2017年08月07日更新
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医療法人 至誠会 古木内科医院 対談取材記事

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人々に寄り添い、健康を見守り続ける──

それが医師としての大義であり、本分

医療法人 至誠会 古木内科医院

院長 古木 勝也

【異業種ネット】月刊経営情報誌『センチュリー』特別取材企画 掲載記事─略歴

「素直に謙虚にプライドを持って地域医療に向き合っていきたい」

【異業種ネット】月刊経営情報誌『センチュリー』特別取材企画 掲載記事─人ページ写真

大学の講師・研究者から地域医療を支える「かかりつけ医」に転身して、「患者さんから育ててもらった」と話す古木院長。

様々なメディアや教育ツールが進化する中でも、「人は人でしか育たない」と、大学勤務時代から考えて行動してきたことが、今度は、自分に置き換えられた。

「元旦や誕生日のように毎日新しい気持ちで患者さんに向き合えたら……」と自分探しをしてきた。

そんな中、サックスやジャズに出会い、長い時間をかけて音楽とも真摯に向き合ってきた。サックスを吹くと毎日の煩わしいことを吹き飛ばしてくれ、朝には新しい気持ちになれた。

様々な出会いの中、今日も明日も新しい気持ちで、素直に謙虚にプライドを持って地域医療に向き合っている。


【足跡】 京都府で生まれ育つ。病弱だった幼少時代に世話になった医師に憧れ、医師を志す。福岡の『産業医科大学』を卒業後、『京都大学医学部附属病院』の医局勤務を経て大学(母校)に戻り大学講師・研究者として過ごす。その後、地元に戻り、友人から病院経営を引き継ぐ。2013年5月、『古木内科医院』を開業した。


2013年5月に開業した『古木内科医院』。内科、心療内科、消化器科を標榜し、同院の古木院長は、“かかりつけ医”として地域住民の健康を見守っている。「皆さんに私の知識や技術を還元していきたい」と語り、医師としての本分を全うしようと努める院長のもとをタレントの布川敏和氏が訪問。その歩みなどを、伺った。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『センチュリー』特別取材企画 掲載記事─対談

布川 まずは古木院長のこれまでの歩みからお聞かせ下さい。

古木 幼少時代は体が弱く、病院通いをしていたことから、医師という仕事に対して強い憧れを抱くようになったのです。単純な動機でしたが、「三つ子の魂、百まで」と言うように、以来、医師として歩む将来への思いが消えることはありませんでした。中学生のころには、医者になるためには学歴が必要だということも分かってきて、親から反対されながらも必死に勉強しましたね。

布川 ご両親は、反対だったのですね。

古木 はい。普通のサラリーマン家庭でしたから、学費の高い医学部に進むことに抵抗があったのでしょう。いつも「学費は自分で稼げ」と言われていましたよ(笑)。しかし私が真剣に医師を目指していることが通じたのか、結局、両親は医学部に行かせてくれました。大学は、福岡県にある、産業医を養成し、産業医学を振興する目的のために作られた『産業医科大学』へ進学。しかし、私は地元・京都で暮らしたかったので、卒業後は『京都大学医学部附属病院』に入局しました。その後、研究のために母校へ戻り、若手育成などにも従事していたのですよ。

布川 そして再び、帰郷された、と。

古木 ええ、10年ほど前に戻ってきました。研究時代は研究に明け暮れる毎日を送り、地元への想いは薄らいでいたのですが、父が体調を崩し、また病院を経営していた友人の父親が亡くなり、病院を私に継いでほしいと打診してくれたため、こちらに帰ってくることにしたのです。

布川 なるほど。しかし研究に没頭されていたわけですし、迷いはなかったのですか。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『センチュリー』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

古木 友人の頼みでしたから、二つ返事で決めました。でも、不安がなかったわけではありません。研究への断ち切れない想いもありましたし、医師、そして経営者となれば、これまでの生活も人生設計も全てが変わると思えましたから。実際に始めてみると、大学病院と個人のクリニックのギャップも感じました。戸惑うことも多かったですね。しかし、患者さんたちとふれ合う中で、「医師である自分に何が求められているのか」「患者さんのために何ができるのか」を学びました。毎日が発見の連続でしたね。やがて患者さんとの良い関係も構築でき、皆さんに私の知識や技術を還元していきたいと強く感じるようになりました。そうして地域の開業医として歩んでいこうとの思いが固まり、この5月に『古木内科医院』を新たに開業したのです。

布川 毎日が充実していそうですね。

古木 ええ。ただ、私は医療の世界は、万全は尽くせても、完璧はないと思っているんです。地域の人々の健康を見守り続けるのが私の仕事であり、「これだけやれば充分」という地点に到達することはないでしょう。やり遂げた──完全燃焼したと感じてよいのは、人生を終える時だけかもしれませんね。

布川 それは、医者の心構えとしてとても立派ですが、ご自身を酷使し過ぎておられませんか。

古木 大丈夫ですよ。趣味で音楽をやっていまして、きちんと肩の力を抜く時間も設けています。40歳前からサックスを始めて、こちらも日々努力を重ねています。

布川 それは、いいですね!

古木 楽器店の店員に勧められて吹いてみたら、思いのほか良い音が出せて、そこから苦しいジャズの道が始まりました(笑)。周囲には「40歳からでは遅い」と言われたりしましたが、地道に練習しています。まだ初心者のころに、いきなり知人のライブに出演して1曲演奏したことがあったんです。どれほど緊張したかは言葉ではとても言い表せませんが、意外にも高評価を得られたものですから、すっかりその気になってしまいました(笑)。

布川 ステージ上で歓声を受けると、とても気持ちが高揚しますからね。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『センチュリー』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真
▲ステージでサックスを演奏する古木院長。月2回のペースでライブ活動を行っている

古木 おっしゃるとおりです。それでサックスにますます魅了され、仕事と同様に、サックスもとことんやってみよう、と。仕事の前に朝練、仕事の後にも練習やセッションに参加しており、いくつかのバンドにも所属して積極的に技術を磨いてきました。練習は正直、孤独で苦しいものですが、ステージに上がるとその苦しみは一瞬で消え去ります。ライブでは演奏が上手くいったとか、いかなかったということに関係なく、大きな達成感と燃焼感が得られます。これは日々の仕事ではなかなか得られないことで、そんな達成感や燃焼感が得たいからサックスを吹いているのだと思います。

布川 なるほど、音楽との良い出会いをされましたね。今後については、どのようにお考えですか。

古木 自分らしく、仕事も趣味も楽しみたいと思っています。家族も仕事や趣味に対して協力を惜しまないでいてくれますし、これはとても幸せなことだと感じています。同じように日々に幸せを感じられる暮らしを手に入れられるよう、私は医師として地域の皆さんの役に立てる生き方をしたい。今後も、患者さんと一緒に、同じ目線に立って歩んでいきたいです。サックスについては、いつか大きなステージに立って演奏できるよう精進を続けます。

布川 どちらも頑張って下さい!

【異業種ネット】月刊経営情報誌『センチュリー』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

 

【異業種ネット】月刊経営情報誌『センチュリー』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

縁あって開業医となり、医師としての本分を見出す

▼かつては大学で研究に没頭する生活を送っていた古木院長。病院を経営していた父親を亡くした友人に頼まれて、経営を引き継ぎ、以来、福知山市に根を下ろし、人々の“かかりつけ医”として歩む。目覚ましい進歩を遂げる医学は、研究に勤しむ人々によって支えられていると言っても過言ではなく、院長も研究者としての日々に医師としての全てを捧げていた。開業医となることに抵抗がなかったわけではない。だが院長は、地域の人々に寄り添い、健康を見守る立場を立派に全うできるだけの志と人間力をお持ちであることを今回の取材を通じて強く感じた。「地域の人々の健康を見守り続けるのが私の仕事」──そう話した院長は、これからも長きに亘って福知山の人々の大きな支えであり続けるだろう。

対談を終えて

「古木院長が友人の病院を継ぐことを決めた時、周りにいた方々や家族はとても戸惑われたそうです。『患者さんの笑顔、スタッフや家族の様々な協力があってこそ、今の充実した日々がある』と周囲の戸惑いを大きく超えて新しいチャレンジをされた院長はおっしゃいました。その言葉には、すべての方々への感謝の念が溢れていました」(布川 敏和さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『センチュリー』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名  称

医療法人 至誠会 古木内科医院

住  所

京都府福知山市長山町459-99

代表者名

院長 古木 勝也

掲載誌

センチュリー  2013年10月号

本記事の内容は、月刊経営情報誌『センチュリー』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。