感謝と誠意、義理人情を大切にして
厚い信頼を集める総合建設プラント工事会社
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不動産売買・仲介
「出会いは運命。チャンスを掴む機会は いかなる時も“今”だ」
心が折れてしまうほどの苦難の数々。社会に出れば何度も冷や水を浴びせられた。それでも高塚社長は、常に「何とかなる」と信じて、諦めることなく歩み続けてきた。
そんな社長を救ったのが、人との出会い。
人間関係から仕事の依頼を請けることもあれば、支えてくれる“家族”のような存在を得ることもある。だからこそ社長は、全ての出会いをチャンスと捉え、その人とのつながりを大切にしてきた。
そして、そのチャンスを逃すことのないよう、どんな窮状にあっても、社長が下を向くことはない。
チャンスは常に“今”、自身の目の前にあるのだから。
【足跡】 神奈川県横浜市出身。鳶職人の父親のもとに生まれ、中学2年生のころから土木業界に入る。様々な現場・職種を経験し、10代にして多くの資格を取得すると20歳で独立。その後、『大作機興』を設立し、現在に至る。
横浜を拠点に、鳶工事をはじめとする総合建設プラント工事を手掛ける『大作機興』。同社と並行して複数の事業を経営する高塚社長は、これまでに多くの過酷な経験を乗り越えてきた。そして現在、社長はその正確な仕事ぶりと義理人情に厚い人柄で、多くの信頼を勝ち取っているという。今後のさらなる躍進が期待できる同社を、女優の大西結花さんが訪れた。
大西 早速ですが、高塚社長が建設業界に入られたきっかけから伺います。
高塚 私の父が鳶職人でして、私も小学生のころから、休みの日には建設現場で働いていました。そして、中学2年生の夏から、本格的に土木関係の会社で働き始めたんです。
大西 中学2年生ですか!その年齢で働けるものなのですか。
高塚 私の場合は特例なのですが、家が貧しかったため、教育委員会も許可して下さったんですよ。それに私は、小学生のころからボクシングを習っていましたので、体力は既に鍛えていたんです。そうして働き始め、日当は全て母に渡していましたね。厳しい時期でしたが、それを乗り越えられたのも、家族の絆があったからこそだと思っています。
大西 大変な苦労をされてきたのですね。独立に至るまでの経緯を伺っても?
高塚 土木会社の後は、ペンキ屋や防水屋などを転々とし、10代で建設業は一通り経験しました。お陰で私は、数え切れないほどの資格を持っていますよ。そうして働く中で、私と同じような境遇から成功を手にされた方々が周囲にいることに気付きましてね。その誰もが真面目に働かれているのを見て、私もより一層仕事に打ち込みながら、「自分にも絶対にできる」と信じてきました。そして20歳の時に、周囲の方々に助けていただきながら独立し、2006年には法人登記を果たしたんです。現在は鳶工事を中心に、建設業を幅広く手掛けています。
大西 独立当初、経営は順調でしたか。
高塚 いいえ、大変でした。滑り出しから上手くいかず、取引先が報酬を支払わずに消えてしまうこともしばしば。そうして気付けば多額の借金を背負っていました……。それでも、周囲を不安にさせてはいけないと思い、スタッフや家族にも秘密にしていまして、資金繰りが上手くいかない時は、借金をしてスタッフに給料を払っていましたよ。唯一、身内でお金を借りた姉には、私を信じてくれたことを、今でも感謝しています。
大西 苦しい状況でもスタッフやご家族を想える社長は、とてもご立派です。
高塚 人を信用することが、つらくなったこともありました。それでも今では、高い授業料を払ったとポジティブに考えていまして、信用できない相手とは付き合わないこと、そして自分は決して信用できない人と見られないことを心がけてきました。そして、各種組合やセミナーなどにも積極的に参加し、健全な人脈を広げてきたんです。そうしたお付き合いから、仕事をいただく機会も増え、損失も取り返すことができました。私は人との出会いに救われてきましたから、出会った全ての方々に感謝していますし、特にずっと付いてきてくれたスタッフたちのことは、家族だと思っています。
大西 素晴らしいスタッフの方々に恵まれているのですね。
高塚 はい。ほとんどのスタッフは私の同級生でして、付き合いも長いので気心が知れていますし、良い奴ばかり。人間関係が上手くいっていれば、仕事も充実すると私は思っていますから、事あるごとにお酒を酌み交わしています。給料日には全員で飲みに出かけ、その場で給料を渡していますし、月に一人ずつ、スタッフと二人きりで飲みにも行くんですよ。そんな彼らには常々、私の将来のビジョンを熱く語っていまして、皆もその目標に向けて力を貸してくれているんです。
大西 人材育成において、何か心がけていることはあるのですか。
高塚 私は悪いところは見ずに良いところだけを見ていまして、スタッフには「長所を伸ばせ」と言っています。ただ、鳶の仕事は常に命の危険と隣り合わせですから、仕事のルールは厳しく定めており、遅刻した者には仕事をさせませんし、服装の乱れも許しません。些細なルール違反であっても命取りになりかねませんから、「ルールを守らなければ、お前自身も守られないんだよ」と伝えています。
大西 厳しさの中にも、スタッフの方々に対する社長の想いが窺えます。今時の方には珍しく、社長は義理人情を重んじておられるのですね。
高塚 義理人情が何よりも大切だと私は思っています。ですので、常にスタッフや取引先の方々には感謝の気持ちを持っていますね。その想いを形にすべく、これからは副業を含めた事業の展開を進めていきますよ。
家族やスタッフへの想いを形にした多角経営
『大作機興』を率いる高塚社長は、並行してアートサロン『df』や自動車販売会社『DTC』、不動産売買・仲介会社『dtf』を経営し、複数の事業を手掛けている。とは言え、「卵と白いご飯、味噌汁があれば満足」と語る社長のことだから、自身の利益のためだけに多角経営を行っているわけではない。
若くして結婚した社長は、厳しい時代を奥様と共に乗り越えてきた。そんな奥様は、美容関係の資格を複数取得しており、以前は事務所の一角で施術をしていたという。社長がアートサロンを始めたのは、そんな奥様に「店舗を開いてあげたい」と考えたからだ。また、その他の事業も、スタッフたちが万が一にも路頭に迷うことのないように、という想いで展開を進め、事業の基盤を固めてきた。
社長が行う事業展開は、家族やスタッフへの想いの結晶。皆を支えたい、という想いが社長の原動力となっているのだ。現在も宅建資格の取得に取り組む社長は、今後も弛まぬ努力を続けて周囲を支えていく。
「お若いころ、生活が厳しいことに不安を募らせる奥様に対して、高塚社長は『平気だから黙って付いてこい』と言っていたそう。そのお言葉通りに社長は現在、事業を軌道に乗せられています。これからも社長には奥様、そしてお子さんを支えながら、躍進を続けていただきたいですね」(大西 結花さん・談)
名 称 |
株式会社 大作機興 df 株式会社 DTC 株式会社 dtf 株式会社 |
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住 所 |
【本社】 神奈川県横浜市旭区今宿東町609-4 |
【東京支社】 神奈川県横浜市旭区今宿南町2342-2 |
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代表者名 |
代表取締役社長 高塚 大作 |
掲載誌 |
トップフォーラム 2014年4月号 |
※代表者名の“高”は正しくは“はしご高”です
本記事の内容は、月刊経営情報誌『トップフォーラム』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。