三ツ木 早速ですが、まずは「藤本建設」さんの沿革からお伺いします。
藤本(司) 「藤本建設」は、昭和57年に、今は亡き父・國勝によって設立されました。当社は舗装工事、土木一般を取り扱っておりまして、道路の舗装工事や土木工事、とび工事などを手掛けています。
三ツ木 藤本取締役からご覧になって先代社長はどのような方でしたか。
藤本(順) 典型的な職人でしたね。夜遅くまで仕事で汗を流し、家に帰って好きなお酒を楽しみ、そしてまた朝になると仕事に向かう生活でした。朝早くトラックに乗って家を出る主人のために、朝ご飯のおにぎりを握ったものです。本当に一生懸命働く昔気質の職人でした。実は、主人と私は駆け落ちをしまして、2人で主人の兄弟を頼ってここ名古屋にやってきたのです。
三ツ木 ゼロからのスタートだったのですね。ご苦労されたでしょう。
藤本(順) そうですね。今思えば、生きるために必死だったように思います。主人としては、結婚式も挙げずじまいだった私のことをなんとか幸せにしてやりたいと思ってくれていたようです。仕事に対してはかなり厳しい人でしたが、私には優しい人でしたよ。何ごとにも真面目に取り組む、素晴らしい人だったと思います。
三ツ木 藤本社長からご覧になって、先代社長はどんな方でしたか。
藤本(司) 父が「藤本建設」の創業者として私に教えてくれたのは、「本業にしっかりと取り組めない人間が、副業などできるわけがない。自分自身の仕事を真面目に、そして地道にやり続けなさい」ということ。父は見事にその言葉を体現していました。こつこつと頑張れば道が拓けることを教えてくれた父には心から感謝しています。両親は、バブル経済に浮き足立つこともなく、堅実さを持って様々な苦境を乗り越えてきたんです。その苦労を知っていたからこそ、私は両親の頑張りを無にすることはできないと考えました。ですから、父にはひとことも後継について言われたことがなかったのですが、私の中で自然にそういう気持ちが芽生えていたんです。
三ツ木 なるほど。ではどちらかで修業を積まれて、「藤本建設」さんに?
藤本(司) はい。父は、「現場の作業員と同じ生活をしてみなければ、彼らの気持ちは分からない」と言っていました。父自身もたたき上げの人間ですので、息子といえども、むしろ息子だからこそ甘やかしてはいけないと思ったのだと思います。また、当社の職人たちへ筋を通す意味もあったのでしょう。私自身、外の世界で経験を積むことで、多くのことを学ばせて頂きました。
三ツ木 お父様の跡を引き継がれるのは相当なプレッシャーだったでしょう。
藤本(司) そうですね。会社の将来が私にかかっていると思うと責任の重さを実感しました。でも、そんな代替わりの大変な時期を支えてくれたのは従業員の皆でした。若く未熟な私がいきなり会社を仕切ることになり、先代の時代から頑張ってくれている従業員たちは本当に不安だったことでしょう。それでも皆は寛容な心で見守り、サポートしてくれたんです。そのお陰でこれまで経営者として頑張ってこられたのだと心から感謝しています。今も、私よりずっと年上のベテラン従業員が現役で支えてくれているので、組織がうまく動くのだと思います。従業員たちには本当に感謝の気持ちでいっぱいですね。良い人材に恵まれていると改めて実感しています。
三ツ木 立派に経営者として辣腕を振るっていらっしゃる様子が窺えます。お話も尽きませんが、最後に将来の展望を。まずは藤本取締役から。
藤本(順) 社長も経験を積み、ノウハウを重ね、今や安心して任せられる経営者に成長してくれました。あとは、亡き主人のように、懐の大きな「親方」的な存在になってくれればと思います。
三ツ木 では藤本社長お願いします。
藤本(司) 父のように良い仕事を手掛けていきたいですね。利益はもちろん大切ですが、それだけでは駄目なんです。お客様に喜んで頂ける仕事を心がけていれば、利益は自然と後から付いてくるもの。まだまだ未熟者ですが、従業員の皆と共に力を合わせて頑張る所存です。
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