大西 まずは現在のお仕事に就かれるまでの経緯からお聞かせ下さい。
深津 学校卒業後、初めて就いたのは自動車の金型枠をプログラムする仕事でした。その後、先輩を手伝う形で足場組立の現場に立つようになったのですが、大きな事故を間近で見てしまいましてね。そんなとき知人が建築会社を紹介してくれ、そちらに移ることになりました。そこでいきなり現場監督に抜擢されたのです。
大西 未経験で大役を任されるのは大変だったでしょう。
深津 それはもう! この業界は使用する言葉も特殊で、cmやmといった長さの単位も職人さんとお話しする際は尺や寸に換算しなければなりません。最初はそんなことすらも知りませんでしたし、もちろん専門的な建材の名前も分かりませんでした。それでも指示は出さなければなりませんから、毎日勉強に明け暮れていたものです。今振り返っても我ながらよくやったと思いますし、二度と戻りたくはないですね(笑)。
大西 私も芸能界に入ったころは業界用語を知らなくて、ずいぶん心細かったのでお気持ちが分かります! けれど、当時のご苦労が糧となって今があるのだと思いますよ。
深津 そうですね。言葉通り寝食を惜しんで働いた日々があったからこそ、技術も経験も培ってくることができましたし、貴重な人脈も得られたのだと思います。
大西 そして手応えを感じるようになるにつれて、独立心が芽生えて?
深津 いえ、私自身はあまり独立を考えたことはありませんでした。現場監督を続けているうちに、職場の先輩が独立することになり私も誘ってもらったのです。その方は最初に仕事を教えてくれた恩人だったのですが、私は既に家庭を持つ身でしたのでしばらく返答を保留していました。するとその間に資金を貯めておられ「これだけあるからしばらくは大丈夫だ」と通帳を見せて下さってね。その心根に胸を打たれて転職を決意し、その後12年間お世話になったのです。
大西 深い信頼関係があったのですね。
深津 しかしあるとき仕事のことで意見がぶつかり、会社を辞めるようにと勧告されたのです。そのときは売り言葉に買い言葉といった感じで、私もすぐに荷物をまとめて飛び出してしまいました。2、3日後には退職金などが振り込まれていたのですが、その矢先に会社が倒産したという連絡が入ったんですよ。まさかそんな状況にあるとは露とも知りませんでしたから、まさに寝耳に水という感じでした。
大西 ということは、最後の諍いは先輩からの最後の優しさだったのですね。
深津 ええ。本当に頭が下がるばかりです。しかし残されたスタッフやお客様を捨て置くことはできませんから、急ぎ後処理を私が行い、工期の途中だった仕事を引き継ぐことになりました。それが当社の始まりとなったのですよ。
大西 ではゼロではなくマイナスからのスタートだったわけですか!?
深津 そうですね。しかし赤字だからといって安い材料を使ったり手抜き工事をするわけにはいきませんから、通常よりも力を入れて完遂しました。確かに当時は苦労もありましたが、その物件のお客様をはじめ、一緒に駆け回ってくれた営業マンなどに助けられながら乗り切ることができたのです。改めて仕事とは人と人とのつながりで成り立っているのだと実感しましたし、この絆を当社の基軸としていきたいと決意を新たにしました。
大西 素敵なエピソードですね。そんな社長だからこそ、周囲の人も協力してくれるのだと思います。
深津 私は長年空手を習っていまして、師匠から大切な精神を教えて頂いたのです。それは、「利己心ではなく利他心で動け」というもの。自分の利ではなく、相手にとって得となるように考えて行動することを常々指針としています。特に当社が手掛ける建築の仕事は、新築にせよリフォームにせよ、様々な業者が関わり合いながら作業を進めていきます。もちろん互いの意見を主張することも大切ですが、和を尊び、相手を尊重する思いを忘れないよう心がけていますね。各職人たちが最高の力を発揮できてこそ、完璧な仕上がりも実現するのですから。
大西 社長が色々な現場から引く手あまたである理由が分かった気がします。では最後に、今後の展望を。
深津 私の右腕、左腕となってくれるような人材を育てて、組織づくりを行っていきたいですね。また、これまでお世話になった方々をお招きして、一度盛大なバーベキュー大会なども開ければと考えているのですよ。今後も多くの方と手を携えながら邁進していく所存です。
▼建築業界に長く身を置き、経験と技術を身に付けてきた深津社長。現在も色々な方面から依頼の声が絶えず、四方八方の現場を飛び回っている。そんな忙しい日々の中でも、10年以上続けてきたのが空手だ。そして空手道を通じて、経営者としての指針となる精神も学んだという。
▼「親館長である平野泰作先生から“利他心”という言葉を教わったのです。自分にとって得だと思うことをあえて人に与える。そして、自分にとって不利益なことは、自分自身でどうにかできるはずだから相手には見せないようにする。それを日ごろから心がけることで、己が磨かれていくのです」と社長は語る。いわば利己心の対義語というべき利他心、社長の場合はそれを仕事の場で実践することにより得難い信頼を集めているようである。
▼昔から、空手は身体のみならず精神を鍛えるスポーツとして人々に愛されてきた。社長は自ら学んできたことを、今度は教える側となって指導にも専念しているという。特に週に一度子どもたちに教えることが、何よりの楽しみとなっているのだとか。将来の日本を背負う子どもたちが、社長から何を学び、それをどう活かしていくか。今から楽しみでならない。