2024年09月03日更新
全登録者数 828件 (最新月度登録者数 0件)
トップページ (株)リケン工業 対談取材記事

(株)リケン工業 対談取材記事

名刺
動画

“技術”と“柔軟性”を両輪とし、
幅広く社会に寄与する企業であり続ける

設計・施工

株式会社 リケン工業

代表取締役 安達 寛

(一級建築士)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─略歴

【足跡】 1961年3月12日、神戸市に生まれる。『神戸市立工業高等専門学校』機械工学科を4年修了後、『大阪工業大学短期大学部』建築学科に編入学。社会人になってからは建築現場の職人から設計士となり、関西の大規模な施設の設計にも多数携わった。その後、阪神・淡路大震災を契機に父親が営む『リケン工業』に入社。2011年に現職に就任し、新しい事業にも果敢に挑戦している。


電気・建築部門を事業柱に据え、数々の実績を築いている『リケン工業』。特に、『JR』関連施設の電気工事をメインに請け負い、都市部の交通インフラを陰から支えている。また、2011年に安達社長が現職に就任してからは、太陽光発電の販売・施工にも着手。事業用システムに特化した営業で、著しく売上を伸ばしている。本日は、女優の島田陽子さんが同社を訪れた。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─対談

父親の背を見て育った幼少期
そして大きな実績を上げた設計士時代

島田 早速ですが、御社の沿革から伺います。創業者はどなたですか。

安達 私の父です。創業は、1965年の11月。当初は神戸市灘区に拠点を置き、民間の電気工事や住宅設備機器の工事を請け負っていました。

島田 歴史ある企業ですね。では安達社長は、お父様の背中を見て育たれたと。

安達 そうですね。小学生のころから腰道具をぶら下げ、仕事を手伝っていましたよ(笑)。ただ父としては、私には電気工事に留まらず、建物そのものを建てる建築分野など、もっと大規模な仕事に就いてほしかったようで。私は高専時代は機械工学科、そして大学では建築学科で学びました。

島田 社会に出てからも建築の道に?

安達 ええ。工務店や土木関係の会社に勤め、セメントを練ったり、ユンボに乗ったりと、現場で下積みを重ねていたんですよ。しかしある日、足場から落ちるという事故に遭ってしまいましてね。以来、事務的な仕事に移り、その後、設計事務所に転職して、しばらくは設計畑を歩みました。当時は、できるだけ大きな仕事がしたいと色々な事務所を転々としたのですが、中でも実績を上げた例を紹介しますと、「阪急茨木駅」高架下店舗の設計や、「阪急高槻駅」高架下店舗の設計、また、「阪急西宮北口駅」近くの「芸術文化センター」とホテルの総合施設のプロジェクトなどがありますね。あとは、大阪ビジネスパークに建つ「ツイン21」の施工図の一部も私が描きました。

島田 まぁ、本当に大きな仕事ばかり!

安達 私は現場から設計に入った人間なので、設計の経験しかない人よりも実務的だったことが評価されたのでしょう。また、時はバブル真っ直中で仕事が選べるほどあったのも幸運でした。私が設計に従事していたおよそ10年間は、そうした華やかな時代だったのです。

島田 当時の貴重な経験は今のお仕事にも大いに生かされているのでしょうね。

転機となった阪神・淡路大震災
心を動かした父親の全力の姿

島田 そうして設計士として順調に歩みを進めておられた社長が、一体どのようなきっかけでお父様の会社に?

安達 転機となったのは1995年に起きた阪神・淡路大震災です。震災後すぐ、私は阪急系の設計事務所の立場で神戸に入りました。そして被害状況の調査を終え、そこから徒歩で帰路につくと、三宮の辺りでたまたま父と出会いまして。当社は『JR』関係の電気工事を請け負っていましたので、鉄道の復旧作業に大わらわだったんですね。話を聞くと、父の会社も被災し、スタッフの家も倒壊しているのに、全てをおして現場に駆けつけている、と。私はその姿に強く心を打たれました。ギリギリのところで全力で働く人たちと比べて、自分の仕事が何だか道楽的に思えて恥ずかしくなったんです。それで居ても立っても居られなくなり、勤め先を退職し、家業に入ることに決めました。ですから、もしあの地震が無ければ、今の立場も無かったかもしれませんね。

島田 社長が御社に入るのは、運命だったような気がします。お父様もさぞ喜ばれたのではないですか。

安達 そうだと思います。ですが、私は当社に入ってもしばらくは設計の仕事を続けていたので、すぐに父と一緒に仕事をしたわけではありませんでした。電気工事の仕事には、徐々に携わるようになっていったのです。

島田 電気工事のお仕事に就くのは、その時が初めてだったのでしょう? 戸惑いはありませんでしたか。

安達 子どものころの経験がありましたので、馴染むのは早かったですね。ただ、技術を学ぶにはそれなりの時間が必要でした。資格を取るなどして当社の仕事がまともにできるようになるまで10年以上もかかりましたよ。

島田 そんなに!? 設計士時代に数々の実績を残されてきた社長でも、やはり一から修業を積むとなると、相当な努力が必要なのですね。

安達 そうですね。それに、この仕事はとても奥が深いんです。当社は、建築部門と電気部門を両輪に事業を展開してきましたが、メインは『JR』関係の電気工事。小さな修繕工事からスタートし、お陰様で今では新駅の電気工事全てを担当させていただけるまでになりました。『JR』の仕事は一般電気工事には無い危険な工事や特殊な難工事も多いため、その業務もさることながら各種の決まりごとを覚えるだけでも相当な経験を積まなければなりません。また、担当者との人脈など、一朝一夕では形にならないことが他にも沢山あるんですよ。加えて、社内の組織関係にしても、いくら息子であろうが、いきなり入ってきてすぐに馴染めるものではありません。社内外で一人前だと認められるようになるまでには、やはり長い時間がかかりました。

島田 そのような修業時代も音を上げず、懸命に耐え抜いてこられたからこそ、今の社長があるのですね。

会社の成長を実現するために
新たに乗り出した「太陽光発電事業」

島田 その後、代替わりされたのはいつごろですか。

安達 2011年ですから、つい最近のことです。本来、私は技術屋なので、本音を言えば技術だけでやっていきたかったんです。それに、社長業って孤独ですよね。父が独りで銀行に行ったり資金繰りについて頭を悩ませる姿を見て、私に務まるかどうかという不安もありました。ですが世間を見渡すと、不況に喘ぐ企業は跡を絶ちません。スタッフやその家族の生活をこれからも守り続けるためには、現状に甘んじているわけにはいかない。もっと会社をよくしなければいけないと感じ、現職就任を決意したのです。

島田 では、社長が経営に関わるようになったことで、何か新しいことを始められたのですか。

安達 はい。現職に就任する少し前のことですが、時代の流れを鑑みて、オール電化事業と太陽光発電システムの販売・施工に着手しました。

島田 なるほど。環境意識の高まりから、どちらも近年、急激に伸びている分野ですものね。

安達 ですが当時、父からは強く反対されました。それでも私は推し進め、思い切って専門の営業部隊も新設したんです。その甲斐あって、最初こそ苦戦を強いられたものの、今では本業の仕事に迫るボリュームに育っていますよ。父も今は「お前は運がよかったな」と言ってくれています(笑)。あの時、「今やらなければ……」と信じて挑戦して本当によかったと思っています。ただ、太陽光発電の中でも、家庭用は今や過当競争の渦中にあります。そこで当社は、事業用のシステムに特化して、売上を伸ばしているんです。また、オール電化については、東日本大震災以降は下火になっているので、現在は手を引いています。

島田 そうした決断の速さもまた、御社の著しい成長を後押ししているのでしょう。

止まない成長を実現するために
常に先を見据え、挑戦を続ける

島田 それにしても、時代の流れに応じて、人々のニーズは目まぐるしく変わっていきますね。

安達 私もそう感じています。たとえば、『JR』の電気工事もそうでして、かつては照明器具やコンセントの工事が大多数を占めていましたが、最近ではLEDに代わって頻度が落ちてきています。太陽光発電にしても、あと数年がピークというところでしょう。

島田 では、もう次の手を考えなければならないのですね。

安達 そうなんです。太陽光発電については、これからはメンテナンスのニーズが高まるでしょう。そこで、社団法人としてメンテナンス会社を立ち上げ、当社を含めた4社で運営していく計画です。また、太陽光発電の次に来るものとして、小型の風力発電装置についても考えています。風力は24時間使えて、しかも買い取り価格が高いというメリットがあります。もう世間の一部では動き始めていますので、ぜひ当社でもいち早く挑戦してみたい事業ですね。

島田 御社の実績と、社長の進取の精神があれば、きっと成功させられると思います! 私も陰ながら応援させていただきますので、頑張って下さいね。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

海を渡り活躍する技術者集団

『リケン工業』では現在、事業用の太陽光発電システムの販売・施工に主軸を置いている。家庭用と比べて設計力や施工能力が問われるとあって、スタッフは日々の研鑽を怠ることはない。一方、そうして培ったノウハウや技術を広く世界に伝えるべく、海外の太陽光発電システム設置事業へ技術者派遣も行っている。今回は、2011年9月よりおよそ半年に及び行われた、「中東・ヨルダン王国でのシステム設置工事」の様子を紹介する。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─中東・ヨルダン王国でのシステム設置工事1 写真 【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─中東・ヨルダン王国でのシステム設置工事2 写真

▲常駐スタッフが中心となり、基礎周りの配管、架台の組み立てといった、太陽光発電システムの基礎となる部分の施工から、一切の抜かりのない工事、技術指導を行う

▲組み上げた架台に太陽光モジュール(パネル)を設置。ちなみに、このモジュールの設置は、各メーカーによって工法が異なる

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─中東・ヨルダン王国でのシステム設置工事3 写真 【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─中東・ヨルダン王国でのシステム設置工事4 写真

▲モジュールの設置が進むと共に、その周囲を囲むフェンスも着工。その後、遊歩道の施工や、発電量モニタリング看板の設置などといった、附帯工事へと移っていく

▲完成したシステムの全景。広い大地に悠然と佇む様は、まさに壮観。こうして同社の技術者により導入されたクリーンエネルギーが、今日も多くの人を笑顔にしている

父から受け継がれた精神を“礎”に未来を拓く

幼いころから父親の背中を見て育った安達社長。自身の手で確かな実績を築くようになってからも、その存在は社長に大きな影響を与え続けた。そんな社長が、お父様から受け継いだ最大のものとは?──その質問に、社長は“精神”と答えてくれた。それは今「社是」として明文化され、社内で共有されている。

その社是の1番目に記されているものは「安全第一」だ。どれだけ確かな仕事を続けていても、一度事故を起こしてしまえば全てが水泡に帰す。つまり、安全は会社存続の第一条件。ことお客様が『JR』ともなれば、その基準は一層厳しくなる。だからこそ、『リケン工業』では月に一度、業務を休んでまで、安全会議を開いているという。それも6時間と充分な時間をかけて、徹底的に安全対策について話し合う。ビジュアル化された資料を繰り返し確認するのは、慢心があってはならないようにするため。当たり前のことを当たり前に全うするために、同社は陰で並々ならぬ努力を続けているのだ。

そして、社是には「積極果敢」や「不屈邁進」など、己を律する言葉が続く。どれも先代が創業時より大切にしてきた“精神”そのものだと言えよう。

同社は今、時代の流れを的確に読み取り、柔軟に変化しながら成長を続けているが、それも、どれだけ時代が変わっても決して変わらない“精神”があるからに他ならない。社長はこれからも、その精神を指針とすると共に、次代を担う後進にもその重要性を伝えていく構えだ。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─ ~(株)リケン工業・社是~ 【1.安全第一】 事故を起こせば、今まで苦労して勝ち取った信用が水の泡と化してしまいます。安全最優先という基本項目を前提に置き、基となる安全衛生自主管理計画書に則った内容を継続的に行える様、一路邁進する。 【2.前以ての精神】 全てにおいて“前以て”出来れば、余裕が生まれ、能力以上の力が発揮出来ると考えます。どんな忙しい最中でも、前以ての精神を推進する。 【3.積極果敢】 業務遂行にあたっては、あくまでも積極果敢に機を逸することのないよう機敏に行動をとる。 【4.不屈邁進】円滑に進む業務は皆無といってよい。難関にぶち当たっても、不屈邁進すれば、 必ず道は開かれる。 【5.創意工夫】 改善のない業務は会社の発展を阻害している。創意工夫による改善の積み重ねが会社発展のキーワードとなる。 【6.奉仕一貫】 真心のこもったサービスは必ず顧客の心を打つ。どんな些細なことでも一貫した奉仕が我々の使命である。 【7.礼節謙譲】 人に接するに礼儀をわきまえ、物事に対しても節度を保ち、かつ謙虚な言動があれば、会社の信用は逐次高められる。

対談を終えて

「安達社長は人材育成において、“やらせてみて育てる”という方針を採っているそうです。ベテランが全てやってしまうのではなく、敢えて後ろに下がって未熟な人を前に出す。それでもし失敗したとしても、その失敗もまた成長の要因として飲み込めるだけの度量が上の者には必要だとおっしゃっていました。目先の効率を優先させるのではなく、長い目で仕事ができる人間を育てていく。確かにそのほうが、結果として会社の基盤は強固になり、活躍の場も一層広がるでしょう。社長の視線は、今その時だけでなく、ずっと先にもあるのだということが分かりました。これからも輝かしい未来を見据えながら、今為すべきことを果たしていって下さい」(島田 陽子さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『トップフォーラム(Top Forum)』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名  称

株式会社 リケン工業

住  所

兵庫県神戸市東灘区魚崎南町3丁目2番20号

【中兵庫営業所】

兵庫県丹波市山南町草部329

【四国営業所】

愛媛県松山市森松町280-2 Mホーナー301号

代表者名

代表取締役 安達 寛

U R L

http://www.riken-kobe.co.jp

掲載誌

トップフォーラム  2013年12月号

本記事の内容は、月刊経営情報誌『トップフォーラム』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。