先代が遺した財産である会社を
みんなの絆で守り、存続させたい
東京陸運局免許・一般貨物自動車運送
■温柔敦厚な人── その人柄の良さは 周囲の言葉が物語る
家族が語るエピソードが、その人柄の良さを物語る。
会社を拡大するつもりはないと取引先を他社に譲り、私利私欲に走ることをせず、堅実に事業に徹した。
「地元で起きたことは見過ごせない。お互い様だ」と、何かあればすぐに駆けつけ、手を貸した。「もっと野心や貪欲さがあってもよかったのに」──家族はそう振り返りながらも、誇らしげだ。
野心も貪欲さもない代わりに、誰よりも情に厚い。そんな人柄が、周囲を惹き付ける。
先代の急逝後、会社の存続を望む声が上がった。それも、多くの人から慕われていた何よりの証だ。
「温柔敦厚」な人、それが金子忠芳氏という人物だ。
【足跡】 『兼芳運輸』の創業者・金子忠芳の妻。店を経営し、自身も夫と同じく経営者として歩んでいたが、2007年に忠芳氏が急逝したのに伴い、代を引き継いだ。男社会である運送業界にあっても、物怖じしない性格で、人脈を広げている。
一般運送業を手がける『兼芳運輸』。現在、代表取締役として経営の舵取りを担うのは、金子初幸さんだ。2007年に、夫で創業者の金子忠芳氏が急逝し、現職に就いた。先代の時代から勤めている社員たち、ご息女をはじめとする家族と手を携え、先代の遺した同社を守るべく奮起している。本日は、タレントの布川敏和氏がそんな同社を訪問。社長と2人のご息女にお話を伺った。
布川 まずは、『兼芳運輸』さんの歩みからお聞かせ下さい。
金子(初) 1977年8月に本格始動いたしました。早いもので36年以上が経ちましたね。当社を創業したのは夫なんですよ。夫はトラックが大好きで20代で一度、運送業で独立したのですが、その後、一転して不動産業界に転向。長年にわたって同業界に身を置いていました。その中で、倉庫の賃貸を希望される方が現れ、倉庫を建設することにしたんですね。すると自然に運送業務が派生したもので、運送会社を立ち上げることにしました。それがこの『兼芳運輸』なんです。
布川 一見、異業種ではありますが、付随業務に着眼して事業につなげられたわけだ。運輸業を始められていかがでしたか。
金子(初) 大手からも依頼が舞い込むなどして、順調でした。それでも夫は、「大々的に事業を拡げる必要はない。細々とでいいから、地元に根差してお客様を大切にしたい」と大手との取り引きを全て同業他社に回してしまったんです。お人好しでしょう(笑)?夫が貪欲に手を拡げていたら、私たちはもっとお金持ちになっていたかもしれません(笑)。
布川 (笑)。ご主人の良い人柄が窺えるお話ですね。
金子(初) 地元で何かあるとすぐに駆けつけるような人でした。「地元で起きたことは見過ごせない。お互い様だ」といつも言っていましたね。その夫は、2007年に他界いたしました。朝は元気だったのに、急に倒れてそのまま……。
布川 それは突然のことで、戸惑われたでしょう。心中、お察しいたします。
金子(初) 当時、私は別に店舗を経営していたのですが、急遽、当社の社長職を引き継ぐことになりました。運送とは畑違いの世界にいたもので不安でしたが、経営者としての経験はありましたし、ずっと働いてくれている事務員がしっかり実務を担ってくれて乗り切ることができたのです。運転手も残ってくれて、社員たちに助けられましたね。
布川 みなさん、ご主人亡き後も会社が続くことを望まれたのでしょう。
金子(初) 実は、会社を畳むことも考えたんです。ですが、「給料が減ってもいいから、会社を存続させてほしい」と言われました。それで、夫が遺した会社を守っていこうと、踏ん張ることができたんです。今は次女も加わって会社を支えてくれていますので、まだまだ頑張りますよ。
布川 お嬢様が一緒とは、それもまた心強いですね。いつからですか。
荒井 2012年に当社に入りました。以前は保育士をしており、朝が早く夜は遅い大変な毎日を送っていたところ、母から勧められて当社の事務に携わることになったのです。大変とはいえ、保育士の仕事は好きでしたから後ろ髪を引かれましたが、母が会社を引き継いで奮闘している姿を見て、決心しました。少しでも母の助けになっていればと思いますが、まだまだですね。
金子(初) 娘の婿も一緒に会社を盛り立ててくれています。腕の良い職人で、倉庫のメンテナンスを頼めますし、また彼のこれまでの人脈が新規顧客の開拓にも生きているのですよ。
布川 先代が遺された会社を守っていこうというご家族の強い意志を感じます。
金子(初) みんなの努力のお陰と、頭が上がりません。
布川 しかし、運送業界とは未だに男社会というイメージが根強いです。女性社長として大変な思いをされることはありませんか。
金子(初) 娘からよく言われるのですが、私は図々しい性格みたいで(笑)。男性の中にも入っていくので、あまりその点での苦労はありませんね。
荒井 我が母ながら、感心します。関係組織の集まりでも一人でどんどん入っていきますから。
金子(初) 世代交代が進んでおり、若い方が増えている中、こんなおばさんが申し訳ないななんて思いながら(笑)、頑張っています。きっと人と会ってお話しすることが好きなんです。話しかけやすいのでしょうか、どこへ行ってもすぐに打ち解けます。
布川 今後については、いかがですか。
金子(初) 事業を拡大するよりも、現状を維持し、身の丈に合った経営で長く事業を継続したいですね。これからも困難はあるでしょう。みなさんの力も借りて、乗り越えたいです。三女が別の仕事に就いていますが、いずれは戻ってきて一緒に働いてほしいですね。
金子(美) 今は、『新星堂』に勤務しており、店舗統括部に所属して全国を飛び回っているんです。
布川 たとえ別の世界でも娘さんの頑張りは励みになるでしょうね。祐子さんはいかがですか。
荒井 母と同感で、まずは会社を守りたいです。その上で、業界で名が通るよう知名度を上げられれば嬉しいですね。
▲先代・金子忠芳氏と現社長・金子初幸さんのご息女と共に記念の一枚。次女の荒井祐子さん(写真左端)は、2012年から同社に加わり、事務を担当している。三女の金子美希さん(写真右端)は、レコード店『新星堂』に勤務し、店舗統括部で活躍中だ。
column
2007年に夫を亡くすという不運に見舞われた金子初幸社長。「突然、夫を見送ることになり、人間とはいつ何があるか分からないものだと身を以て知りました」と当時を振り返り、言葉を絞り出した。その経験から社長は常に、娘たちのことを案じてきた。「自分に万が一のことがあっても、姉妹がばらばらにならないでほしい。手を携えて生きていってほしくて、そのためにも会社を守りたいんです」と胸中を話してくれた。協力せねば乗り越えられない局面は、周囲との結束を大切にする心を生み出すものだ。現在の『兼芳運輸』も、そんな“絆”によって支えられている。先代亡き後、「会社を存続させたい」との一つの想いで結びついた人々の手によって、同社は今後も末永く事業を続けていくだろう。絆を何よりもの無形の財産として。
「先代に纏わるエピソードが次から次へと出てきて、ご家族の絆を感じる対談でした。先代は、滅多に怒ることはなく、優しくて穏やかな方だったそうで、『とても大きな存在でした』とご家族みなさんが口を揃えられましたね。みなさんの中に生き続ける先代の人柄にふれることができました」(布川 敏和さん・談)
名 称 |
有限会社 兼芳運輸 |
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住 所 |
【本社】 埼玉県さいたま市見沼区丸ヶ崎町16-5 |
代表者名 |
代表取締役 金子 初幸 |
掲載誌 |
トップフォーラム 2014年3月号 |
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