
大沢 馬越社長のご出身はこちらで?
馬越 はい。私の家は、古くからこの地で暮らしてきました。大工の仕事を手掛けるようになったのは父の代からなんです。私は幼い頃より多くの職人に囲まれて父の背中を見ながら育ち、仕事場でいつも遊んでいたんですよ。
大沢 それでは、いずれはお父様の後を継ごうとお考えだったのでしょうか?
馬越 いえ。元来料理が好きでしてね、実は大工職人になる前に、大阪で料理人の修業をしていたことがあるんです。しかし今振り返れば、料理の道に進んだ決断の裏には、別の想いがありました。父に対する反発心、そして同じ道へ進むことのプレッシャー……父は周囲からも一目おかれるような優れた職人だったんです。父の背中は大きく、息子の私が父を超えるのは至難の業だと感じました。それで、思い切って全く違う世界に飛びこんでみたんです。
大沢 では、一度は足を遠ざけた大工の世界に入られたのはどういった経緯で?
馬越 父が体調を崩し、呼び戻されたのです。「生きている内に、自分の技術を伝えたい。そのためには10年はかかるから、今すぐに戻ってこい」と──父の言葉に私も心を決め、料理人となることを諦めて帰郷。23歳の時でした。
大沢 そうでしたか。さぞや厳しい修業をされたのでしょうね。

馬越 それはもう(笑)。10年間、格闘の日々が続きました。父は、お客様に対しても自分の意見を貫く人でしてね。頑固な性分でしたが、全ては職人としてお客様を大切に思うからこそ。私の指導にしても、厳しくしたのは私の将来のためです。今、こうして上に立つようになって改めて、父の偉大さを噛みしめているんですよ。そうして私に技術をたたき込んだ父は、本当に10年後に他界してしまいました。自分の寿命を知っていたのでしょうか──人生の最後の10年間を父は精一杯に生きたのだと思います。
大沢 お父様から、大切なバトンを受け取られたのですね。
馬越 今の自分があるのは父のお陰だと思っています。でも、料理の世界を目指したことも良い経験になったと感じているんですよ。すぐに家業に入らず、生まれ故郷を離れて違う世界を見たことは、視野を広げてくれました。現在、代替わりをして15年目。父が築いた信頼を受け継ぐため、一生懸命に取り組んできました。最近はその努力が一つひとつ実を結んでいっていると感じることが多く、嬉しい限りなんです。
大沢 順調に歩まれているのですね。
馬越 私の代になって初めて仕事を手掛けたお客様から今再び依頼をいただいたり、他のお客様を紹介していただくことがあるんです。この地に根ざし、この地のみなさまに信頼していただいて歩んでいくことが当社の目指す姿ですから、本当に嬉しいですね。
大沢 家は長く住むものですから、信頼できる職人さんがいるとお客様も安心でしょうね。
馬越 ええ。良い仕事をするのは当たり前。私どもでは、その先のアフターフォローにも力を入れています。完成後も時折お宅を訪問し、「具合の悪いところはないでしょうか」とお聞きしているんですよ。時が経てば住む人のライフスタイルも変わりますし、家は手直しが必要となってきます。いつまでも心地よく暮らせる住まいであるよう、お手入れさせていただいているんです。
大沢 なるほど。完成したら終わり、ではなく末永く続くお客様とのご縁を大切にしておられるのですね。
馬越 私は、スタッフたちにも「お客様から要望をいただいたら、お客様に有益になるようにして差し上げるように」と伝えているんです。その点、当社のスタッフは大変優秀ですから、現場に私がいない時でも、常より伝えている判断基準に沿って自分で判断し、進めてくれます。父から受け継いだお客様を大切にする姿勢が、スタッフたちにも伝わっているのは喜ばしいことですね。
大沢 お客様を思う職人の心が、御社には息づいているのですね。後継者についてはお決まりですか?
馬越 いえ、残念ながらまだなんです。私の子どもは娘ばかりですから、身内から三代目を出すことは考えていません。若手職人の中から、「我こそが」と声を上げてくれる者がいれば嬉しいですね。これからも、ふるさとであるこの地に深く根をはり、地域の皆さまと末永いお付き合いができるよう、日々精進を続けていきます。
大沢 応援しています!

▼愛媛県は今治市、伯方の島に生まれた馬越社長。父祖代々と暮らしてきた歴史あるこの地を、社長は心から愛している。そしてふるさとのために、大工職人として貢献したいと考えているのだ。
▼現在、伯方の島では若者たちが都会に流出し、住民数が減っている。立派なつくりの日本家屋が多く残っているというのに、住む人がおらず利用されていない家が多い。社長は、そんな古民家を手入れし、家にもう一度命を吹き込みたいと考えている。そして定年を迎えた団塊世代の人に島へ移住してもらい、古民家に住んでもらえれば、と構想しているのだ。
▼社長の自宅も、優れた職人であった社長の父親が建てた。築40年を過ぎてなおびくともしないその家は、日本の職人技の素晴らしさを物語っている。古民家は、受け継がれてきた島の財産。社長は自身の腕で、ふるさとの財産を守り、ふるさとを活性化させていく構えだ。