
人口は約82万人。総面積は1511.17平方キロメートルと全国2位で、静岡県内では最大の都市、浜松。日照時間が長いため気候が温暖なのが特徴で、野菜や果物、花などの生産高は全国でも上位にのぼる。そして、天竜川や浜名湖、広大な中田島砂丘を抱く遠州灘、赤石山脈の雄大な山々など、東西南北どこへ向かっても豊かな自然を感じることができる魅力的な地域だ。
あなたは“浜松”と聞けばどんなものを思い出すだろう。ふっくらして身の締まった極上のうなぎ? たしかに、味・出荷量ともに日本有数の浜名湖うなぎはあまりに有名だ。しかし、他にも自慢するべきポイントはたくさんあるぞ! たとえば浜名湖周辺はリゾート地としても人気が高く、名湯「かんざんじ温泉」や、釣り・マリンスポーツなどを楽しみに四季を通して全国から人が集まってくる。
ここでは、力強さと美しさを併せ持つ「浜松まつり」をはじめとするまつりの文化、また東京と大阪のほぼ中間という土地で様々な影響を受けながら築かれたものづくりの文化、そして、味を追求し独自のスタイルを確立した浜松餃子を紹介しよう。ほんの一部でも浜松のことを知れば、あなたもその魅力のトリコになってしまうはずだ。
浜松市では年間を通して各地で様々なまつりが催されているが、中でも全ての浜松っ子が心待ちにしてやまないのが、毎年5月3日から5日にかけて催される「浜松まつり」だ。
このまつりは昼と夜とで全く異なる雰囲気が楽しめる国内でも珍しいもので、まず昼は中田島砂丘にて凧揚げ合戦が行われる。約440年以上前に、当時この地を治めていた城主の長男誕生を祝って凧を揚げたのが起源と言われていて、現在も子どもの誕生を祝うべく各町自慢の大凧が揚げられるのだ。地域ごとに異なるデザインの凧が一斉に空へと舞い上がる様子は、圧巻としか言いようがない!
そして、なんと言っても凧揚げ合戦の見どころは空中で凧糸を絡め合って相手の糸を切る激闘場面だ。遠州灘から吹き上げる強い風を味方につけ、糸を出したり引いたりしながら相手に仕掛けていく。仲間同士で声をかけ合って巧みに凧を操る参加者たちの熱気にあおられ、会場内にいる人々が一体となって大きな盛り上がりを見せるのだ!
一方、夜は中心街で御殿屋台の引き回しが行われる。御殿屋台はどれも絢爛豪華で、様々な飾り付けが人々の目を引く。精巧な彫刻や目にも鮮やかな提灯などは、まるで絵巻物のよう。また、流れるお囃子の太鼓と笛の音が町全体に見事な調和を生み出し、誰もが幻想的な世界に魅了されてしまうのだ。
凧揚げ合戦でも御殿舞台の引き回しでも浜松市内の160を超える町が参加し、まつりは盛大に行われる。このように、浜松まつりは市民による市民のための“都市まつり”である。老若男女を問わず市民の誰もが参加できる自由さと、また皆が一つになってまつりを盛り上げていこうとの熱い雰囲気が、地元のみならず全国のまつり好きの魂を刺激しているのだ。
東京と大阪のほぼ中央に位置し、その便利さと気候の良さ、そして水資源に恵まれたことなどから、織物や製材、木工加工産業といった分野をはじめものづくりの盛んな地域へと成長してきた浜松市。中でもオートバイについて、遠州の地に端を発する『ホンダ』『ヤマハ』『スズキ』という3大メーカーの製品は、現在日本はもちろん世界でもトップクラスのシェアを誇っている。
オートバイ産業が浜松で盛んになったのは戦後のことで、磐田郡光明村(現在の浜松市天竜区山東)出身で『ホンダ』の創始者・本田宗一郎氏の生み出した原動機付自転車が始まり。氏のアイデアとものづくりにかける熱意は様々な企業のインスピレーションを刺激し、結果的にオートバイブームの火付け役ともなった。また、オートバイに加え、繊維と楽器を3大産業とする浜松市では、近年電子技術関連など先端技術産業も急速に発展、国内外から高い評価を受けている。
こうした繁栄ぶりは、浜松人の気質である“やらまいか精神”の影響が大きい。“やらまいか精神”とはすなわち、未知のことがらに対する好奇心と「やってやろうじゃないか」というチャレンジ精神のことだ。浜松の人々の血に流れるこの“やらまいか精神”があったからこそ、機械や技術を開発する発明家や新たな事業を生み出す起業家などが続々とこの地に誕生したのである。そして、そうしてものづくりの機運が高まる中で他の土地からも技術者や職人たちが集まり、さらに技術が磨き上げられてきたと言えるだろう。
今もなお浜松の人々のものづくりへの挑戦心は尽きることがなく、ものづくりの町として市内の産業を力強く進化に導いているのだ。
浜名湖はうなぎ養殖発祥の地。そのため浜松と言えばうなぎ、と考える人は多いだろう。だが、浜松にはまだまだ美味しいものがある! そこで、その一つである浜松餃子について紹介しよう。
浜松餃子のルーツは昭和30年ごろに浜松駅周辺に出ていた餃子の屋台だったと言われている。キャベツを中心に玉ねぎや豚肉など地元や近隣の地域で育てられた素材をふんだんに使った餃子はあっさりとしていながらコクがあり、瞬く間に市民の心をつかんでしまった。
そして人々の餃子ブームに乗る形で餃子を売る屋台が続々と登場し、どんどん味の改良が進んだのである。やがて益々人気が高まり、屋台では調理が間に合わないように。そこで、一度に多くの餃子を焼こうと編み出されたのが、浜松餃子の焼き方の特徴でもある円形焼きなのだ。当時は、餃子を焼く際に水を差して蒸せるような鉄板がなく、フライパンしか使えなかった。そこで、フライパンの丸い形に沿って放射状に餃子を並べて焼く方式が考案されたのである。皿から溢れんばかりのボリュームを一見しただけだと、食べきれるかどうか心配になるかもしれない。だが、円の中央に空くスペースに盛られた茹でもやしがほどよい箸休めとなり、餃子と交互に食べているうちにあっという間に一皿を空にしてしまうだろう。
また、店によって独自のタレやラー油が作られているので、それぞれの工夫や餃子への熱意を感じながら違いを楽しめるのも浜松餃子の特徴。ここでも浜松人の“やらまいか精神”が発揮され、どの店もより美味しい餃子づくりに励んでいるのだ。
浜松には、あまり外食を好まない人が多かったという。そのため昭和40年代ぐらいまで飲食業はあまり盛んではなく、出前が主流だった。そんな中で屋台の餃子は美味しい上に持ち帰れるとあって、浜松人のニーズに応えてお持ち帰り文化を育ててきたのだ。その名残で、現在どの町内にも持ち帰りのできる餃子店があるといい、このことからは、各家庭で家族らと過ごす時間を大切にする浜松の人々の優しい気質が窺える。浜松餃子を味わう際は、是非とも誰かと一緒に食べてほしい。そうすれば長年親しまれてきた味とともに人の温もりも感じられて、誰しも浜松が好きになってしまうはずだ。