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SPECIAL INTERVIEW(スペシャルインタビュー) − 再生日本 −
 
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代表取締役 永田 浩之「共存共栄の精神をモットーに、突き進んでいきます」 ゲスト 三ツ木 清隆「今後どこまで大きく飛躍されるのか楽しみです」
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こだわりの麺作りを伝承しつつ大胆な改革で躍進を遂げる!
株式会社 太陽食品
代表取締役 永田 浩之
− 略歴 −

独自の製法で作り上げた麺を、こだわりを持つ飲食店などに提供している『太陽食品』。昭和52年の創業当時の小さな製麺所から一躍し、今では堂々たる東海エリアNo.1の製麺会社だ。プロが認める麺を作り続ける同社を、三ツ木清隆氏が訪問!

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− 対談 −
身の回りの劇的な変化と苦難を
乗り越えてきた軌跡

三ツ木 社長は2代目にあたるそうですね。ご創業はお父様が?

永田 はい。昭和52年に父が小さな製麺所を立ち上げ、私も幼いころから父が試行錯誤しながらこだわりの麺を作っている姿を見てきました。しかし私は全く別業種である広告業界の道へ進み、21歳で会社を興したのです。ところが、経営が徐々に軌道に乗ってきた矢先に父が大病を患ってしまいました。その後両親の思いを受けて、24歳で当社に入社したのです。

三ツ木 それからお父様の下で修業を積まれたと。

永田 ええ。しかし父はそれから2年も経たずに他界してしまいましたので、一緒に働いた期間は1年あまりしかなかったのですよ。私も生産現場での麺作りから配送や営業まで一通り経験しましたが、それでも代替わりの際には苦労しましたね。まだ右も左も分からない状態だったのに、社会はバブル崩壊の真っ只中で人件費削減などが叫ばれていましたから。

三ツ木 よくそんな状況を乗り越えることができましたね。普通ならば逃げ出したくなるところですよ。

永田 周囲の方々の助けがなかったら、とても乗り越えることはできませんでした。そして、そのときに芽生えたのが、「共存共栄」という信念なんです。同業者もお客様も一緒に栄えていく道を、生涯懸けて追求していこうと決意しました。

三ツ木 その固い決意が社長をこれまで支えてきたのですね。


思い切った改革と固い信念で
新しい歴史が産声をあげる

三ツ木 代替わりして新たに変えられた部分などがあればお聞かせ下さい。

【報道ニッポン】取材記事写真

永田 見た目はほぼ全て変わりましたね。何せ創業当初は、家内工業の域を脱しないぐらいのこぢんまりとした製麺所でしたから。しかし、このままではいつか行き詰まると感じ、代替わりして間もないころに思い切ってこの工場を建てたのです。そして名古屋の製麺業界で初めてオートメーション化を実現し、ラーメン店や中華料理店、居酒屋などの飲食店を中心に顧客を開拓してきました。お陰様で今では東海エリアNo.1のシェアを誇っております。

三ツ木 思い切った改革が奏効したのですね! しかし相手は料理のプロですから、品定めは相当厳しかったのでは?

永田 そうですね。しかし私どもも製麺のプロですから料理人の要望に応える品を作ることが使命ですし、麺へのこだわりは父から受け継いだ当社の伝統でもあります。ですから生産工程をオートメーション化する中でも人の手が必要な部分は当然残し、大手企業さんの下でしばらく勉強もさせて頂きながら、納得いくまで品質を高めてきました。もちろん今でも常に研鑽を重ね、日々最高の麺作りを追求しています。

三ツ木 スタッフは何名ほどいらっしゃるのですか。

永田 総勢約30名です。先代のころから勤めてくれている大ベテランもいますし、最近入社してくれた若者もいます。年齢層が幅広い分、ベテランは熟練の技を若手に教え、若手は勢いをもって革新に取り組むという役割分担ができていますので、お互いに意見をぶつけ合う度に大きな結果が生まれているのですよ。

三ツ木 ここでも1つの「共存共栄」が実現できているわけですね。

永田 その通りです。大切なのは、お互いを認め合うこと。よく若いスタッフにも「目標とする人を見つけなさい。けれど、その人と全く同じ道を歩んでいってはいけない」と話しています。経験は何よりもかけがえのない財産で、若手がいくら寝る間を惜しんで働いても、年数を重ねている方には敵いません。それにステップアップしていくためには、時間をかけて築き上げた信頼や人脈など様々な要素が必要になります。しかし、だからといって落胆する必要はなく、自分なりの土俵を作っていけば肩を並べることも不可能ではありません。大切なのは、周囲から多くを吸収しながら、自分なりの道を見つけることだと思います。

三ツ木 社長ご自身もそれをモットーとしておられるのでしょうね。

永田 はい。当社が今後勝負をかけていくためには先代が築き上げてきた長年の信頼と実績が必要ですから、今の段階でいくらあがいても私は先代を追い越せません。けれど、先代とは違った方法を見つけ出して会社を発展へと導き、いつかは追い抜きたいと思っています。

三ツ木 先代も天国で喜んでおられると思いますよ。最後に、社長にとってのお仕事のやりがいをお聞かせ下さい。

永田 まず1つは、飲食店さんと一緒に開発した品が一般のお客様に受け入れられ「美味しい」と言って頂けたときです。決して表舞台に出ることはありませんが、黒子として飲食店さんをサポートできたときに達成感を感じますね。
 そしてもう1つは、スタッフの笑顔や成長を見ることです。幸い人材には恵まれており、ここ数年退職者もゼロなのですよ。彼らが伸びた分だけ会社も大きく前進できますし、私も負けてはいられないと鼓舞されます。そうして皆と手を携えながら、いずれは全国的に輪を広げ、この業界でトップを狙いたいですね!

今も受け継がれる先代の教え
【報道ニッポン】取材記事写真
▼昭和52年の創業から30年が経ち、麺へのこだわりはそのままに、規模も業績も飛躍的に伸ばしてきた『太陽食品』。永田社長は、創業者である父親と共に仕事をしたのは実質1年あまりだったが、その間に教え込まれた精神は今なお社長の中で息づいているという。社長は当時を振り返り、「言われたことを素直に受け入れられずに反論したことも、時と共に理解できるようになり、今なお教えられることばかりです。それに、先代が自分自身にプレッシャーをかけながら陰で努力をする姿は心に焼き付いていて、それが私の理想の経営者像となっています」と語る。そして家業に入ったときに先代から贈られた名刺入れを大事そうに撫でながら「これは先代を越えられない自分に対する戒めなんです。まだしばらくは、これまで築いてきた信頼など先代の力を借りなければいけませんので、大切に使い続けたいですね」と秘めたる思いを垣間見せてくれた。姿はもう見えなくても、先代の残したものは社長の胸の中で今なお生き続けているのだ。
対談を終えて
「異業種からの転身、急な交代劇、と普通ならば保守的になるはずの状況でも、永田社長は果敢に攻めの姿勢を貫いてこられたそうです。まだお若いのに、その行動力と判断力には頭が下がりますね。また「共存共栄」を信念とし、社内のみならず業界の明日まで視野に入れておられる器の大きさには、高い将来性を感じます。すでに東海エリアではトップの座を獲得されているとのことですが、今後どこまで大きく飛躍されるのか今から楽しみでなりません。」(三ツ木 清隆さん・談)
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− 会社概要 −
名 称
株式会社 太陽食品
住 所
愛知県海部郡甚目寺町森5丁目2番1号
代表者名
代表取締役 永田 浩之
電話番号
TEL 052-441-7292(代) FAX 052-441-0682
掲載誌
報道ニッポン 2008年3月号
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