特殊な技術に魅せられ
ものづくりの道に進む
村野 まずは社長の独立までの歩みからお聞かせ下さい。
西田 私は大阪府出身で、大学進学によって熊本へと移り住みました。卒業後は特殊な溶接を手掛ける会社に就職し、東京営業所の配属となり上京。そして7年ほど経験を積んだ後に帰郷して、同業で独立したという次第です。
村野 独立当初はいかがでしたか?
西田 立ち上げから2年ほどは苦しい時間を過ごしましたが、3年目からは徐々に業績を伸ばすことが出来ました。先行きが不安になったときもありましたが、「やると決めた以上はボロボロになるまで頑張ろう」と思えたことが、困難を乗り越えられる要因になったと思います。
村野 それでは、現在の業務内容をお伺いします。
西田 設備のメンテナンスが主業務となりまして、溶接部を特殊な技術によって強固にし、設備の質を維持するお手伝いをしています。鉄というのは使用し続けると摩耗してしまうんですね。そこで、溶接肉盛工事などと呼ばれる特殊な技術を使って溶接部を強固にしていく作業を手掛けているのです。
村野 つまり、御社の技術によって摩耗を食い止めると?
西田 簡単に言うとそうなります。新しい設備はもちろん、お客様から設備をお預かりして、それを自社工場で加工を行ってお返ししています。ですから、設備の修理屋さんのような仕事でもありますね。
村野 なるほど。現在力を入れておられるお仕事と言いますと?
西田 ダイカストマシン現地修正加工という技術を使用することです。昨今の自動車の軽量化に伴って需要も高まっており、注目を集めているんですよ。
村野 それは何故でしょう?
西田 最近は自動車業界を中心に鉄からアルミへと素材がシフトしてきており、ダイカスト技術の向上に伴ってマシン台数や稼働率が大幅に増加傾向にあります。そのため補修が必要とされているのですよ。業界でもこの作業を手掛けられる会社は少なく、お陰様で多くの企業さんから頼りにして頂いています。
村野 他にダイカストマシン現地修正加工が優れている点とは?
西田 大型設備の補修にも大いに力を発揮します。設備は大きくなればなるほど取り外しが困難なケースが増えるのですが、ダイカストマシン現地修正加工ならば設備を取り外すことなく加工を行えるのです。
村野 画期的な技術なのですね。どういったお客様がメインなのですか?
西田 製造業や自動車関連企業とのお取引を中心にしていますが、国内のみならず、中国やタイ、インドネシアなどの工場でも施工させて頂いています。
新しい力をプラスして
世界進出を目指す
村野 非常に特殊な世界だと思いますが、社長はどの辺りに魅力を感じておられるのでしょう。
西田 誰もが知っている仕事ではないものの、世の中に必要な仕事であり、プロとして自分の腕を存分に発揮できるところに魅力を感じます。初めは難しさや特異性に悩んだこともありましたが、知るにつれてどんどんと興味を持つようになりました。他にも技術には終わりが無くとても奥深いところものめり込むきっかけとなりましたね。
村野 普段の社長はどのようなお人柄なのですか?
西田(淳) 非常にざっくばらんな裏表のない性格で、とても優しく人と関わることが好きな人です。しかし、仕事に対しては厳しいところを持っていまして、スタッフを叱ることもありますね。それでもたくさんの人から認められているところに、社長にしかない人徳を感じます。
村野 今でも社長が現場を担当されることはあるのでしょうか?
西田 今は経営者としての仕事がメインになっていまして、私はスタッフたちのために社内体制を整えたり仕事を獲得しに出かけたりしています。厳しい時代は営業活動に行ってもお話すら聞いて頂けないことも多かったのですが、最近ではお客様からお問い合わせを戴くこともあるんです。口コミで広がることは本当に実力が伴っているという証左だと思いますし、これからも一生懸命手掛けていくことで評判が広がってくれれば嬉しいですね。
村野 今後はどのような展開をお考えなのでしょう。
西田 人材が不足している状況が続いていますから、何とかして人材を確保して、業界としての大きな成長につなげていきたいと思っています。その一つとしてこれからの世代を担う若者を積極的に雇っていきたいですね。
村野 その目標に向かってますますお忙しくなりそうですね。それでは最後に今後に向けての抱負をお願いします。
西田(淳) 私は取り立てて大きなことは出来ませんから、これからも社長を支えていくだけです。
西田 アルミダイカスト業界を盛り上げ、海外に営業所を持つなどしていければと思います。そしてものづくり業界の発展のお役に立てれば嬉しいですね。
村野 本日はありがとうございました。
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