具志堅 早速ですが、まずは社長の歩みからお伺いします。
中村 鹿児島で生まれ、少年時代は野山を駆け回って遊んでいましたね。経営者になるなんて思いもしませんでした。ただ、父が建設会社を経営していましてね。会社を動かす父の背中を見て育ったものですから、私自身も自営業の方がしっくりくるように感じていました。実際、会社勤めも経験したのですが、違和感がぬぐえなくて。経営者として事業を起こす将来を、漠然とですが想像はしていたんですよ。
具志堅 きっと血筋なんでしょうね。
中村 そうですね。技術職に興味があったので、大学では電気工学科に進みました。勉強している中で、研究や開発が自分の性格には適していないと感じまして。卒業後は、情報サービス会社に入り、営業マンとして働いていたんです。
具志堅 では、そちらでの経験が現在のお仕事につながっているのですね。
中村 ええ。いずれ起業するなら通信業界でと考えていたので、勉強させて頂きました。人脈も得られ、良かったです。
具志堅 独立に踏み切られたきっかけは何だったのでしょう。
中村 20代のうちに独り立ちしたいと考えていたんです。タイミングを見計らい、平成14年、29歳の時に思い切って独立を果たしました。個人事業主としてスタートし、平成17年2月に法人登記を済ませました。「日本システムソリューションズ」の誕生です。
具志堅 実際、経営者となられていかがですか。
中村 理想と現実はやはり違いますよね(笑)。手掛ける仕事の内容は、サラリーマン時代と変わりませんが、経営者としての責務や細々とした業務が増えましたね。サラリーマン時代は、いわば自分のことだけを考えて仕事に集中できたんです。しかし、今度は経営者として視野を広く持ち、ネットワークづくりに努めたり、会社の進むべき方向性を見極めみんなを引っ張っていかなければなりません。経営者になればゆとりが持てるのかと思っていたら、逆に以前より忙しくて(笑)。経営者の大変さを知りました。
具志堅 なるほど。自分の采配で会社を動かせることに魅力を感じて起業される方が多いですが、その分、苦労は増えるわけですね。でも、現在は業務の幅も広げられて。
中村 ええ。でも、独立当初はマンションの一室を借りて、事務所にしていたんですよ。軌道に乗り始めた数年後、ようやくテナントを借りてオフィスを構えたんです。品質の高い仕事を提供することはもちろん、会社の規模や基盤がしっかりしていることも、対外的に信用を得るためには重要なファクター。お陰様で大手からも認知されるようになり手応えを感じています。
具志堅 日頃、お仕事の上で大切にしていらっしゃることは。
中村 会社の存続のためにも、そして大切なお客様と長いお付き合いをさせて頂くためにも、堅実な経営に努め、お客様と誠実に向き合うことが大切だと思っています。そうすると、自然にお客様の輪も広がって実績につながりますのでね。また、物事を大局的に見るということも大切ですよね。
具志堅 と言いますと?
中村 例えば、長年大手の独占状態が続いていた通信業界では、自由化されてからは各社が熾烈な価格競争を行っています。その中に私共も参入しているわけですが、当社のクライアントだけを相手に商売していると考えたくないんです。つまり、日本という大きな枠組みの中で、より良いサービスで社会全体の利便性を向上させる一役を担っていると考えているんですよ。
具志堅 それでは最後に今後の抱負をお伺いします。
中村 仕事の幅を広げ、飛躍していきたいですね。社員数も増やし、3年後、5年後の株式上場を目指しています。非常に公共性の高い仕事ですし、微力でも社会に貢献できる企業でありたいですね。経営者であれば誰しも考えるでしょう。自分の会社が社会に何らかのかたちでプラスになってくれれば、一層頑張れますよね。そんな会社をこれからも目指していきます。
具志堅 頑張って下さいね。
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