人の痛みが分かるからこそ深層のニーズにまで対応できる

エアフィルタ総合販売/メンテナンス専門店

空調機器熱交換器化学洗浄工事

コレオテック

代表 呉屋 勝三

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─略歴

【足跡】 沖縄県出身。学業修了後、学生時代からアルバイトをしていたエアフィルタ販売会社に就職。30年近く勤務する中で要職を務めるようになるも、体調を崩して闘病生活を余儀なくされる。病を克服した後はその経験で培われた強い精神力で新たな人生を拓くべく、独立し『コレオテック』を創業した。
平成20年にスタートした『コレオテック』は、エアフィルタなどを通じて空気を清浄化するプロだ。この道約30年の呉屋代表が培ってきた技術・知識・人脈の全てを駆使して、塩害の多い沖縄で快適な空間づくりをサポートしている。大病を克服し、独立という新たなステージへ駆け上った代表に本日は村野武範氏がインタビューを行った。

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─対談

村野 まずは代表の足跡から伺っていきます。社会人としての第一歩はどういったお仕事に就かれたのですか。

呉屋 今と同じ、エアフィルタの販売業です。学生時代からアルバイトをしていた会社に卒業後そのまま就職しましたので、私はこの道約30年になるのですよ。本当は新卒で他の会社から内定を戴いていたのですが、お世話になった方からのせっかくのお誘いでしたのでお受けし、長年勤めてまいりました。

村野 ではそちらで経験を積まれるに従って独立心が芽生えてきたのですか。

呉屋 いいえ、自分が独立するだなんて思ってもいませんでした。そちらの会社では管理職も務めていましたし、何ごともなければ定年まで勤め上げていたことでしょう。しかし、あるとき体調を崩して病院で検査をしたら、癌であることが発覚しまして。そのまま入院し、闘病生活を送るようになったのです。

村野 今のお姿からは想像できませんね! 無事に克服されたのですか?

呉屋 はい。治療が効いて4カ月ほどで無事退院することができました。しかしいくら退院したとは言え通院が必要でしたし、会社でもちょうど代替わりの時期と重なって復帰が難しくなっていたのです。それでこの先どうしようかと考えていたところ、昔からの知人が「自分の力で会社を興して下さい。応援しますから!」と言って下さり、まだ起業していなかったにもかかわらず本当にご依頼を下さったのですよ!その方に後押しされる形でこの『コレオテック』を立ち上げることになりました。

村野 いかに社長が勤務時代、周囲と信頼関係を築いておられたのかがよく分かりますね。そういった周囲からの支援があれば、独立後も順調に経営を行えたのではありませんか。

呉屋 そうですね。沖縄だけでなく他府県の方々にも協力して頂いて、何とかお客様のニーズに応えることができています。基本的に営業活動は私一人で行っていますが、搬入や施工の際には協力してくれる仲間もいますから、全体で見ると10名弱のネットワークで稼働していることになりますね。

村野 具体的なお仕事内容についてお聞かせ下さい。

呉屋 エアフィルタの販売とメンテナンスが主業務です。病院などの手術室や無菌室、ICUなどは通常の空間とは違うでしょう。そういった場所の空気を濾過するフィルタを取り扱っているのです。

村野 とても専門的な分野ですし、商品もデリケートなのでしょうね。

呉屋 ええ。僅かな穴が空いただけで使い物にならなくなりますから、取り扱いは非常にシビアに行っています。クリーンルームなど以外では塩害予防のためのフィルタも取り扱っており、こちらは業種を問わず取引をさせて頂いています。

村野 それはどういったものですか。

呉屋 海の風が室内に入ると、塩分を帯びていることから物を錆びさせてしまうのです。それを防ぐために空調機器に塩分を取り除くフィルタを取り付けるのですよ。これは沖縄ならではのものかもしれませんね。

村野 なるほど! 気付きにくい部分ですが、そこで生活をしたりビジネスをする人々にとっては大きな問題ですものね。お客様にも喜ばれるでしょう。

呉屋 ええ。フィルタを変えると湿度も変わりますから、快適になったと喜んでもらえることが多いです。また、無菌室などの場合は数値として結果が目に見えますので、お客様も驚かれますね。そうした瞬間瞬間が、この仕事をしていて最もやり甲斐を感じるときなのですよ。お客様がご満足されると、次もご指名を下さったりとお付き合いが深まりますから、その輪を大切にしていきたいと思っています。

村野 一つひとつの現場に応じた誠実な取り組みが、実績につながっていくのですね。では最後に、今後の抱負をお聞かせ下さい。

呉屋 お客様にもっと喜んで頂けるようにと、常に創意工夫を重ねていこうと思います。価格は安く、アフターフォローは手厚く、そして人と人とのつながりを広げていきたいですね。病気のことも含め、これまでには様々なことがありましたが全ての経験を糧として、これからも楽しみながら仕事に取り組んでいくつもりです。

村野 その意気で頑張って下さい!

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─取材記事写真

生きる喜びは、仕事を楽しむ喜び

▼元々独立は全く考えていなかったという呉屋代表。そんな代表の人生を大きく変えたのは、癌という大病だった。入院して治療に専念した末何とか病は克服できたものの、苛酷な治療によって体力が著しく低下。おまけに長年忠義を尽くしてきた会社は代替わりによって体制が変わり、他所に勤めるにしても体調が回復するまでには不安があった。そんな八方ふさがりの状況に一筋の光明を照らしたのは、知人からの1本の電話だったという。そこから代表は独立という道を拓いていったのだ。このエピソードから分かるのは、チャンスがいつ訪れるのかは誰にも分からないが、地道な努力をしてきた者は決して運に見放されないということである。

▼現在、仕事に取り組む代表の姿はとてもイキイキとして、充実感に溢れている。「癌の原因はストレスだと言われたのです。だから以前と同じような仕事の取り組み方ではきっとまた同じことを繰り返してしまう。同じ働くならば、やっぱり楽しまないと! 今はその大切さを実感しているのですよ」と代表。仕事のストレスが原因で自分自身の人生を台無しにしてしまっては意味がない。生きる喜びとは、楽しく仕事ができる喜びでもある。一人でも多くの日本のビジネスマンに、それを知ってもらいたいものだ。

対談を終えて
「過去に癌と闘い、打ち勝った経験を持つ呉屋代表。だからこそ人の痛みも汲んで心からのお付き合いができるのでしょうし、現在の充実したご様子を見ると、どんな苦労も糧に変えることのできる強い方なのだと感じました。お仕事面でも経験豊かなベテランですから、細かな部分まで丁寧にサポートされていることでしょう。健康に留意されながら、いつまでも現役で活躍し続けて下さいね。陰ながらではありますが、益々のご発展を心よりお祈りしています。本日はありがとうございました。」(村野 武範さん・談)

【異業種ネット】月刊経営情報誌『報道ニッポン』特別取材企画 掲載記事─会社概要

名 称
コレオテック
住 所
沖縄県中頭郡北谷町北前227-4
代表者名
代表 呉屋 勝三
掲載誌
報道ニッポン 2009年8月号
本記事の内容は、月刊経営情報誌『報道ニッポン』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。