2024年09月03日更新
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(有)ヤマモト自動車工業 対談取材記事

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自動車産業界の先駆的存在が
新たな変革のときを経て成長する

有限会社 ヤマモト自動車工業

代表取締役 山本 治伸

【異業種ネット】月刊経営情報誌『国際ジャーナル』特別取材企画 掲載記事─略歴

■人とのつながりとはどのようにして生まれるか

【異業種ネット】月刊経営情報誌『国際ジャーナル』特別取材企画 掲載記事─人ページ写真

とかく「人のつながり」の重要性が叫ばれる世ではあるものの、当然、欲すれば誰もが得られるというものでもない。なぜなら真のつながりとは、損得勘定抜きの会話からしか生まれないものだからだ。

「一見無駄に思える雑談が一番大事」と語る山本社長は、そんなつながりの意味と、お客様との何気ない会話の中に潜むニーズを見極めることの大切さを、無意識下で知っている。

その大切さを自然に会得していること。それこそまさに、社長を優れた経営者たらしめる大きな理由だと言えるだろう。


【足跡】 愛知県豊橋市生まれ。祖父と父親が営む工場で、幼い頃からトラックを見て育ち、大学卒業後は家業と業種を同じくする会社で営業職の経験を積んだ。10年経たのち1995年、「ヤマモト自動車工業」に入社。現場と事務を学び、2010年7月、三代目社長に就任した。


1952年創業の「ヤマモト自動車工業」。鈑金・塗装業に端を発した同社は、時代と共に、主に車輌用特殊荷台・架装の製造、取り付け、整備を手掛けるようになり、現在では修理なども行っている。先代より受け継ぎしものを守るべく、同社を牽引する三代目・山本社長にお話を伺った。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『国際ジャーナル』特別取材企画 掲載記事─対談

大西 まずは御社の沿革から。

山本 1952年に祖父が創業し、1960年に法人化しました。もっとも創業者は祖父ですが、現会長である父も創業当初から働いていましたので、父は「自分が創業者」だと言っていますね(笑)。創業時はいわゆる鈑金・塗装屋でした。その後徐々に仕事の幅を広げ、主にトラックの特殊荷台の製造や取り付け、整備を。最近では修理も多く手掛けています。

大西 山本社長はいつ頃から後継の意志をお持ちだったのでしょう。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『国際ジャーナル』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

山本 この業界で働きたいとの思いは子どもの頃から漠然とあり、大学卒業後は同業他社で営業職に就きました。そちらで10年間勤め、父に呼ばれて家業に入ることとなった次第です。立場は一社員。同業種とは言え前職場では営業の仕事しかしていなかったものですから、まずは現場で経験を積むことになりました。その際は、ありがたいことに職人の皆さんやお客様方に多くを教えていただけたお陰で、早く仕事を覚えることができたんです。その次に事務処理の仕事を学びました。そうして約15年経った2010年7月に代替わりを受け、三代目として社長に就任しました。会長の築いた信頼関係や人脈を守らねばならないという重責を絶えず感じていますね。

大西 会長から、経営に関してのアドバイスなどはございましたか。

山本 「24時間365日、どのような事態にも対処できるように携帯電話を手放さず、お客様のところに飛び込んでいく気持ちを忘れてはいけない」と言われましたね。社長がまず会社の看板たれという意味だったのでしょう。代替わり当初は心の余裕を持てないほど仕事に追われていましたが、最近になってようやく社長という立場に慣れつつありますよ。

大西 社長自ら素晴らしい心構えをお持ちですね。

山本 いえいえ。さながら、先鋒に立つ営業マンの心境です(笑)。営業マンだった前職での経験を活かして、私が動くことで会社のためになるのなら、いくらでも動きますよ。例えばお客様がスペアキーをご所望とあればすぐにお作りしますし、レッカーの手配を頼まれれば夜中であろうが早急に対応します。たとえ当社の業務領域を越えていることであっても、お客様に「『ヤマモト』に頼めば何とかしてくれる」と思っていただければ何よりですからね。お客様とのつながりを確たるものにし、会長とお客様の間にあった信頼関係を、今度は私と結んでいただきたいのです。

大西 なるほど。では代替わりされてから刷新されたことはございますか。

山本 ええ。今までとは経済の動向も大きく違いますし、もちろんそれは自動車産業界も同じですから、具体的に様々な改革案を打ち出しました。まずは掃除、挨拶、各自の仕事といった基本をさらに徹底することから始め、次に、仕事のスタイルを大きく変えました。と言いますのも、以前の現場はそれぞれに作業を行う個人の集まりでしてね。それを、班単位で取り組む態勢へと整えたんです。つまり各班長の下で、チームとして仕事を進めていく。すると連帯感が増し、個々の責任感も強くなったんです。特に班長の成長が著しく、責任あるポストに就くと人は変わることを実感しました。

大西 まさに「立場が人を育て」たんですね。社長のカラーが、社内に良い影響を与えていることを感じます。ですが半世紀も続く会社ですし、改革をもたらすことは至難の業でしたでしょう。

山本 それが嬉しいことに、ベテランの社員ほど旗振り役となって頑張ってくれているんですよ。私より長く当社で働いている人たちが、私の意見にきちんと耳を傾けて力を貸してくれていることには、本当に感謝しきりです。加えて弟が工場長として私をサポートしてくれていますし、社内は活気づいていますよ。

大西 社長を中心に皆が一丸となって事業に当たる、とても良いムードが生まれているようですね! 今後についてはいかがお考えですか。

山本 この1年は、変化のときと位置付けています。早急に業績を上げようと思えば、価格競争への参入や人員の削減など、安易な方法もあるでしょう。しかし私はそれをしたくない。先代が築いたお客様との信頼関係や、貴重な人材を決して裏切ることなく、皆で当社の価値を高めて利益に結びつけていきたいと考えています。幸い「ヤマモト自動車工業」が、お客様から愛されているという実感はあります。ご要望とあれば新車でも造れるほどの技術力を有する当社ですから、今後も一番に頼られる存在たるべく励むのみですね。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『国際ジャーナル』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

「お客様はもとより、社員の皆との信頼関係を大切に、より良い環境を築いていきたいです」
(代表取締役 山本 治伸)

「老舗である会社を大切に守り、さらなる歴史を紡いで下さい」(ゲスト 大西 結花)

明日を切り開く経営者たち── その戦略と視点

ともすればベテラン職人とは、新たなトップが打ち出す新スタイルに対して批判的になりかねないものだが、同社の社員は違った。山本社長が打ち出した改革案を率先して実行し、下の者に範を示したのは、先代の頃より働くベテラン社員たちだったのだ。古参の信を得る社長の統率力もさることながら、新旧全員が柔軟な思考を持ち、一つになれる結束力──。老舗と呼ぶに相応しい同社が前進するにあたって、これほど頼もしく、強力な武器は他にないだろう。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『国際ジャーナル』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

対談を終えて

「半世紀を超える歴史を持ち、日本の自動車産業の発展と共に歩んできた『ヤマモト自動車工業』さん。その創業者であるお祖父様と先代のお父様の背中を見て育った山本社長が、誰よりも同社を大切に思っていることでしょう。社員の皆さんと共に、益々飛躍して下さいね!」(大西 結花さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『国際ジャーナル』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名  称

有限会社 ヤマモト自動車工業

住  所

愛知県豊橋市清須町万高地113番地1

代表者名

代表取締役 山本 治伸

掲載誌

国際ジャーナル  2011年6月号

本記事の内容は、月刊経営情報誌『国際ジャーナル』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。