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  代表取締役 廣瀬 俊明「この仕事の魅力を伝えたい── 目立たないかもしれません。しかし、社会に必要な仕事として大きな誇りを抱いています」 local community & human company
集え!若者たち── 作業現場は空の近く人々の暮らしを支える仕事
有限会社 三愛電設 代表取締役 廣瀬 俊明
− 略歴 −

■受け継いだものは技術と、誇り──

一代で「三愛電設」を築いた亡き父親の姿を、廣瀬社長はこう語る──「口下手で頑固者、まさに職人気質の人でした」。父親の下での修業時代は親子の甘えが一切許されない、厳しいものだったが、「今思えば全てが自分の身になっており、厳しく教えてもらったことに感謝しています」と社長は振り返る。現在、培ってきた職人の技術を次世代に継承するべく奮闘している社長。父親から受け継ぎ、次世代に伝えるものは技術と、仕事への誇りだろう。

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【足跡】 愛知県で生まれ育つ。学業修了後は父親の興した「三愛電設」に入社し、修業を重ねる。36歳の時に、先代である父親の他界に伴って同社を後継。不景気な時期であったが、従業員と力を合わせて困難を乗り越えてきた。

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街の電柱から山の中の鉄塔まで、様々な送電線鉄塔の補修や管理、送電線の張替えや撤去などを手掛けている「三愛電設」。人々の暮らしになくてはならない電気の供給を支えている同社だが、昨今では若い世代の関心が向きにくい職であるという。本日は、同社を岡本富士太氏が訪れ、廣瀬社長にお話を伺った。

− 対談 −

岡本 廣瀬社長はどのような少年時代を過ごされましたか?

廣瀬 勉強にクラブ活動、遊びと色んなことに取り組む活発な子どもでしたね。中学校ではスポーツに熱中。高校生の時は、勉強に精を出していました。学校の先生になるのが夢だったんです。

岡本 ほう。では、現在の道に進まれたきっかけは?

廣瀬 大学に進み、教職課程を取っていたのですが、当社の先代である父の姿を見るにつけ、父の役に立ちたいという思いが膨らむようになりました。そこで、教職の道は断念し、学業修了後は父のもとで修業を始めたのです。

岡本 なるほど。では、当初から後継することを考えておられたのでしょうか?

【国際ジャーナル】取材記事写真

廣瀬 いえ。入った当初は父の力になりたいというだけで、後継することまでは考えていなかったんです。毎日ただ一所懸命、修業に励んでいました。社長の息子であろうと、現場では右も左も分からない一番の下っ端。「大学を出ているのにこんなことも分からないのか」と言われ、悔しい思いをしたこともありました。けれども、この仕事では努力と経験がものを言います。場数を踏んだ人には勝てない──ですから私も、色んな現場で経験を積み、一つひとつ学んできました。地面の掘削作業から鉄塔の上での仕事まで、様々な業務に携わりましたが、振り返ってみると全ての体験が自分の身になっていると感じます。

岡本 厳しい修業時代が現在の社長をつくっているのですね。お父様はどのような方でしたか?

廣瀬 一言で言うなら、まさに職人気質の人でしたね。一代で当社の礎を築き、朝早くから夜遅くまで仕事をしていました。口下手で頑固者、怒るととても怖かったです(笑)。そんな父が他界したのは2002年のこと。この世界に入って年数が経つにつれて、徐々に後継の意思も芽生えていたのですが、父から特に引き継ぎがあったわけでも、お得意様のところにご挨拶に連れて行ってもらったわけでもありませんでした。ですから父の他界後は後継したものの勝手が分からず苦労し、亡くなって改めてその存在の大きさを知りました。その頃はちょうど仕事の受注も減っていた頃。知り合いの伝手を頼って、業種の違う現場に加えてもらったこともありました。大変な時期でしたが、当社の従業員はどんな現場に行っても、必ず何か新しい技術を学んできてくれたんです。お陰様で現在は経営も安定。あの時の、皆の頑張りがあるからこそ、当社の今がある。従業員には心から感謝しています。

岡本 皆さんで力を合わせ、苦境を乗り越えられたのですね。今後はどのようなことに力を入れていかれるおつもりで?

廣瀬 送電線工事という仕事を、もっと多くの人に知ってもらいたいと思っています。当社の業務内容は、送電線鉄塔の補修や管理、送電線の張替え・撤去など、電気の供給を支え、人々の暮らしを守る仕事です。作業現場は主に鉄塔の上、空の近く──眺めがよく、とても清々しい場所なのですが、一般の人の視界には入らないでしょう? 当社の仕事をご存じない方も多いのですよ。今後は、多くの人に送電線工事について知ってもらい、培ってきた技術を次世代へ伝承していきたいと考えています。

岡本 電気という人々のライフラインを守る重要な仕事ですから、技術の伝承は大切ですよね。

廣瀬 ええ。当社の従業員は50〜60代のベテランが中心です。職人たちが習得してきた高度な技術を若者たちに受け継いでほしい。また、当社ではこれまで事故は一度も起こっていません。技術と共に、万全を期した安全対策も残したいです。決して目立つことのない、地道な仕事かもしれません。しかし私は、社会になくてはならない仕事だと誇りをもっています。空の近くで働くことの喜びを、若者たちに伝えたいですね。

岡本 応援しています!

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残されたものと、新たに手にしたものを胸に──歩み続ける
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「三愛電設」の先代社長であり、廣瀬社長の父親でもあった廣瀬五十雄氏が残した言葉で、社長の中に今も残り続けるものが幾つかある。「自分たちにとって作業服はユニフォーム。着るものはいつもきちんとしろ」「屋外でする仕事なのだから、『暑い』『寒い』は言うな」など……どの言葉も、先代の仕事に対する厳しい姿勢を思わせるもの。その存在の大きさを、なくして初めて知ったと社長は語る。

しかし先代亡き後、従業員らと共に経営の危機を乗り越えてきた社長。「大変だったが、父が生きていたら今の私はないかもしれない」という。先代から受け継いだ仕事への厳しい姿勢と、自らの手で掴んだ道を切り開く力を持って──社長は力強く歩んでいく。

対談を終えて
「『三愛電設』さんのお仕事は高所での作業が多いことから、近くで作業していても人に気付かれないことがあるのだそう。電気は暮らしに欠かせないものですが、その供給は私たちの知らないところで支えられていたのですね。現在若い世代の関心が向きにくい職とのことですが、『上空から皆の暮らしを守る仕事』なんて格好良い。ぜひ多くの若者に、この仕事の誇りを味わってほしいです」(岡本 富士太さん・談)
− 会社概要 −
名 称
有限会社 三愛電設
住 所
愛知県名古屋市中村区日ノ宮町5-56-4
代表者名
代表取締役 廣瀬 俊明
電話番号
TEL 052-482-1884
U R L
http://www.sanai-densetsu.co.jp/
掲載誌
国際ジャーナル 2008年6月号
※代表者名・先代社長名の“廣”は正しくは“「まだれ」に「黄」”です

本記事の内容は、月刊経営情報誌『国際ジャーナル』の取材に基づいています。本記事及び掲載企業に関する紹介記事の著作権は国際通信社グループに帰属し、記事、画像等の無断転載を固くお断りします。

local community & human company ゲスト 岡本 富士太「大空の下で働くことの誇りをぜひ若者に味わってほしいですね」  
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