技術革新の最前線で屈指の開発力を誇る躍進のベンチャー企業「ボンドテック」

ボンドテック 株式会社

代表取締役社長 山内 朗

【異業種ネット】月刊経営情報誌『国際ジャーナル』特別取材企画 掲載記事─略歴

半導体のチップ同士を立体的に接続するウエハー接合。電気的配線を縦につなぐための接合装置開発には、非常に高度な技術が要求されるという。その接合装置に、新しい地平を開いたのが「ボンドテック」だ。これまでにない低温での接合を実現し、国内外から熱い注目を浴びている。半導体とMEMSの接合にも取り組むなど、日本が誇る科学技術を牽引する存在でもある。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『国際ジャーナル』特別取材企画 掲載記事─対談

布川 「ボンドテック」さんで扱われているウエハー接合装置とはどんなものなのですか?

山内 例えば、携帯電話やパソコンに半導体のチップが入っているのはご存じでしょう? そのチップはウエハーと呼ばれる皿のような状態のところにたくさん造られ、一つひとつ切断して使われるんです。肝心なのは、そのチップは一つの状態よりも、三次元的に重ねられると機能が集約し、動作が高速化できること。その積層化のための接合を担うのが、当社の機械というわけです。最近は電子機器の小型化・高機能化が進んでおり、接合装置の需要が増しています。特に、当社の製品は他社とは違い低温での接合が可能で、かつ、ナノオーダーでの位置合わせ技術を持つため、熱で膨張することによるチップ同士の位置ずれもなく高精度に接合できるんです。

布川 技術革新の最前線におられるのですね。山内社長はなぜ今のお仕事に?

山内 私は小さい頃からロボットに興味があり、電気工学と機械工学が両方学べる大学に進んだんです。卒業後は、繊維機械の会社に入り、5年間機械設計を担当。ですが、それだけでは駄目だと、一度退部し、制御の新入社員として配置転換してもらいました。

布川 退部までして、ですか。そこまでして、幅広い知識を得ようと?

山内 はい。学生時代から独立を志していた私は、ハードの勉強が終わったから次はソフトをと、10年間かけてロボット(自動機械)開発に必要な知識を全て勉強させてもらいました。そこで初めて「さあ、次は何をやろうか」と。当時その会社では繊維機械しか扱っていませんでしたが、私は新たな分野に取り組もうと社内で新事業を立ちあげたんです。

布川 やる気に満ちた社員ですね。会社にとってはまさに“人財”だ。

山内 どうでしょうね。当時は“異端児”と呼ばれましたよ(笑)。新事業を立ちあげ、携帯電話のチップを打つ装置などを開発。責任ある仕事を任せてもらうようにもなったのですが、自分の夢を追いたいと退社し、2004年に独立しました。

布川 独立していかがですか?

山内 厳しい面もありますが、少数精鋭ならではの強みもありますよ。開発スピードは大手の5倍以上だと自負しています。スタッフは10名にも満たないですが、各分野で最高水準の協力を得ながら日々新たな開発を進めていますよ。

布川 素晴らしいですね。最後に今後の豊富をお聞かせ下さい。

山内 現在、当社では半導体と、MEMSという三次元集積回路の接合技術の開発を試みています。これが実現すれば、我々を取り巻く世界はより便利になるでしょうし、使う道具も大きく変わるはず。我々は、世界を変えられる仕事をしているんです。その自負を胸に、己の仕事に向き合いたいと思います。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『国際ジャーナル』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真
対談を終えて
「『“メイド イン ジャパン”は、やはり圧倒的に優れています。日本の強みを伸ばし、アピールしていかなくては』と仰る山内社長。最先端の技術に日々触れ、活躍していらっしゃる社長が仰ると説得力がありました。『ベンチャーは厳しい』とのことでしたが、後続のためにも是非頑張っていただきたいと思います」(布川 敏和さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『国際ジャーナル』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名 称
ボンドテック 株式会社
住 所
京都府宇治市大久保町西ノ端1-25-7
代表者名
代表取締役社長 山内 朗
掲載誌
国際ジャーナル 2010年2月号
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