夫婦が織りなす温かい想いが
悲しみ疲れた遺族の心を優しく包む
■細部にまで行き渡る、遺された人に寄り添う心
一見して葬儀会社のそれとは気付かない、花や人形で彩られた「ふそう式典」の明るい外観。社名は小さく記し、霊柩車などは表に停めないよう徹底している。
それが葬儀会社に対するどこか近寄り難いイメージを払拭し、多くの人が葬儀に関する様々な話を尋ねに訪れる所以だ。
「ふそう式典」の柴崎社長が重んじているのは、まさにそうして、いかに近い立場で遺族と接することができるかということ。
そこには社長と奥様の、遺族を想う限りない優しさがある。
【足跡】 千葉県木更津市生まれ。学業修了後は建築業界に入って独立まで果たすも、オイルショックによりやむなく自主廃業した。その後、僧侶であったおじの言葉で葬儀業界に入る。経験を積んで独立。地域住民とのつながりを大切に心ある葬儀を執り行う。
真に相手を思い遣る心を、まごころと言う。柴崎社長と奥様が営む「ふそう式典」は、そんなまごころに満ち溢れた葬儀会社だ。約10年前に浦安の地に移り住んだ夫妻は、徐々に地域の人々との信頼関係を築き、地域に密着する存在となった。本日は、三ツ木清隆氏が社長の温かい想いにふれた。
三ツ木 柴崎社長が現在のお仕事を始められたきっかけからお聞かせ下さい。
柴崎 若い頃は建築業界で働いており、下請会社として独立を果たしました。しかしオイルショックが起きて会社は大打撃を受け、先行きを危ぶんだ私は転身することに。そんな折、僧侶だったおじが葬儀関係の仕事を勧めてくれましてね。24~25歳の頃、千葉県の葬儀会社に入社したんです。
三ツ木 全くの異業種に入られ、苦労されたのではありませんか。
柴崎 いえ。それが、幼い頃からよくおじの寺で遊んでいたため葬儀を身近に感じていたのか、自然とこの世界に馴染むことができたんです。その会社で数年間経験を積み、その後、都内の大手葬儀会社でも長く勤めましたが、定年退職をすることなく働きたいと考えて独立を決意。ちょうど私が50歳のとき、2000年頃のことでした。妻も、いつしか全面的にサポートしてくれるようになりましてね。2001年にここ浦安に事務所を構え、その後周囲の勧めもあって現在の場所に事務所を移転したのですよ。
三ツ木 慣れない土地ですし、さぞかし苦労されたことでしょう。
柴崎 ええ。当初は知人もおらず、妻にもつらい思いをさせたと思います。もとよりここは漁師町でしたので、漁業に携わる人々のコミュニティが確立されていたんです。その中に入り込むことなど無理だとさえ感じましたよ。しかし葬儀業は地域に密着せずにはできない仕事ですから、とにかく存在を知っていただくべく一軒一軒チラシを配り歩いたり、新聞に広告を出したりと、がむしゃらでした。しかしあるとき私共は大きな間違いをおかしていることに気付いたんです。
三ツ木 それは一体何でしょう。
柴崎 そもそも葬儀とは、しめやかに執り行われるべきもの。それを扱う葬儀業者が、大々的に営業活動をするというのは不謹慎だと感じる方も実際におられます。私共としてはただ当社のことを分かってもらおうと必死でしたが、大事にすべきはそんなことじゃなかった。地域に密着するためには、会社を宣伝するのではなく、まず自分たちがここに住まう人間として地域に溶け込んでいくのが先決だと思い至ったんですよ。幸いこの町には催しが多く、地域の飲み会も盛んでしてね。まずはそのような場所へ、夫婦で積極的に参加するようにしました。初めは、「地元の人間ではない我々は敬遠されてしまうのでは」と心配することもありましたが、実際は気さくな人ばかりで……。すぐに打ち解けることができ、徐々に人の輪も広がっていきました。そして会話が弾む中で自然と葬儀に関しての様々な疑問を投げかけられるようになったんです。
三ツ木 葬儀に関して知りたい気持ちは私もとてもよく分かります。
柴崎 誰しもいつか自分に関係することとして知っておきたいですよね。しかし日常生活の中で気軽にお葬式の話ができる場面など滅多にありません。ですからイメージを描けずに、皆さんただ得体の知れない不安を感じておられるようです。そのため、質問されたことに関しては取り繕うことなく、常に誠実に確かなことを伝えています。
三ツ木 そうした社長と奥様の真摯な対応があればこそ、地域の人々から信頼を得ることができたのでしょうね。
柴崎 いざ葬儀を迎えたときには「前もって話を聞いておいて良かった」と、よく言われるんですよ。事前にイメージできていれば心構えもでき、落ち着いてしめやかに故人を送り出せますからね。我々はその中で、温かな葬儀となるよう全身全霊を持って努めるのみ。葬儀という張り詰めた空気の中では、互いの心の有りようが直に伝わるものです。つまり、誠意が本物であるかどうかは、皆様に必ず伝わるものなんですね。ですから私たちは遺族の心に心で向き合い、一人の人間として葬儀を執り行っています。
三ツ木 社長であれば、遺族の方も安心してゆっくりと故人に想いを馳せることができるでしょうね。今後についてはいかがお考えですか。
柴崎 今まで以上にこの地に根差していきたい。また、他所から来た私たちをいつも気にかけて下さり、温かく接してくれる地域の皆様には感謝するばかりです。この場を借りて心から「ありがとうございます」と言わせていただきます。
「地域の人々とさらに親交を深め、皆様にとって一番良い形で故人を送り出していければ
何よりです」(代表取締役 柴崎 一男)
「決してシステム化できないのが、葬儀の奥深きところなのですね」(ゲスト 三ツ木 清隆)
明日を切り開く経営者たち── その戦略と視点
柴崎社長が、奥様と共に営む「ふそう式典」では、可能な限りどんな形式の葬儀でも引き受けているという。例えば「直葬」がそのひとつ。通夜と告別式をせずに火葬してお骨を納めるこの葬儀の形式は、利幅が少ないために敬遠する葬儀会社も実際にあるのだ。しかし生活困窮者が増える今、資金的理由から泣く泣く直葬を願い出る人も決して少なくない。
現に「ふそう式典」にも、そんな遺族から直葬の依頼が舞い込んだことがある。その際、柴崎社長夫妻には迷う気持ちなどありはしなかった。「故人をきちんと送り出したい」──切実な想いを持って自分たちを頼ってくれた遺族。その想いに自分たちが持てる最高の思い遣りを持って寄り添い共に故人を送り出すことが、二人にとっては何より大事なのだ。その「故人を送り出す心さえあれば、形式などにこだわらなくても良い」という社長夫妻の確たる考えが、そこにはある。
「葬儀業とは本当に難しく、神経を遣う仕事です。粗相のないようにと配慮した結果システム化し過ぎれば、ただの業務になりかねない。その点、柴崎夫妻には遺族と共に故人の冥福を祈る『心』を感じました。目に見えないその部分こそが、一番必要なのですね」(三ツ木 清隆さん・談)
名 称 |
株式会社 ふそう式典 |
---|---|
住 所 |
千葉県浦安市海楽1-25-4 |
代表者名 |
代表取締役 柴崎 一男 |
掲載誌 |
国際ジャーナル 2011年5月号 |
本記事の内容は、月刊経営情報誌『国際ジャーナル』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。