株式会社 堤建設
代表取締役 堤 義信

足跡:地元出身。『堤建設』創業者を父に持つが、自身はその仕事を継ぐつもりはなく、歌手を目指して活動していた。しかし、要請により29歳で地元に戻り、『堤建設』に入社。数年間、専務として仕事に従事した後、2代目として代表取締役に就任。現在に至る。

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●自らの経験を生かしつつ
新しい自分の責務を果たす

「自分を変えようと決意したことが
大きな転機になりました」

 かつては歌手になるという夢に向かってひた向きに歩んでいたという『堤建設』の堤社長。父である先代の希望から、やむを得ず会社を継いだが、その当初はやる気もなく、従業員ともうまくいかなかったという。しかし日毎に「このままではいけない」という気持ちが強くなり、意識的に自分を変えることを決意した。「24時間、違う自分を演じ、それが自然な自分になるまで努力を続けた」と語る社長。その社長は、今や誰もが認める“真面目な人間”で通っている。そんな自らの経験を、社長は従業員教育にも活かしている。相談に乗るときは、かつての自分の目線からアドバイスするのだ。そして、自分を変えたいと思っている人には、決意し努力すれば、必ず道が開けることを教えている。「変われる」ということを、教えられる経営者は少ない。

■昭和43年に一般住宅を手掛ける建設会社としてスタートした『堤建設』。昭和58年の法人化とともに、業務を拡大。現在は九州各地の橋梁工事を主体に、地元の土木工事などを手掛けており、高い評価を得ている。2代目として同社を牽引する堤社長に、タレントの渡辺めぐみさんがお話を伺った。

渡辺 こちらのご創業はいつですか。

堤 昭和43年に、先代である私の父が創業しました。元々は住宅建築を手掛けていたのですが、今は橋梁工事を主体にしています。法人化した昭和58年ぐらいから徐々に業務をシフトし、現在に至っています。

渡辺 社長ご自身は、学校を出られてからすぐにこの業界に?

堤 いいえ。普通のサラリーマンも経験しましたが、実は歌手を目指してバンドをやっていたんですよ。趣味程度ではなく、結構真剣にね(笑)。こちらに帰って来たのは29歳のときでしたが、それまでは夢を諦めずに頑張っていました。

渡辺 こちらに戻られたのは、どういった経緯で?

堤 先代が病気をしたことをきっかけに、後継者を探し始めたんです。私は家を出てしまっていましたから、私の兄弟や親戚などもあたってみたようなのですが、皆遠慮して…。結局、長男である私に話が回って来たのです。

渡辺 お話を聞いて、社長はすんなりと承諾されたのですか。

堤 自分の夢を捨てるか、親の為に会社に入るか…随分と悩みましたよ。その末、帰って会社を継ぐことに決めたのですが、いざ帰ってみると病気のはずの父がピンピンしていて(笑)。けれど、もう後戻りもできませんでした。

渡辺 最初は先代の下で色々と勉強をされて?

堤 帰ってきてすぐに専務からスタートしたのですが、「帰って来た代わりに自分に全てを任せて欲しい」と言って、気ままにやらせてもらいました。経営に関しては分からないことだらけでしたし、営業も経験がありませんでしたが…。当時はまだ先代も一緒に仕事をしていましたが、お互いに話もしない親子でしたね(笑)。

渡辺 先代はどういった方なのですか。

堤 昔ながらの職人気質で、とにかく厳しい人間ですね。子どもの頃は親子喧嘩ばかりしていましたよ。

渡辺 色々と確執があっても、会社を継げるのは親子だからでしょうね。

堤 そうですね。でも、最初は頑張ろうという気がありませんでした。従業員とも喧嘩ばっかりしていて、とにかく周囲からは敬遠されていましたね。けれども、日が経つにつれて「これじゃ、いけない」と思うようになったのです。人に褒められるような人間ではなかったので、正反対の人間になりたくてね。とにかく意識して自分を変えるように努力しました。そのころは日々、別の自分を演じているような感じでしたが、今ではそれが普通になっています。お陰様で今では真面目な人間で通っているんですよ(笑)。皆さんにそういう評価をして頂けるようになれたというのは嬉しい限りですね。

渡辺 自分を変えたいと思っていても、環境が変わらないと難しいですものね。そういう意味では、きっかけがあって良かったのでしょうね。

堤 そうだと思います。心の中では父に対して感謝しています。

渡辺 代替わりされたのはいつですか。

堤 32歳です。それからは、自分を甘やかさないようにしてきました。

渡辺 たくさんの人をまとめていくのは大変でしょうね。

堤 確かに最初のころは大変でしたが、今はそう思いません。会社というのは雇う側、雇われる側で上下関係や垣根があるものだと思いますが、私自身の性分でどうしてもそういう風に考えられないんですよ。上司と部下ではなく、人間対人間の付き合いとして、プライベートな相談にも乗ったりしています。

渡辺 それらが風通しの良い社風につながっているのでしょうね。同業者も多いと思いますが、その中で他所には負けないという部分はどこですか。

堤 真面目さですね。今、建築業界は安全面や偽造問題に揺れていますが、当社はそういったことは無縁です。とにかく真面目一本でやってきましたからね。今後は公共工事も減ってくるでしょうし、かなりの数が淘汰されると思いますが、その中で最後の最後まで生き残れる自信はあります。

渡辺 それは、社員教育を徹底されているからこそなのでしょうね。

堤 いいえ、従業員に恵まれているからです。皆が頑張ってくれるので、私としても自信を持つことができるのです。

渡辺 最後にこれからの展望を。

堤 会社としては、橋梁部門で九州では『堤建設』が一番だと言われるようにしたいですね。また、建設業以外にもチャレンジできるものがあれば、積極的に挑戦してみたいと思っています。

横を向いたときに何が出来るかを考えてきました

▼思いがけず先代の会社を継ぐことになり、投げやりな気持ちになっていた堤社長だったが、あるとき、自分を180度変えようと決心した。「お客様の前で良い顔ができても、商談が終わって車に乗ったときに、さっきとは全然違う自分になることに気付いた」からだという。以来社長は、客を前にしても、自分1人のときでも、等しく客を大切に思うように努力した。「お客様と面しているときは、誰でもそれなりの対応はできるんです。しかし、お客様が横を向いたときに何ができるか。常にそれを考えてきました」と社長。
▼心の持ちようを変えることは、実に大変だっただろう。しかしそれを乗り越えて、今や社長は多くの人から信頼を寄せられる人格者となった。「お互いに話もしない親子でした」と語っていた社長だが、この変貌ぶりを一番喜んでいるのは先代なのかもしれない。

対談を終えて

「会社のカラーというのは、経営者の人柄がその大部分を決めると思います。表裏なく、心の底から人や仕事を愛せる人の下には、同じ心根の人が集まるでしょうし、そうして生まれた組織は、信用に値する企業です。こちらはまさに、そういう会社だと感じました。(渡辺 めぐみさん・談)」


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