村野 まずは、こちらの沿革から。
曽我 当社は真空ポンプのメーカーである『徳田製作所』の協力工場として、40年以上前にスタートを切りました。『渡辺製作所』という名で発足し、1969年に法人化すると共に社名を『渡辺真空』としたのです。その後、本社の移転や生産の増大を行い、今日に至ります。
村野 業務内容をお聞かせください。
曽我(信) 各種真空ポンプの販売や修理、各種真空装置の修理・改造、真空用各種部品や油脂類の販売などを手掛けています。メインに行っているのが真空ポンプのメンテナンスなんです。真空ポンプは食品業界や薬品業界など、非常に幅広い分野で使われており、メンテナンスのニーズは大きいのですよ。
村野 なるほど。では『渡辺真空』さんの代表取締役に就任されるまでの曽我社長の歩みを。
曽我 徳島に生まれ、集団就職により大阪に移りました。そして工具店で営業の仕事に携わっていたんです。そこの社長は粋な方でしてね。私が営業成績でそちらの専務に勝った時に、ボーナスをたくさんいただきました。その時に「給料袋を先輩に見られたら反感を買うだろう」という社長の配慮から、通常より多い額は私の実家に郵送してくれたんです。社長の優しさがうれしかったですね。その後、私は上京。『徳田製作所』に勤務していた渡辺さんが当社を立ち上げ、私も一緒に働くことになりました。渡辺さんには真空について一から教えていただいたんです。そして経験を積み、1980年に『渡辺真空』の代表取締役に就任しました。
村野 専務はいつからこちらで働いておられるのですか。
曽我(信) 約10年前からです。学業修了後、すぐに当社に入社しました。当時スタッフの数は3名ほどしかおらず、会社も築40年のプレハブで風が吹くと埃が入ってきていたんです(笑)。5年程前から次第に当社の規模が大きくなってきましたね。
村野 こちらの会社が成長された理由は何だと思われますか。
曽我(信) 私を含めた全スタッフのことを社長がしっかり教育してくれたからだと思います。社長は自身が渡辺さんに教わったことを私たちにも叩き込んでくれました。スタッフの成長が会社の成長につながったんです。
曽我 渡辺さんが私にこの仕事を享受してくれたお陰で、我々は今生活の糧を得ることができている。渡辺さんには本当に感謝しています。私は当社の社長になるにあたり、渡辺さんの存在を示す「何か」を残したいと考え、後継してからも『渡辺真空』という社名をそのまま使うことにしたのです。「社長は曽我さんなのになぜ社名は『“渡辺”真空』なのですか」と人から聞かれるたび、私は渡辺さんのことを思い出します。
村野 お社名を見るたびに、初心に帰ることができるのですね。
曽我 ええ。お陰様で、この業界において『渡辺真空』という社名は浸透しているんです。
村野 こちらは大企業とも取引されているとお聞きしましたが。
曽我 はい。当社が大企業と取引することができているのは、技術力が優れているからだと自負しています。高い技術を持った、すばらしいスタッフが揃っているのですよ。
曽我(信) また、当社は日本全国から依頼があります。皆様に認めていただけているのだと思うと、本当にうれしいですね。当社の知名度は国内だけでなく、アジアにも広まっており、海外の企業からも依頼があるんです。
村野 世界で認められているなんて、すばらしいですね。ところで最近は後継者不足に悩む経営者が多い中、こちらは社長のご子息が専務として活躍されている。社長も安心でしょう?
曽我 そうですね。跡継ぎがいれば、企業としての信用度も高まりますからね。ただ、私は息子を当社の後継者に決めたわけではないんですよ。経営に関して息子より能力もやる気もあるスタッフがいれば、その人に当社を任せようと思っています。
村野 これからも頑張ってください。本日はありがとうございました。 |