未開の分野へも挑戦の目を向け水産業界において新たな活路を見出す

名古屋中央水産 株式会社

代表取締役社長 田村 孝彦

【異業種ネット】月刊経営情報誌『現代画報』特別取材企画 掲載記事─略歴

「日々あらゆるものが変化する──
そこがこの仕事の醍醐味なのです」

■終わりなき、本物のプロへの道

 

鮮魚の仲卸業を主体とする『名古屋中央水産』を牽引する田村社長。亡き先代の跡を継ぐべくこの業界へと身を投じ、早くも27年の歳月が経った。取り扱う魚貝類の種類、量、質、相場が毎日変動する市場について、「未だに恐ろしく感じることもあるが、それがこの仕事の醍醐味」と目を輝かせる。経営者となった今でも、常に現場最前線でスタッフを率いる頼もしきリーダー。終わりなき“極”への道をただひたすら追い求めていく。

【足跡】 大学ではヨット部の主将として、幾多の大会で活躍。卒業後は部の先輩の誘いで大手食品メーカーに。3年ほど勤めたころに父親が他界したため、家業に入る。地道に現場で経験を積み重ね、2008年に三代目に就任。独自の手法で、新たな活路を見出している。
「名古屋市中央卸売市場」にて鮮魚の仲卸を手掛ける『名古屋中央水産』。同業の仲間が集って1982年に設立されたのが発端で、現在は田村孝彦社長が舵取りを担っている。景気が低迷する厳しい時代の中を如何に乗り越えていくのか──。現職就任当初から経営者として辣腕を振るってきた社長に、渡嘉敷勝男氏がインタビューを行った。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『現代画報』特別取材企画 掲載記事─対談

渡嘉敷 『名古屋中央水産』さんのご創業は、いつですか。

田村 元々、両親が『冨士源』として鮮魚などといった食品の卸売業を営んでいましたが、「名古屋市中央卸売市場 北部市場」が豊山町に移転するに伴い、1982年、父が新たにこの場所に『名古屋中央水産』を立ち上げたのです。

渡嘉敷 社長もいずれはお父様の後に続こうとお考えだったのですか。

田村 長男でしたが、後継者という意識は薄かったですね。大学卒業後も、在籍していたヨット部の先輩に誘いを受けて大手食品メーカーに入社しました。ただ食品業界なら、もし家業を継ぐことになった時に経験が活かせるとの意識はありました。

渡嘉敷 家業に入られたきっかけとは?

田村 就職して3年ほど経ったころに、父が55歳という若さで亡くなったんです。その時点で、退職して家業に入ろうと決意しました。しかし、同じ食品に携わっていたとは言え、それまで包丁を握ったこともなければ、魚を下ろしたこともなかったのです(笑)。当初は一社員として現場に立ち、地道に一つひとつ技術やノウハウを習得していました。

渡嘉敷 現在の堂々としたお姿からは想像できませんね。充分に下積みを重ねてこられたからこそ、今の社長があるのでしょう。現職に就かれたのは?

【異業種ネット】月刊経営情報誌『現代画報』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

田村 2年半ほど前です。ご存知の通り、当時の日本経済は極めて厳しい情勢で、非常に悪い時期でした。取引先の倒産などの煽りも受けましたし、如何ともし難い状況に悩まされましたね。けれど、立ち止まって頭を抱えていても、状況は何も変わるはずはありません。マイナスをプラスへと好転させるにはどうすれば良いのかを常々考え、とにかく行動に移していったのです。

渡嘉敷 具体的に、どのような打開策を採られたのですか。

田村 まずは全社一同原点に立ち返り、相手の立場に立って嘘偽りのない正直な営業をするよう心掛けました。それから、売上管理を徹底。昔から金銭感覚が大雑把でどんぶり勘定が一般的な業界ですが、当社では経理面をしっかり認識・管理した上で目標を設定し、目指すべき方向を明確にしたのです。また、定期的にミーティングを開いて情報交換も行うようになりました。

渡嘉敷 経営・経理面にメスを入れることで合理化を進められたと?

田村 ええ。そして業態も、仲卸だけではなく、自社による加工・製造にも着手することで、メーカーという新たな道を開拓したのです。例えば、まぐろなどは使いやすいサイズにカットして、寿司店などに販売しています。このように舵を切ったからには、川上から川下まで視野を広げ、色々なことに挑戦していきたいと考えています。

渡嘉敷 社長のお話ぶりからすると、まだたくさんのアイデアを抱えていそうだと感じますが……。

田村 挑戦してみたいことは多々ありますよ(笑)。例えば、飲食業。新鮮でおいしい魚貝類を低価格で提供する店を出したいという構想もあります。
  ただ、仲卸業者として市場流通を軸としていく点に変わりはありません。仲卸業は『名古屋中央水産』として展開しながらも、加工・飲食部門など新たにスタートする事業については、両親が手掛けていた『冨士源』を基盤として、事業の枝葉を広げていければと考えています。

渡嘉敷 それは何よりの親孝行になると思います!

田村 ええ。母にその話をしたところ非常に喜ばれましたし、亡き父もきっと喜んでくれているでしょう。ただ、会社として復活させるだけでは意味がありません。内容を充実させてしっかりとした基盤を築いていくことが大事ですから。これからの努力次第ですし、前向きに精一杯頑張るだけです!

【異業種ネット】月刊経営情報誌『現代画報』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真
企業を存続させるために必要なもの

▼「“自分さえ良ければそれで良い”という考えでは、企業を存続させていくことはできない」と話す『名古屋中央水産』の田村社長。その思いは2年半前の現職就任当時から変わらず、その際に打ち出した理念からもその思いが窺い知れる。(1)生鮮食品を通して環境、地域、社会に貢献していく(2)脚下照顧に基づく現状否認の徹底により常に未来を見据えていく(3)相手の立場に立って心のこもった行いを実行していく。この3つの理念が企業運営での根幹となっているのだ。そして3つ目の理念ではさらに踏み込み、「売る身、買う身になって心のこもった良い品良い対応を」「社員の身になって心のこもった良い経営を」「経営者の身になって心のこもった良い労働を」と呼びかけている。どんな時も相手の立場を考えながら行動することで、自分自身も含め、社員も、顧客も皆一様に幸せになれる組織を目指しているのだ。その理念が会社全体に浸透した時、同社は地域に欠かせない企業となっている。

対談を終えて
「残念なことに、田村社長は先代であるお父様と一緒にお仕事をされたことはないそうですが、そのことについて『甘えずに済んだので、良かったのかも知れない』とおっしゃっていたのが印象的でした。厳しい時期に舵取りを任された分だけ、経営者としての貫禄が見受けられた社長。もし先代がまだ生きていらっしゃったら、社長の堂々としたお姿をご覧になって、さぞ喜ばれたことでしょう。受け継いだ看板をこれからも守り抜いていってください」(渡嘉敷 勝男さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『現代画報』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名 称
名古屋中央水産 株式会社
住 所
愛知県西春日井郡豊山町大字豊場字八反107番地
代表者名
代表取締役社長 田村 孝彦
掲載誌
現代画報 2010年12月号
本記事の内容は、月刊経営情報誌『現代画報』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。