穂積 まずは社長の歩みからお聞かせ下さい。ご出身はどちらですか。
高見澤 横浜市出身です。大学を卒業した後は、東京ドームの照明や横浜ベイブリッジの照明などを手掛ける電気メーカーに就職。そこで交通信号機の部署に配属され、4年間は警視庁を、2年半は福島県警を担当して交通関連機器の営業に従事しました。
穂積 その当時から独立したいというお気持ちは持っておられたのでしょうか。
高見澤 いいえ、私は勤務先にずっと勤めるつもりでした。ところが、不動産業を営んでいた父が体調を崩したため、急遽勤めていた会社を退職し、横浜へ戻ってきました。そのときも会社を継ぐことは視野に入れておらず、自分が父の世話をしなければならないとの気持ちだけでしたね。
穂積 ではどういった経緯で『高尚』さんを経営されることに?
高見澤 平成14年に帰郷して以来、ずっと病身の父の代わりに私が会社で代役を務めていたんです。そして父が他界した後、きちんと事業を引き継ごうと決意し、不動産業だけでなく色々な業種に対応できる名前にしたいと思って平成20年に社名を『(株)高尚』と変更しました。ですから肩書きが変わっただけで、行うことは以前と変わっていません。ただ「戦前、祖父が横浜に移り住み、そして父がいたから、自分がいる」という先代たちの存在の大きさは改めて実感しています。自分だけの力で当社が成り立っているわけではありませんし、周囲の大勢の人に支えられているからだと感謝の思いばかりです。
穂積 それを感じられるかどうかで、経営者としての評価は大きく分かれると思いますよ。では、今はどういったお仕事をメインにされているのでしょう。
高見澤 父の代から引き継いだビルの管理や賃貸事業を継続しながら、現在は飲食店を経営したりCADによる図面作成も手掛けています。また、平成19年には横浜東口にオープンした複合施設内にある商業施設を管理する『アット高島』も設立しました。
穂積 お仕事をされていて、やり甲斐を感じる瞬間はどんなときですか。
高見澤 スタッフたちの充実感溢れる姿を目にしたときです。彼らとは縁があって一緒に働くようになったのですから、皆が楽しく仕事ができる環境を整えていくことが私の役目だと思っています。
穂積 社内の結束も固いようです。では最後に、今後の展望をお聞かせ下さい。
高見澤 今以上に幅広い分野に挑戦していきたいと思っています。ただ、しっかりと基軸を据えることが肝心ですから、足元を見失わないようにしたいですね。そして将来的には設計、飲食、 ビル管理など、どの分野においてもお客様にとって“特別な存在”となれる会社に成長していきたいと思います。
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