正直な姿勢で築いた信頼を礎に人と企業をつなぎあわせる

株式会社 プロテックス

代表取締役 井浦 英巳

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─略歴

世界同時不況が発生して以降、先行き不透明な状況が続く日本経済。特に、地方における雇用情勢は依然として改善の兆しが見えず、地方に暮らす人々は、常に不安を抱きながら日々を過ごしているという。そんな中、「子どもを抱えて職を探す中高年の方に、少しでも安定した雇用の場を提供したい」と語る井浦社長が立ち上げたのが、『プロテックス』だ。本日は、人材派遣業を通じて地域社会への貢献を目指す社長の熱い思いに迫るべく、女優の吉沢京子さんが同社を訪れた。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─対談

吉沢 まずはじめに、井浦社長の歩みからお聞かせ下さい。

井浦 出身は、ここ会津若松です。正直に言いますと私は裕福な家庭に育ったわけではなく、高校卒業後は「少しでも良い暮らしを送りたい」と職を転々としていました。そして目の前の仕事に一所懸命取り組みながら一歩ずつステップアップしていく中で、人材派遣会社で働くこととなりましてね。そちらで実績を積み重ねた後、有志で集まって栃木県宇都宮市に人材派遣会社を設立したんです。

吉沢 そこから新たに、会津若松で会社を立ち上げようと思われたきっかけは?

井浦 宇都宮の会社では、周囲の仲間たちの協力もあり、社内での目標をある程度達成したという思いがありました。そんな中、世界同時不況が発生し、地方の雇用情勢が悪化の一途を辿っている現状を目の当たりにしたんです。会津若松を離れたころから、いずれは地元に戻りたいと考えていましたし、「派遣切りやリストラに遭い、職を求めておられる方々のお役に少しでも立ちたい。それが私を育ててくれた地元の人々への恩返しにもなる」との思いで、この地に人材派遣会社を立ち上げる決意を固めました。

吉沢 郷土を愛し、地元に貢献したいという社長の熱意が、『プロテックス』さんの設立につながったのですね。実際にスタートされて、いかがですか。

井浦 ありがたいことに、「井浦がやるんだったら」と大勢の仲間が協力してくれ、広告を出していないにもかかわらず、素晴らしい人材が集まってくれました。お陰様で、派遣先企業の方々からも非常に高い評価を戴いているんですよ。

吉沢 良いスタートを切られたようですね。お仕事上ではどういったことを大切にされているのでしょう?

井浦 誰に対しても、とにかく正直に接することです。例えばミスをおかしたとき、人はついごまかそうとしてしまいますよね。しかし、それも結局はお客様に見透かされ、信頼を失うことにつながります。だからこそ私は、ミスをおかしたときには絶対にごまかさず、正直にお話ししてリカバリーに全力を尽くしているんです。ですから、お客様との駆け引きはあまり上手くないんですよ(笑)。

吉沢 けれど、その実直な姿勢こそが、周囲の方々の信頼を獲得している何よりの要因だと思います。今日までを振り返られて、いかがですか。

井浦 実は当社の関連会社である「プロテック サービス」の渡部社長は、私が“師”と仰ぐ方でしてね。社長とは今から20年前に出会って以来、ときに大喧嘩をしながらも、互いに認め合い、切磋琢磨してきました。そんな社長をはじめ、素晴らしい出会い・仲間に恵まれたからこそ今の私があると思いますし、皆さんには本当に感謝の気持ちで一杯です。だからこそ、これからも周囲を信じ、自分にも周囲の人にも正直な仕事を追求していく所存です。そして公的機関とも協力関係を築きながら、雇用環境の改善に一層力を注いでいきたいですね。微力ではありますが、当社の活動を通して職探しに悩んでおられる方々のお役に立ち、この地に住む皆様が安心して暮らせる社会を築くために、努力して参ります!

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真
対談を終えて
「誰に対しても“直球勝負”で接してこられたという井浦社長。対談でも、その実直なお人柄がとても伝わってきましたよ」(吉沢 京子さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名 称
株式会社 プロテックス
住 所
福島県会津若松市西七日町7-11号
代表者名
代表取締役 井浦 英巳
掲載誌
報道ニッポン 2009年12月号
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