渡辺 こちらのご創業はいつですか。
堤 昭和43年に、先代である私の父が創業しました。元々は住宅建築を手掛けていたのですが、今は橋梁工事を主体にしています。法人化した昭和58年ぐらいから徐々に業務をシフトし、現在に至っています。
渡辺 社長ご自身は、学校を出られてからすぐにこの業界に?
堤 いいえ。普通のサラリーマンも経験しましたが、実は歌手を目指してバンドをやっていたんですよ。趣味程度ではなく、結構真剣にね(笑)。こちらに帰って来たのは29歳のときでしたが、それまでは夢を諦めずに頑張っていました。
渡辺 こちらに戻られたのは、どういった経緯で?
堤 先代が病気をしたことをきっかけに、後継者を探し始めたんです。私は家を出てしまっていましたから、私の兄弟や親戚などもあたってみたようなのですが、皆遠慮して…。結局、長男である私に話が回って来たのです。
渡辺 お話を聞いて、社長はすんなりと承諾されたのですか。
堤 自分の夢を捨てるか、親の為に会社に入るか…随分と悩みましたよ。その末、帰って会社を継ぐことに決めたのですが、いざ帰ってみると病気のはずの父がピンピンしていて(笑)。けれど、もう後戻りもできませんでした。
渡辺 最初は先代の下で色々と勉強をされて?
堤 帰ってきてすぐに専務からスタートしたのですが、「帰って来た代わりに自分に全てを任せて欲しい」と言って、気ままにやらせてもらいました。経営に関しては分からないことだらけでしたし、営業も経験がありませんでしたが…。当時はまだ先代も一緒に仕事をしていましたが、お互いに話もしない親子でしたね(笑)。
渡辺 先代はどういった方なのですか。
堤 昔ながらの職人気質で、とにかく厳しい人間ですね。子どもの頃は親子喧嘩ばかりしていましたよ。
渡辺 色々と確執があっても、会社を継げるのは親子だからでしょうね。
堤 そうですね。でも、最初は頑張ろうという気がありませんでした。従業員とも喧嘩ばっかりしていて、とにかく周囲からは敬遠されていましたね。けれども、日が経つにつれて「これじゃ、いけない」と思うようになったのです。人に褒められるような人間ではなかったので、正反対の人間になりたくてね。とにかく意識して自分を変えるように努力しました。そのころは日々、別の自分を演じているような感じでしたが、今ではそれが普通になっています。お陰様で今では真面目な人間で通っているんですよ(笑)。皆さんにそういう評価をして頂けるようになれたというのは嬉しい限りですね。
渡辺 自分を変えたいと思っていても、環境が変わらないと難しいですものね。そういう意味では、きっかけがあって良かったのでしょうね。
堤 そうだと思います。心の中では父に対して感謝しています。
渡辺 代替わりされたのはいつですか。
堤 32歳です。それからは、自分を甘やかさないようにしてきました。
渡辺 たくさんの人をまとめていくのは大変でしょうね。
堤 確かに最初のころは大変でしたが、今はそう思いません。会社というのは雇う側、雇われる側で上下関係や垣根があるものだと思いますが、私自身の性分でどうしてもそういう風に考えられないんですよ。上司と部下ではなく、人間対人間の付き合いとして、プライベートな相談にも乗ったりしています。
渡辺 それらが風通しの良い社風につながっているのでしょうね。同業者も多いと思いますが、その中で他所には負けないという部分はどこですか。
堤 真面目さですね。今、建築業界は安全面や偽造問題に揺れていますが、当社はそういったことは無縁です。とにかく真面目一本でやってきましたからね。今後は公共工事も減ってくるでしょうし、かなりの数が淘汰されると思いますが、その中で最後の最後まで生き残れる自信はあります。
渡辺 それは、社員教育を徹底されているからこそなのでしょうね。
堤 いいえ、従業員に恵まれているからです。皆が頑張ってくれるので、私としても自信を持つことができるのです。
渡辺 最後にこれからの展望を。
堤 会社としては、橋梁部門で九州では『堤建設』が一番だと言われるようにしたいですね。また、建設業以外にもチャレンジできるものがあれば、積極的に挑戦してみたいと思っています。

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