清観光』の事業の推進とともに日中の交流にも尽力している。近年では尖閣諸島問題で日中関係に軋轢が生じた中、緊張が高まる中国で日本への観光渡航を積極的にアピールし日中の友好関係修復に力を注いだ。中心となって活動した付蕾代表は苦しい中で交流活動に尽力した功績が認められ、別府ONSENツーリズム大使に委嘱された。そうした背景から、同社は2011年3月に来港する豪華客船ロイヤルカリビアンの九州の窓口として、中国団体客の対応を担うことになったのだ。本社を置く別府市のみならず、今や九州と中国の観光業になくてはならない存在にまで成長した同社。その推進力は、紛れもなく社長の経営手腕によるものだろう。

対談を終えて

「持ち前の行動力で、観光業界の最前線で活躍を続けておられる中尾社長。柔軟な発想でチャレンジを続け、幾多の成功を収められていますが、その陰には並々ならぬ努力があることと思います。苦労を見せることなく、いつも笑顔で前向きに仕事に励んでおられる社長の姿勢が信頼を呼び込み、良き出会いを生むのでしょうね。」(大西 結花さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名  称

株式会社 日清観光

住  所

【本社】

大分県別府市石垣西10-5-4

【大分営業所】

大分県大分市生石4-1-5

代表者名

代表取締役 中尾 雄一

U R L

http://www.nissin-bus.com

掲載誌

報道ニッポン  2011年6月号

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