高度な技術力で世界へ羽ばたく少数精鋭のものづくり企業!

協栄エンヂニヤリング 株式会社

代表取締役 村上 正典

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─略歴

「お客様に喜んで頂ける仕事をすること。
そのために日々研鑽を重ねています」
『協栄エンヂニヤリング』には、創業以来受け継がれてきたモットーがある。それは「お客様から喜ばれる仕事をする」ということ。そして、その精神は2代目である村上社長にも連綿と継承されており、社長は日々反省と改善を繰り返しながら品質・納期・価格、全ての面においてお客様から一層満足される製品づくりを追求。また、ときに寄せられる同業他社が敬遠するような難しい仕事にも積極果敢に挑戦し、試行錯誤しながら顧客の要望に応え続けてきた。「お客様が喜ぶ姿を見るのが何よりのやり甲斐なんですよ」と語る社長は、先代から受け継いだその精神を胸に、今日も現場に立ち続ける──。
一般産業用部品及び航空機部品の製造を手掛ける『協栄エンヂニヤリング』。創業以来培われてきた豊富なノウハウと高い技術力で高品質・短納期を実現し、顧客の要望に応え続ける気鋭のものづくり企業だ。そんな同社の村上社長にインタビュー!

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─対談

竹原 『協栄エンヂニヤリング』さんの創業者は、社長のお父様だそうですね。

村上 はい。父は昭和38年に「村上製作所」を立ち上げて以来、職人として、また経営者として従業員たちを牽引し、当社を発展に導いてきました。ところがその父が脳梗塞で倒れ、3カ月に及ぶ闘病生活の末に他界…。そのため、急遽私が後を継いだ次第です。

竹原 それは大変でしたね…。

村上 ええ。19歳のころから現場で厳しく鍛えられてきましたので技術面に関する不安はそれほどありませんでしたが、経営面については一切教えられていなかった上、十分な引き継ぎもできないまま現職に就任しましたから、当初は戸惑うことばかりでした。ただ、先代が健在だったころから妻が経理面などの仕事を手伝ってくれていましてね。そのお陰で大きな混乱もなく比較的スムーズに経営を引き継ぐことができました。妻は現在でも書類上の処理を一手に引き受けてくれていますし、私が現場に集中できるのも妻のお陰。本当に感謝しています。

竹原 奥様と二人三脚で、先代亡き後の『協栄エンヂニヤリング』さんを切り盛りされてきたのですね。事業内容としては、創業当初から変わらずに?

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

村上 そうですね。スチームタービンという電気を作るために必要な部品を中心に、ポンプ部品や自動車部品などの一般産業用部品の製造を手掛けております。また、近年では航空宇宙機器部品の製造にも取り組んでおりましてね。これは、町工場が生き残る道として航空宇宙機器を扱おうと動いていた先代の遺志を受け継いだ事業なんです。昨年11月には東京国際航空宇宙産業展に大田区代表として出展。初めての参加でしたが、当社の製品をご覧になった審査機関の審査部長や業務部長から「素晴らしい仕事だ」という非常に高い評価を受けたんですよ。さらに今年1月にはJIS Q 9100(航空宇宙品質マネジメントシステム)の認証を取得し、つい先日第一回目の審査を受けたところです。

竹原 宇宙開発という全人類の夢と言っても過言ではない壮大なプロジェクトに携われるとは、技術者冥利に尽きるお仕事ですね!

村上 ええ。航空宇宙機器の認証を受けることで従業員の皆に夢を与えられればと思っています。現時点ではまだ受注に至っていませんが、積極的に業界のイベントに参加しながら製品をアピールしていきたいと考えているんですよ。そしていつか、自分たちの技術が空に飛んでいくところが見られれば嬉しいですね。

竹原 その夢が実現する日が今から待ち遠しいです! では、このお仕事のやり甲斐とはどういった部分ですか。

村上 やはり難解な注文に対して良い結果を出すことができ、お客様から喜んで頂けたときですね。今から2年ほど前、全く面識のないメーカーさんからある依頼を寄せられたことがありましてね。それは、太陽光発電に必要なある重要部品の加工ができないので、その加工をお願いしたいという依頼でした。当社としては実績のない分野の注文で、相当に困難な仕事であることも分かっていましたが、工場長から直接電話を戴き、その熱意に打たれてお請けしたんです。ところが、あるとき偶然材料の単価を記した伝票を見てみると、驚くほど高額で。他の業者さんは材料費が高額であることを懸念し、失敗するリスクを恐れて依頼を敬遠していたようで、私はそれを知らずに依頼を請けていたんです。しかし技術者である以上、一度請けた仕事は絶対に断りたくない。そこで失敗したら弁償するという覚悟を決めて工場長にも正直にお話ししたんです。すると「責任は私が持つので、やって下さい」と後押ししてくれましてね。その言葉がきっかけとなって加工に着手し、試行錯誤の末に品質・納期両面でご満足頂けるものを提供することができました。完成後、その工場長から工場に招待されたのですが、工場長は涙ぐんで喜んで下さいましてね。そのときのことは今でも鮮明に覚えていますし、お客様に喜んで頂けたときの達成感はお金では決して買うことの出来ない技術者ならではの醍醐味だと思います。

竹原 ものづくりに懸ける社長の情熱が伝わってくるお話ですね。それでは最後に、将来に向けての展望をお願いします。

村上 先ほど申し上げた通り、亡き先代の悲願でもある航空宇宙部品を受注できるようになりたいですね。幸い、当社にはやる気に満ち溢れた従業員が揃っていますし、その目標を実現するためにも全員一丸となって頑張ります!

竹原 一層のご活躍を期待しています!

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真
【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真
誰からも愛されたものづくり職人
【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真
村上 正志(創業者)

▼『協栄エンヂニヤリング』の創業者・村上正志氏は突然の病で倒れ、3カ月の闘病生活の末、昨年2月にその生涯の幕を閉じた。

▼2代目・村上正典社長が「昔気質の仕事の鬼でした」と評するように、昭和一桁生まれの先代は、仕事に対して一切の妥協を許さない生粋の職人であった。しかし一方では周囲に対する心配りも忘れなかったそうで、特に職人たちへの配慮は並大抵ではなかったとか。「職人というのは個性が強い人たちですから、まとめ上げるのはなかなか難しい。そんな職人たちがうまくまとまっていたのは、父が心から職人たちを大切にしていたから。父は本当に面倒見が良くて、職人たちからもとても愛されていましたよ」と社長は語る。

▼「父からは、技術面だけでなく人として大切なことを教わりました。その魂を忘れずに頑張っていきたい」──偉大なる先代の技と心は、『協栄エンヂニヤリング』の礎として末永く受け継がれていくことだろう。

対談を終えて
「あまりに突然の代替わりであったため、当初は戸惑うことばかりだったとおっしゃっていた村上社長。長い歴史を持つ会社を引き継ぐプレッシャーも相当大きかったでしょうが、見事にそれを乗り越えた精神力の強さにはただただ感服するばかりでした。亡き先代の遺志を受け継いで航空宇宙機器の製造にも本格的に着手しておられるそうですし、先代も天国からその姿を見てとても頼もしく思っておられることと思います。先代から受け継いだ技術と魂で、これからも頑張って頂きたいですね。陰ながら私も応援していますよ!」(竹原 慎二さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名 称
協栄エンヂニヤリング 株式会社
住 所

【本  社】

東京都大田区西六郷4-3-2

【第二工場】

東京都大田区西六郷3-25-2

【宮城工場】

宮城県加美郡加美町字宮田13

代表者名
代表取締役 村上 正典
掲載誌
報道ニッポン 2010年7月号
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