尊敬する祖父のような町医者として地域に密着しながら人々の健康を守る

西新宿さいとう眼科

院長 斉藤 伸行

【異業種ネット】月刊経営情報誌『国際ジャーナル』特別取材企画 掲載記事─略歴

【足跡】 幼少のころより祖父や両親が医療に携わる姿を見続け、自らも医学の道に進む。眼科に携わることを決意し、博士号を取得。大病院で多くの経験を積んだ後、開業医となった。
大病院で様々な眼科手術を経験した斉藤院長が2010年に開業した「西新宿さいとう眼科」。地域医療の担い手として、患者と密にコミュニケーションを図り、何より病気の早期発見を心がけている。院長が抱く、理想の町医者像への熱い思いを伺った。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『国際ジャーナル』特別取材企画 掲載記事─対談

布川 斉藤院長が医療の道を志されたきっかけは何でしょう。

斉藤 元々、私の親族には医療関係の職に就いている者が多いんですよ。特に祖父は昔、町医者として地域の各家庭を往診して回っており、私は幼いころよくそれについて一緒に回っていました。そこで皆に慕われる祖父の姿を見たことが、医者を目指そうと思った最初のきっかけですね。

布川 中でも眼科を選ばれたのには何か理由がおありなのですか。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『国際ジャーナル』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

斉藤 大学での実習時に様々な科を回った際、眼科で白内障の手術を受ける患者さんを担当しました。ほとんど眼の見えない方だったのですが、手術を受け視力が回復し、とても喜んで下さったんです。その感激の度合いが、私には他の科と比べものにならないぐらい大きく見え、「こんなに喜んでもらえるなら医者として本望だ」と思ったんです。その後は眼科学教室に入局し、多くの症例の手術を経験させていただいて、博士号を取得した後、総合病院で働き始めました。長年勤務医として病院に勤めていましたが、大抵の患者さんはかかりつけ医からの紹介を受けて来られるため、ほとんどふれ合いはなく、手術をするだけの関係。開業医であった祖父を思い出すとどうしても、私が幼いころから思い描いてきた医者の理想像と現実の姿にギャップを感じずにはいられなかったんです。

布川 お祖父様の姿が院長の目指す医療の姿であり続けたのですね。

斉藤 ええ。しかしそんな折、こちらの医院をなさっていた先生が閉院するので、私のもとに「開業をしてみては」という話が来ましてね。願ってもないことでしたのでお受けし、2010年に「西新宿さいとう眼科」を始めた次第です。

布川 では診察に際して大切にしておられることをお聞かせ下さい。

斉藤 患者さんとの会話です。コミュニケーションを密にし、小さな病変も見逃さないで早期発見を心がけ悪化を防ぐ。そして患者さんが自分の悩みを気軽に打ち明けられる環境を作ることが、開業医である私の役目だと思いますし、こういった町医者としての生き方に今、とても充実を感じていますよ。

布川 大学病院では数々の症例を見、大病院でも高度な医療技術を培ってこられた院長ですから、患者さんも安心して身を任せられることでしょうね。これからの展望についてはいかがお考えですか。

斉藤 現在は、土曜と日曜、祝日の診療に加えて、診療時間を19時まで延長し、仕事帰りの方々が診察を受けられるようにしているんです。今後も緑内障などの疾患の早期発見を心がけ、さらに予防医学にも力を入れて、地域の皆さんの眼の健康を守り続けていきたいと思います。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『国際ジャーナル』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

対談を終えて
「斉藤院長のお祖父様は町医者として地域の皆さんに多大な尊敬を受けておられたとのこと。そのお祖父様を理想像とし、開業医になられた斉藤院長の眼差しは、とても前向きに輝いていました。お祖父様と同じように、地域の頼れるお医者様となられることは想像に難くないでしょう」(布川 敏和さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『国際ジャーナル』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名 称
西新宿さいとう眼科
住 所
東京都新宿区西新宿1-10-1 MY新宿第二ビル地下1F
代表者名
院長 斉藤 伸行
掲載誌
国際ジャーナル 2011年2月号
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