石橋 社長は、二代目だそうですね。
森藤 ええ。私は当社の創業者である父の背中を見て育ち、自分も塗装屋になるのだと幼い頃から漠然と考えていました。中学生の頃からアルバイトもしていましたし、自然と家業に入ったのです。
石橋 では、学校卒業後はすぐに初代と一緒に働かれたのですか。
森藤 社会人としての礼儀作法を学ぶため、2年ほど異業種の営業に従事し、20歳で家業に戻りました。それからはほとんど休みなく現場に出ていましたね。
石橋 初代はどのような方ですか。
森藤 芸術に造詣が深く、絵や書に長けていたため代筆を頼まれたり、美術展覧会に絵を出展していたんですよ。そうした才能もありましたから、同じように筆を使う塗装業は初代の天職だったと思います。指導はとても厳しく、周囲からは「よく辞めないね」と言われるほど(笑)。けれど初代はずっと「職人は叱られてこそ腕を上げるもの」という考えでしたし、それは私も同じでしたから初代の指導はまったく苦ではありませんでした。ただ初代が病気のため急逝してしまったときは途方にくれました……。
石橋 急な代替わりだったのですね。
森藤 技術的な部分では問題はなかったのですが、経営については私はまったく関わっていなかったのです。そのため、事業を引き継いでからしばらくは赤字の状態が続きました。けれど、初代からは「どんな時でも懸命に仕事に取り組め」という教えをたたき込まれていましてね。その言葉を守ってきたからこそ、当時の困難を乗り越えることができたのだと思います。現在の当社が、そして現在の私があるのも初代の教えがあったから。初代の教えはまさに財産ですね。
石橋 初代の教えが御社の基盤になっていることが窺えます。では、社長が代替わりされてから、新たに取り組まれたことなどがあればお聞かせください。
森藤 近年は不景気の影響で施工料は抑えられているのが現状です。そんな中でも質の高い仕上がりが維持できるよう、創意工夫を凝らしています。また、創業当初からはビルやマンションなどの塗装をメインに手掛けていましたが、新築物件の減少を受け、塗り替え工事などメンテナンスの分野に比重を置くように。メンテナンスに欠かせない防水や左官工事も請け負えるよう、新しい技術者も迎えました。さらに私自身も各種資格を取得。そうしてメンテナンスまでトータルに手掛けられれば、コスト削減という面でもお客様に貢献できると考えているのです。
石橋 となると、スタッフに求められる技術も高くなるのでは? 人材育成においてはどのような点を心掛けておられるのですか。
森藤 私からの指示で動くのではなく、自発的に仕事に取り組めるよう、環境を整えています。自分で考え、工夫してこそ技術は身につくもの。回り道のように思われるかもしれませんが、本物の技術を習得するには、地道に努力を重ねるしかないのです。そうした方針も初代から受け継いだものなんですよ。また、当社では同業者が取り組んでいる町中の落書きを消す活動にも参加しています。自分の技術が、町の美化に貢献し、地域から感謝の言葉を掛けてもらうことは、仕事への誇りに大きくつながっていきます。そうした喜びが、さらなる技術向上への原動力にもなるのですよ。
石橋 最後に今後の展望を。
森藤 不況の今こそ、本質を重視し、かつ付加価値の高い仕事が求められているはず。そうした時代にも必要とされる企業になるために、基礎と応用力を兼ね備えた技術者集団を目指していきたい。スタッフは3〜4名と会社の規模は決して大きくありませんが、一人ひとりが高い技術を有することで、困ったときにはいつでも頼っていただける企業にしていきたいですね。
石橋 陰ながら応援しています。
▼『森藤塗装店』の森藤社長は、地元の同業者で、同年代の経営者で構成された『岡山県塗装倶楽部』にも参加している。同団体の活動内容は、町中の心ない落書きを消去するというもの。落書きは放置しておくと、町の美観を損なうだけでなく、治安に対する関心が低い地域と思われ、さらに落書きが増えることが憂慮される。そのため、小さくとも最初の落書きを消すことが、町の景観維持と治安のためにも重要なのだ。
▼社長は、職人が自らの技術を生かしてそうした活動に参加し、直接的に地域に貢献する機会を大切にしている。それは活動自体の充実感だけでなく、自分の仕事への誇りにもつながっていくからだ。
▼『森藤塗装店』で働いていてよかった。職人を続けてきてよかった──そうした熱い人生を職人達に送ってもらうことが、社長の夢なのだ。