2024年09月03日更新
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株式会社ダイナスタイル 対談取材記事

名刺
動画

信頼できる優秀な仲間と共に
IT分野で良いものづくりに努め
社会に寄与できる企業でありたい

有限会社 ダイナスタイル

代表取締役社長 柴田 貴夫

【異業種ネット】月刊経営情報誌『センチュリー』特別取材企画 掲載記事─略歴

「ITエンジニアとして独立し、ものづくりをしたかったんです」

【異業種ネット】月刊経営情報誌『センチュリー』特別取材企画 掲載記事─人ページ写真

熱意の人──それが、取材を通して感じた柴田社長の人物像だ。

興味を持ったコンピュータにとことんのめり込み、パソコン通信やシンセサイザーなど、好奇心を刺激されれば脇目もふらず没頭した。

好きだからこそ、様々なコンピュータの知識を得てきたという社長は、やがて「この分野で、ものづくりがしたい」との想いに駆られた。

その想いに突き動かされて独立した社長は、『ダイナスタイル』を立ち上げ、顧客からの依頼で、ITインフラの設計・構築を手掛けている。

社長の熱意はこれからも、まだ見ぬ様々なチャンスを引き寄せるに違いない。


【足跡】 大阪府寝屋川市出身。小学生のころにファミリーコンピュータが流行しており、自分でもゲームをつくってみたいと思ったことからコンピュータに興味を持つ。高校生の時にはアルバイトをしてパソコンを買い、パソコン通信を活用。高校卒業後は化学の専門学校に通い、化学系の会社に就職する。しかしコンピュータ業界への想いを捨てきれず、やがて転職。コンピュータ業界で経験を積み、知人との会社立ち上げを経て、そちらを辞めて自分の会社『ダイナスタイル』を設立。現在に至る。


小学生のころにコンピュータに興味を持ったことから、徐々にその世界にのめり込んでいった柴田社長。一度は別の道に進んだものの、コンピュータ業界で独立を果たし、『ダイナスタイル』を設立した。現在はITインフラの設計・構築を手掛け、確かな仕事で信頼を得ている。本日は女優の大西結花さんが、社長にお話を伺った。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『センチュリー』特別取材企画 掲載記事─対談

大西 柴田社長が独立されるまでの歩みをお聞かせ下さい。

柴田 大阪府の寝屋川市で生まれ育ちました。昔からパソコン少年で、初めてキーボードにさわったのは10歳ごろでしたね。ちょうどそのころはファミリーコンピュータが流行っており、私はゲームで遊ぶだけではなくて、自分で つくりたいと思ったんです。それでパソコンを持っている友達の家に行って、簡単なプログラムを見よう見まねでつくるようになりました。

大西 すごい小学生ですね。なかなかそんな子はいないと思いますよ。

柴田 高校生になり、パソコンほしさでアルバイトをして、ようやく自分のパソコンを手に入れたんです。当時は「インターネット」ではなく「パソコン通信」によりデータ通信を行っており、私もその面白さにのめり込んでいましたね。家の電話回線を使って通信をしていたので、電話料金が高くなってしまい、両親に怒られたものです(笑)。そこで、高校生ながら自分の名義で電話回線を引いたんですよ。

大西 わざわざ回線を! 当時は加入料も高かったでしょうに、本当にパソコン通信がお好きだったんですね(笑)。

柴田 やみつきになっていましたね(笑)。自分からデータを発信すると料金がかかるので、通信料を抑えるために、やがて自分でサーバーをつくって相手に訪問してもらうようになりました。そうやって通信をしていると、世代の違う友達がたくさんできるんですよ。そこで知り合った人に色々相談したところ、「コンピュータ業界で仕事をするのはしんどいよ」と言われたんです。そこで、高校卒業後はコンピュータではなく、化学の専門学校に進みました。

大西 化学にも興味がおありだったので?

柴田 まったくありませんでした。しかし、学んでみるととても面白かったですね。そして卒業後は化学系の会社に入って、様々な分析の仕事をしていました。途中に転職を挟みながら化学業界で働いているうちに、世間にいわゆる「ITバブル」がやってきたんです。私は「今のままこの業界で働いていていいのかな」と悩みましたよ。そして考え抜いた末に、一念発起してIT業界へと飛び込みました。

大西 ついに念願のコンピュータ業界へと足を踏み入れたのですね。

柴田 ええ。遠回りをしたのかもしれませんが、すべてが良い経験だったと思っています。最初に入った会社ではサーバーの運用を手掛け、やがてその会社が買収されたことから、一緒に働いていた人と共に独立しました。その会社では代表職に就いていたのですが、自分にはもっとやりたいことがあると気付きまして。そこで一緒に独立した人に代表職を譲り、改めて一人で『ダイナスタイル』を立ち上げたんです。2年間、個人事務所として活動し、2005年に法人化して今に至ります。

大西 やりたかったこととは、どのようなことですか。

柴田 ITエンジニアとして独立し、ものづくりをしたかったんです。現在は、ITインフラの設計・構築をメインに手掛けていますね。ものづくりと言っても規模が大きく、当社ですべてを担えるわけではありません。しかし、設計や構築の一部を任せてもらえるので、やり甲斐はありますね。

大西 やり甲斐は重要ですよ。独立して良かったですね。

柴田 はい。取引先は法人様でして、大手通信会社様ともお付き合いをさせていただいています。人対人のちょっとしたつながりからはじまったのですが、本当に素晴らしいお客様に恵まれたと思っています。

大西 やはり、人とのつながりは大切ですよね。社員さんは何名ほど?

柴田 私を入れて6人の、少数精鋭体制を採っています。あとはパートナーさんに手伝っていただくこともあり、15人~20人の規模で動いていますね。仕事において社員には、「力を入れるべきところには力を入れ、場合によっては加減してもいい」と言っています。これは、社員を信頼しているから言えることです。信頼できなければ、どんな仕事をされるのか恐ろしくてこんなことは言えませんが、当社の社員は信頼に足る優秀な者ばかり。ですから、各々の裁量に任せて、時に余裕を持って働いてもらえるようにしているんです。そのゆとりが、結果的に良い仕事につながると考えていますから。

大西 仕事にメリハリをつけるということですか。確かに、常に張り詰めていては疲れてしまい、大切な時に充分なパフォーマンスが発揮できませんからね。最後になりますが、今後の夢などがあればお聞かせ下さい。

柴田 起業した時の理念でもあるのですが、社会貢献したいというのが私の夢ですね。今のところはまだ漠然としているのですが、企業が一番社会に貢献できることと言えば、人を雇うこと──つまり雇用を生み出すことです。単純な考えかもしれませんが、雇用して共に働き、共に苦労している社員が皆、笑顔になれるような会社にしたいですね。また、ボランティア活動なども行っていきたいと思いますし、様々な形で社会に貢献できる会社として、成長していければと考えています。

大西 本日はありがとうございました。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『センチュリー』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

▲「好きだったコンピュータ業界で独立を果たし、本当に素晴らしいお客様に恵まれたと思っています」
 (代表取締役社長 柴田 貴夫)

社長という立場

▼会社を存続していくために人材の育成は何よりも大切だが、簡単なことではない。柴田社長は人材育成に対し、「本当に難しい」と語った。同年代の人を指導することもあり、「年は近いのに立場は自分が上で、苦労も自分の方が多い」と、悩んだこともある。苦い経験をたくさんしたが、その中で社長は、「自分は社長で、皆を牽引しなければならないのだ」と、自分の立場を明確に自覚するようになったという。すると社員への指導も少しずつ上手くいくようになり、結果として、優秀な人材が育った。社長は人材育成を難しいと語ったが、それを自覚していることこそが、指導者には重要なのだ。頼れるリーダーとして、社長は今後も会社を成長へと導いていくだろう。

対談を終えて

「パソコンが好きで、自分で熱心に多くの知識を吸収されるなど、柴田社長は『好きこそものの上手なれ』という言葉を体現したような方でした。現在は信頼できる社員さんと共に業務に臨んでいるとのことで、きっと皆様で楽しみながら働いておられるのでしょうね」(大西 結花さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『センチュリー』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名  称

有限会社 ダイナスタイル

住  所

【本社】

大阪府大阪市淀川区西中島2-14-13 壺坂ビル7F

【東京支社】

東京都千代田区神田佐久間町4-9 みちのくビル5F

代表者名

代表取締役社長 柴田 貴夫

掲載誌

センチュリー  2014年3月号

本記事の内容は、月刊経営情報誌『センチュリー』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。