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野球で培った強靱な精神力を武器に |
| 建築業界で成功を収める |
渡嘉敷 まずは店長の歩みからお聞かせ下さい。
関口 幼いころから野球が大好きでしたので、高校は地元の強豪校に進学し、甲子園を目指して猛練習に明け暮れていました。結局、甲子園に出場する夢は叶わず、卒業と同時に自分の野球人生にも一旦は区切りを付けたのですが、常に上を目指してひたむきに努力していた当時の経験は、私にとって大きな糧となりましたね。
渡嘉敷 熱い青春時代を送ってこられたのですね。社会人としての第一歩はどのようなお仕事に?
関口 サラリーマンとして会社勤めをしていました。しかし、次第にもっと面白い仕事はないだろうかと考えるようになり、23歳のころに転職を決意。そして、ある求人広告から住宅販売の営業職を見付け、その面接を受けた際に住宅販売という仕事に大きな魅力を感じたことから、この業界に入ることを決意したのです。
渡嘉敷 それまでのキャリアを捨てて一からのスタートを切られたわけですね。当初は苦労されたこともあったのではないですか?
関口 そうですね。自ら望んで入ったとはいえ、住宅販売の営業はあらゆる業界を見回した中でも最も厳しいと言われる仕事の一つ。特に、当初は専門的な知識がほとんどありませんでしたからお客様のところに足を運んでも門前払いですし、たとえ話を聞いて頂けても断られることが多く、それが嫌でベルを押して留守だとホッとしたこともありました。しかし、それでも野球部時代に培った努力と根性を武器に懸命に仕事に励んで知識と営業力を習得し、何とか契約を結ぶことができたのです。すると、面白いものでそれ以降はどんどん契約が決まるようになり、3年目に入ったころからはお客様の紹介でご注文を戴けるようにもなったのですよ。最後の方は「この家は、私のことを待っているんだな」ぐらいにまで思えるようになっていましたね(笑)。
渡嘉敷 野球で培った経験が活かされたのですね。独立されたきっかけは何だったのですか?
関口 勤めていた住宅会社では順調にキャリアを重ねていましたし、勤務時代には独立は考えていませんでした。ところが、私が29歳のころに会社が解散することになりましてね。そのときに、私が担当していた物件の中にまだ工事途中のものがありましたので、そのまま放置するわけにもいかないということで独立を決意したのですよ。そして、それまでお世話になっていた職人さんや業者さんなどに助けて頂いたことで何とかその工事を終え、会社の第一歩を踏み出しました。
渡嘉敷 自分の仕事を途中で投げ出さず、強い責任感を持って取り組んでこられたからこそ、周囲からのご協力が得られたのだと思います。
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人々への感謝の思いを胸に |
| 夢に向かって邁進する |
渡嘉敷 ところで、こちらでは「雨楽な家」という住宅を扱っておられるそうですが、一体どのようなものなのですか?
関口 無垢の木や自然素材を用い、数寄屋の手法、職人の手仕事を活かした、デザイン性の高い省コスト住宅です。「雨楽な家」は、広島県に本社を構える会社が推進しているブランド住宅で、日本人の美意識や伝統文化を後世に伝えられる素晴らしい住宅だと考えて取り扱うようになりました。そして、この「雨楽な家」を扱っているのは、栃木県下では当社だけなのですよ。
渡嘉敷 現在では木造建築の住宅が少なくなっていますが、やはり木材を用いた住宅の方が心も身体も癒されますよね。
関口 ええ。住空間は何より快適さが求められますが、近年では設備やコストといった即物的な面ばかりにスポットが当たり、それが快適さに置き換えられてしまっています。そして、その結果シックハウス症候群が起こるなど、本来健康を培うはずの住宅が健康を損ねる原因となってしまっているのです。だからこそ当社は、本当の快適さ──つまり目に見えない身体で感じる部分を重視し、柱・梁・床板・造作材、すべての部分に国産の無垢材を用いて室内の壁には漆喰、土間には土と石、建具や壁には和紙を使用するなど、可能な限り化学物質を排除した心が癒される住宅を提供しているのですよ。また、「雨楽な家」は建売ではなく注文販売ですので、お客様の些細なご要望にも細かく対応できます。
渡嘉敷 それでは最後に、これからの展望についてお聞かせ願います。
関口 野球漬けだった少年時代から今日までを振り返ってつくづく感じるのは、周囲の方々の助けがあったからこそ今の私があるということ。これまで私の至らない部分で色々な人にご迷惑をおかけしてきたと思いますが、そんな中でも沢山の方が私を温かく支えて下さいましたから、まずはその恩返しをしていきたいですね。そして、それができたときこそが本当の意味でのスタートだと思いますので、これからも一所懸命に仕事に励んでいきます。
渡嘉敷 今後のご活躍が益々楽しみですね。本日はお忙しいところありがとうございました。 |